事業内容:1943年創業。ファッション・スポーツなどの衣料用ならびに産業用の繊維素材と関連品の製造・販売。技術力の高さから、国内外のトップブランドなどに高機能・高感性素材を供給している。そのほかに医療関連、建築建材関連、電材関連などの資材分野、さらには炭素繊維や超発泡セラミックス建材など環境共生素材を軸とした先端材料分野まで、幅広く事業を展開。
2014年に小松精練に入社した篠原 盤(しのはら・ばん)さんに、これまでのキャリアと仕事の醍醐味(だいごみ)をうかがいました。前編では新人時代のお話を紹介します。
キャリアステップ (部署名は所属当時のもの)
就職活動の時の思い・新人時代のエピソード
-入社のきっかけを教えてください
もともと洋服が好きで、ファッションに携わる仕事がしたいと考えていました。繊維業界を志望したのは、1つのブランドだけでなく、生地を通じてさまざまなブランドの仕事ができるから。アパレルや商社も視野に入れましたが、ものづくりに直接携われるという観点から、「世界的に有名なテキスタイル会社の小松精練に行きたい」と考えるようになりました。
就職活動時は、繊維業界7社と商社やメーカー、通信業界なども受け、早期にグローバル展開をする大手アパレルメーカーからの内定も頂きました。しかし、企業規模があまり大き過ぎない方が、自分の担当した仕事によって会社の利益へ貢献でき、存在価値を発揮できると考え、当社を選ぶことに。国内外のトップブランドと仕事をしている点や裁量権の大きさはもちろん、環境に配慮した素材や建材なども手がける事業領域の広さにも可能性を感じました。
-入社後はどのように仕事を覚えていったのですか?
入社後は、石川県の本社工場で同期と一緒に半年間の新人研修を受けました。半年の間で1〜2週間おきに工場内の多様な部署を回り、生地が加工されてから完成するまでの各工程に触れました。各機械の操作方法や、薬品や加工方法における化学的メカニズムにとどまらず、トレンドを研究する商品企画などにも触れ、ものづくりや事業の流れを学びました。
この時期、ほかの企業に入社した学生時代の友人はすでに現場に出て仕事をしていると聞いて、正直、焦りも感じました。少しでも知識を吸収しようと、勤務時間が終わっても工場に残り、先輩をつかまえては生地についての知識を教えてもらうことに。研修中は長いと感じましたが、ここでの学びが後々大きく役立ちましたね。
研修終了後は、国内の商社やアパレル、デザイナーズブランドを担当する現部署に配属されました。メンターの先輩の下で、お客さまへのプレゼンや商談、工場との生産打ち合わせなど、仕事の流儀を学びました。「こんな素材が欲しい」とお客さまからの要望を受けるだけでなく、こちらから新素材を提案していくケースもあり、自ら流行のファッションを生み出せる面白さも実感。とはいえ、生地の加工や仕上がりについて新人時代はよくわかっておらず、本来であればお受けできない加工にもかかわらず商談中に「できます」とお伝えしてしまったことも。誤った判断は、その後のお客さまや関係各所に迷惑をかけてしまうことを学び、それからは気をつけるようになりました。全工程をある程度理解できるようになるまでは、1年くらいかかりましたね。
-新人時代に印象に残っているエピソードを教えてください
入社1年目から百貨店やショップを巡っては「次はどんなものが流行するのか」を考え続けていました。入社2年目、メンズで流行していた織物素材を、レディースにも生かせないかと考え、当社でできる加工技術を駆使し、「柔らかなニット素材でありながらスエード調の織物に見える生地」を考案しました。担当していたレディースブランドに提案したところ、OKをもらうことができ、工場とやりとりを開始。しかし、試作と量産する場合では生地の仕上がりが異なり、8回も試作してようやく完成しました。
店頭にその生地を使ったコートが並んでいる様子を見た時、心底、感動しましたね。ショップのスタッフも「こんな素材、見たことがない」と言ってくれましたし、お客さまが実際に購入する場面にも立ち会えました。自分が一から作ったものが世に出る喜びを味わい、「人生で一番幸せな瞬間だ」と感じました。
仕事中のひとコマ
自分のデスクで工場への開発指示書を作成。試作生地の仕上がりを見ながら、加工内容を変更。量産する場合、試作品と仕上がりが異なるケースもあり、難しい加工をする際は、石川県の工場に出向いて打ち合わせすることも。
後編では成長を実感したことや、1日の仕事の流れについてうかがいます。
(後編 7月28日更新予定)
取材・文/上野真理子 撮影/刑部友康