独り立ちから2カ月目に新薬発売を経験し、病院での説明会開催などを手がけた
「専門知識を磨きながら、社会に貢献していきたい」と考え、医薬品メーカーの営業職を志望した中野さん。入社後は約半年間の研修を受け、MR(医薬品メーカーの医薬情報担当者)となるための専門知識を身につけるために勉強を続ける日々だったという。
「文系出身だったので薬剤について学ぶことに大きな壁を感じましたし、何冊ものぶ厚い教材を前に、『本当にやっていけるんだろうか』という不安でいっぱいでしたね。しかし、半年後には経験も知識も自分よりはるかに上の先生と1対1で話さねばならない。一つ一つをクリアしていこうと考え、毎晩、受験生のように勉強を続け、必死でついていきました」
研修終了後、中野さんは名古屋支店にMRとして配属され、愛知県の3市1郡を担当することになる。
「生まれ育った東京を離れることに抵抗はありましたが、新しいチャレンジと前向きにとらえました。最初は先輩と一緒に開業医の先生や病院を回り、引き継ぎをしながら仕事を覚えることに。机上の勉強とは違い、実際に患者さんを診療する先生が相手なので、『もし自分が間違った情報を伝えたら、患者さんの命にかかわる。いい加減なことは絶対にできない』というプレッシャーを感じましたね」
配属から4カ月後、中野さんは独り立ちし、一日に10軒の開業医と2軒の病院を訪問する多忙な日々を過ごすようになる。先輩から引き継いだ先生ばかりのため、そのままスムーズに取り引きを続けていたが、独り立ちから1カ月後に新しい鎮痛剤が発売になり、新たな製品を採用してもらうことの難しさを痛感する。
「それまでは自社の薬剤の長所などを一方通行で伝えていただけだったと気づきました。ちょうどその時、上司から『多面的に相手の情報を拾って、ニーズに応えるような提案をしなさい』などの指導を受けたおかげで、先生のニーズや好み、治療方針を収拾していこうと考えました。先生と話ができる時間はわずか数分程度のことも多く、情報を固め、『この薬剤のポイントは何か、どんな症例に有効か、なぜ使ってほしいか』をしっかりまとめて準備。『先日お話ししていた患者さんに役立つと思います』など、具体例も交えて伝えていった結果、多くの先生に採用してもらえました! この時期から、ただ情報を伝えるのではなく、提案をしていくスタイルに変化していきましたね」
最も苦労したのは、ベッド数300床の病院で採用してもらうまでの過程。開業医の場合は先生1人の判断で採用が決まるが、組織の大きい病院の場合は薬事審議会に通ることが必要となることが多い。そこで、「誰がOKすれば採用されるのか」「その先生と話ができるタイミングはいつか」などの情報を集めることからスタート。MRの先輩や多くの先生、薬剤師、看護師、さらにはその病院に出入りしている医薬品卸の営業担当まで、さまざまな人と接触しながら情報を収集し、提案すべき先生たちに粘り強くアプローチしていった。
「病院の場合、使う薬剤を1種類増やしたら、1種類減らさなければならないことが多くあります。しかし、実際にその薬剤を使っている患者さんもいるため、そう簡単には変更できない背景があるんです。そこで、新薬に切り替える際のデメリットをカバーできるようなメリットを伝えて提案していくことに。おかげで、先生方への新薬の説明会開催までこぎ着けることができました。とはいえ、自分にとって初めての説明会だったので、当日は緊張し過ぎて頭が真っ白に(笑)。それでも多くの先生の賛同を得ることができ、ようやく審議会にかけてもらうことができました。『採用された』と聞いた瞬間には、何とも言えない達成感がありましたよ。また、支店内で新薬採用件数ランキングトップ5に入ることができ、すごくうれしく思いました」
入社4年目、中野さんは浜松営業所に異動し、大学病院の担当になる。組織が大きいため、何をするにも根回しが必要で、自分1人で完結できない仕事もどんどん増えていったという。
「大学病院は診療だけでなく、最先端の研究もしている基幹病院。大学病院で採用いただければ、地域の先生方の薬剤使用意向が前向きになることも多い。大学病院と開業医の間に立つ形で、地域全体に働きかけていこうという使命感に燃えましたね。大学病院にはさまざまな専門分野のオピニオンリーダーとなっている先生がいらしたので、まずは本社を巻き込む形で定期的にコンタクトを取れる体制をつくりました。さらに、学術部門の担当者に同行してもらい、より深いレベルで研究の手助けになりそうな情報を提供。信頼関係を築き上げ、先生の全国各地での講演会に多数同行いたしました。おかげで、浜松エリアだけでなく、全国的に採用件数が広がる波及効果を得ることができましたね。自分の仕事がより広い地域の患者さんに役立っていると感じ、さらなるやりがいを感じるようになりました」
社内ミーティングの様子。マーケティング部門内だけではなく、営業部門や開発部門、広報部とも連携を取りながらプロジェクトを進める。
ドイツ赴任や調査・分析などを経験後、プロダクトマネージャーに。新製品の戦略を立て、世に広めていく
入社8年目、中野さんはドイツ本社に駐在するチャンスをつかむ。ジャパンデスクというポジションの社内公募に手を挙げ、筆記試験と面談を経てドイツ行きの切符を手に入れたのだ。
「入社時から、チャンスがあればグローバルな環境で仕事ができる本社で働いてみたいと思っていたので、想いをかなえることができてうれしかったですね。ジャパンデスクの仕事は、日本からいらっしゃる顧客に対する本社の見学案内や研究開発担当者とのディスカッションの場のセッティング、ドイツ留学中の先生への情報提供、ドイツの医療制度の説明、英語での通訳など、多岐にわたります」
また、専門分野を持つ先生が訪問する場合は、その目的をドイツ本社の同僚に共有した上で興味のある分野は何か、そこでどんな話をしてもらうか、どんな資料を用意するかという部分までしっかりと想定して準備を進めた。
「準備に時間はかかりましたが、来訪するお客さまにはご満足いただけたケースが多かったので、自分をダイレクトに信頼してもらう喜びを感じることができましたね。文化や言葉の壁はありましたが、グローバルな環境で働けたことでひと回り成長できたと思います」
2年間の赴任期間を経た後、中野さんは再び日本に戻り、市場調査や分析を手がける部署に異動することに。調査の内容や市場データをもとに、客観的に顧客(先生)の気持ちや考え方を数値化し、隠れたニーズを深く掘り下げていくことがミッションのため、MRの仕事との違いに大きな戸惑いを感じた。
「最初に手がけた仕事は新製品についての市場調査でした。上司に教えてもらいながら進めていきましたが、MR時代のように人間関係や人の気持ちを中心に動かす仕事とは違い、数字やデータを客観的に見て論理的に仮説を立てていかなくてはならないことに、正直、面食らいました。『こんな人が多いから、こう思うはずですよ』と自分が感じるままに伝えても、『それはわかるけど、ロジカルな根拠がないよね』と言われてしまって。検証のプロセスを飛び越え、一人のMRとしての目線や感覚で結論を出すだけではダメなのだと痛感しましたね」
中野さんは、上司のアドバイスでロジカルシンキングの研修を受けることに。客観的事実に基づいた仮説の立て方や結論の導き出し方などを学んでいった。
「先生たちが何を思い、どんな気持ちで薬剤を処方しているかという、リアルな姿を目の当たりにできました。そして、どんなに優れた薬でも、服用回数や飲みやすさなどの面で患者の立場を考えて採用しないケースもあることをあらためて認識しました。また、パンフレットなどの資材を市場調査にかけ、よりよく見せるための提案を反映してもらったこともありました。自分の提案を取り入れた資材が全国で使われるようになり、『調査のかいがあったなあ』と感慨深く思いましたね。会社の戦略の一つとして、自分の仕事が確かに役立っているという、大きなやりがいを感じるようになっていきました」
2012年、中野さんは現職のマーケティング本部に異動し、プロダクトマネージャーを務めることになる。現在は、糖尿病領域を担当し、新製品の発売に向けた準備を進めている最中だ。
「多くの糖尿病患者に貢献するため、適切にわれわれのメッセージを伝えることができるような製品戦略を立てています。具体的には、調査部署からの市場調査のデータを見て『何をすればこの薬剤が適切に世の中に広まっていくか』を考えたうえでプロモーション戦略を決め、経営企画部署や営業部署と連携していきます。戦略に紐づいて、説明会や講演会の開催方針、現場のMRたちへの研修方法、さらに資材の作成まで手がけています。また、オピニオンリーダーの先生との関係強化も図っているため、これまで経験してきたすべての仕事が役立っているように感じますね」
担当している製品はまだ世に出ていないが、発売前からそこに携わり「いかにわれわれの思う形で広めていくか」という、スケールの大きな絵を描けることにやりがいを感じているという。
「多くの部署の人々が自分たちの考えた戦略を基に共に活動し、それが多くの先生や患者さんたちに伝わっていくのかと思うとワクワクします。ただ売れればいいわけではなく、適切な患者さんに適切な薬剤を届けていく。それができれば最終的には、病気に苦しんでいるより多くの患者さんたちに役立つことができると思っています。目標は『製品の最大化』。理想の形を目指しながら、より広い地域に製品を広め、社会に貢献していきたいですね」
会議の内容をまとめた資料や、各マネージャーに渡す今後の営業戦略を具体化した資料、営業担当者が使用するパンフレットなどの資材を作成。
中野さんのキャリアステップ
STEP1 2000年9月 名古屋支店時代(入社1年目)
MRとして愛知県内の開業医、病院を担当。2年の経験を積んだ後、浜松エリアの大学病院の担当に。配属当初の2年間では、「新規顧客を開拓するのではなく、同じ病院を定期的に訪問するからこそ、いかに信頼関係を築けるかが大事だ」と実感し、先生だけでなく、薬剤師や医薬品卸などとも積極的にコミュニケーションを重ねた。また、日々の情報収集も大切にし、自社製品の関連文献や競合となる他社の製品の文献なども読み、さまざまな製品を理解したうえで自社製品のメリットを伝えていった。「誰から見ても、この人なら信頼できると思ってもらえるようになるため、誠実かつ正しく深い情報を伝えることを心がけました。大学病院を担当した時期には、組織の大きさとともに地域の開業医への影響力の大きさを実感。地域全体をマネジメントするような醍醐味(だいごみ)を味わいましたね!」。
STEP2 2007年 ドイツ本社 ジャパンデスク時代(入社8年目)
ドイツ本社に赴任し、ジャパンデスクの担当者を務める。日本の顧客である医師や薬剤師、医薬品卸会社などの来訪に対応。本社の案内や、本社内のメディカル担当者とのディスカッションの機会をセッティング、滞在中の相談や困りごとへの対応をすべて引き受けた。また、アジア・アフリカ・オーストラリア部門に所属し、本社内の会議への参加、マーケティングチームにもトレーニングのような形で入ることも経験。「この期間はすべてが新しいチャレンジでした。本社の空気を肌で感じながら勉強させてもらうことができましたね。もともと語学力にあまり自信はなかったので、日本にいる時から英会話の勉強を続け、現地でも日々英会話を学んでいきました。 現地では、言葉も違えば文化も違うので、何度も壁にぶちあたり、伝えたいことを100パーセント伝えられないもどかしさも味わいましたが、国際的な環境で仕事ができたことは自分の中で大きな財産になっています」。
STEP3 2011年 ビジネスアナリシス部 市場調査/製品分析担当時代(入社11年目)
製品の市場調査と分析を行い、それをもとにした戦略の提案を担当。「製品そのものは世界規格でつくられているため、日本で『ここを改善したい』という点があってもすぐ解決しません。しかし、日本の先生たちがどんな意見を持っているかをドイツ本社に示し、今後の戦略に落とし込んでもらえるような提言をすることは絶対に必要なもの。微力ながらも、その橋渡しの役割ができたのではないかと思います。
STEP4 2012年 マーケティング本部 プロダクトマーケティング部時代(入社13年目)
糖尿病領域の発売前の新薬における製品戦略を担当。配属当初から現在までひとつの製品の担当を続けている。また、担当した製品については、発売後にも検証を続け、理想の形へとつなげていくという。
ある日のスケジュール
プライベート
休日には家族でドライブや旅行を楽しんでいる。写真はドイツ赴任時にオーストリアを旅行した時のもの。「ユーロ圏内の国はほぼ制覇しました。日本に戻ってからも、年に1回程度は海外に行っています。ドライブでは、千葉や山梨などの近場が多いですね。フルーツ狩りや潮干狩りなどを家族で楽しんでいます」。
大学時代の友人や同僚と会社帰りに飲みに出かけてリラックス。ビールが好きで、自宅で毎日一本の晩酌を楽しんでいる。「妻と一緒に晩酌することもありますし、1人で飲むこともありますね。今日一日を頑張った自分に『お疲れさま』という気持ちを込めてビールを飲みます(笑)」。
週末は自宅近くのカフェでゆったりと読書をして過ごす。ビジネス書を読むことが多く、特によく読むのは経営者の哲学などについて書かれた本だそう。「偉大な功績を残している経営者の考え方は、自分の仕事にも役立ちますね。1人でゆっくり過ごす時間も大切にしたいと思っています」。
取材・文 /上野真理子 撮影/刑部友康