IT部門へ配属。入社4年目にシンガポールへ赴任し、アジア拠点のシステム導入に尽力
文系出身だったことから、営業職を目指し、海外での活躍も視野に入れていた岩本さん。現社へ入社し、研修後には営業部門に仮配属されたが、正式配属されたのは意外にも情報システムを手がける部署だった。
「IT知識もパソコンスキルもなかったので、正直、不安に感じて『向いていなかったら転職しよう』と考えたくらいです(笑)。配属後は、先輩にエクセルの使い方から教えてもらう日々。早く成長したいという思いから、情報技術者の資格取得を目指して自ら勉強を開始しました」
入社1年目はテクニカルサポート担当者のように、社内のパソコントラブル対応や設定などを担当。あちこちの部署に呼び出されては、即座に対応できず、自席に戻って解決方法を調べ続けるという毎日を過ごした。入社2~3年目はネットワーク関連の担当になり、YKKの世界71カ国の拠点におけるジッパーの材料調達のためのシステム開発に携わるなど、プログラミングも手がけるように。
「全国各地にある販売会社の拠点を訪問し、何百台ものパソコンにプログラムをインストールするなど、体力勝負な仕事も多かったですね。新たにソフトウェア開発技術者資格取得に向けて勉強を開始し、自社システムに必要な知識を学ぶ研修を受けたりしながら、知識を蓄えていきました。従業員が会社のシステムを使うために利用者登録するシステムの開発を任されたりするうちに、頭の中にあるシステムのイメージをプログラムで形にしていく面白さを実感。けれど、自分が事業全体の中でどこに貢献しているのかはわからないまま、上司の指示に必死についていく毎日だったと思います」
岩本さんに大きな変化が訪れたのは入社4年目のこと。アジアにおける海外会社を統轄しているYKK HOLDING ASIA社に異動が決まり、シンガポール拠点へ赴任することになったのだ。
「入社以来、ITに携わり、海外志向も強くなかった時期だったのでビックリしましたね。 入社前にグローバル企業のYKKで仕事をするには英語が必須だと思い、TOEIC(R)のスコアを 300点くらい上げたのですが、入社2年目にはすっかり元のスコアに戻ってしまいました(笑) 正直、ものすごく不安でしたね」
赴任後の3年間は、基幹システム(※1)の保守やアジア各国の海外会社へのサポートを担当。
「現地には人事教育制度は特になく、日本とは異なる開発方法のシステムを使用していたので、またもや覚えることだらけ。インドネシアやスリランカ、フィリピンなどの拠点から次々と電話がかかってきましたが、英語の聞き取りに慣れていないうえ、自分で調べて回答しなくちゃならない。すぐに答えられず、『何もわかってない』と言われて、日本に帰りたいと思ったこともありました(笑)」
(※1)業務内容と直接にかかわる在庫管理、財務などの重要なシステム
さまざまな問い合わせにもスムーズに対応できるようになり一人前に成長した1年後、バングラデシュの暴動にYKKの現地会社が巻き込まれ、暴徒に破壊された設備やシステム環境の復旧を手がけることになる。
「海外ではこういう事も起きるのかと驚きましたが、とにかくシステムを動かしてストップした生産をリカバリーしなくてはなりません。たまってしまったオーダーを処理するため、受注出荷の優先順位を組み直したり、急ぎのものは姉妹会社に生産を頼むといった調整もしたり…と、システムに組み込まれた生産管理計画のデータを状況に合わせてアレンジしながら、復旧計画を進めていきました。ジッパーの商品知識や製造工程についてより詳しくなったと思います」
その後、パキスタンやインド、スリランカなどに出張し、現地会社の現地スタッフに運用システムの使用方法を指導できるまでに成長。
「一番大変だったのは、パキスタンに新たな現地会社と工場が完成した時のシステム導入プロジェクトですね。主担当として、導入計画から機器の設置、人材教育まですべて手がけるのは初めてのこと。おまけに、会社も工場もできたばかりで、スタッフも新人ばかり。誰一人、何も把握できていない状態で、命令系統もなく、中心となるキーパーソンもいない。説明会を開いてもなかなか理解してもらえませんし、ムスリム(イスラム教)文化圏のため、勤務時間内でも『礼拝の時間だから』といなくなるスタッフもいて…。日本とは異なる文化や宗教を持っている人と共に働く経験がなかったので、驚くことばかりでしたね。働き方の多様性を学び良い経験となりました」
一生懸命教えても、辞めてしまうスタッフもいたが、何度も説明を繰り返した岩本さん。意欲の高いスタッフを中心に勉強会を行いながら、地道にレベルアップさせていったという。
「アジア圏の現地会社は13カ国にありましたが、会社自体の歴史が浅いこともあり、システムの理解度があまり高くない国も多くあって…。繁忙期に納期の達成率が落ち、納品が遅れてお客さまに迷惑をかけてしまうことも少なくありませんでした。システム自体はあくまでツール。事業戦略に合わせた運用ができなければ意味がない。ただ言われたものをつくるのではなく、情報システム化が進んでいない国でも運用できるものを考え、使いこなせるように指導していくことが重要なのだと痛感した時期でしたね」
現在の部署では、商品戦略部門と打ち合わせすることも。カタログ掲載情報を海外の人にもWebで見てもらえるよう、商品のデータベースをつくることについて話し合う。
インドネシア海外会社のIT部門長を経験。現在は日本のIT部門をけん引する立場に
入社8年目、岩本さんはシンガポール拠点内のマーケティング部門に異動することに。IT以外のことを学ぶため、マーケティングや統計分析の担当となったのだ。
「うちの会社が扱っているジッパーは、いろんな商品に使われているので、ジッパー単体では市場規模やシェアを算出しにくく、需要の予測も難しいんです。消費先となる欧米や日本などの市場状況や、生産を担う中国の輸出状況などのレポートはあっても、どの国にどれくらい売ればいいか、今後需要が伸びる国がどこかを分析できる技術はありませんでした。僕が赴任したYKK HOLDING ASIA社は、アジア圏のマーケティング戦略も担っていたので、社長から『IT技術を通じて、需要を把握できるシステムがいずれは欲しい。まずは各拠点の経営状況や、その国の経済発展状況を一括でチェックできるデータベースをつくってくれ』と言われたんです」
岩本さんは、各国の拠点のマーケティング担当者や人事担当者にヒアリングしたり、経理や人事関連のレポートを集めるなどし、必要なデータの取捨選択を続けた。
「各国のGDP(※2)比率や識字率(※3)などのデータも集めていくうち、1人あたりのGDPが3000ドルを超えると国は豊かになり、生産地ではなく、消費地となることが見えてきました。意外なデータが長期的な生産計画や経営計画にかかわってくると気づきましたし、いろんな立場のプロフェッショナルの視点を学んだおかげで、マクロ(広範囲)な視点を学ぶことができたと思います」
(※2)国内総生産。1年間に新しく生み出された生産物、サービスの金額の総和
(※3)文字を読み書きする能力を持つ人口の割合
この後、岩本さんはシンガポールの経営企画室に配属される。社長の秘書として、統轄地域内の経営戦略をつくる際の裏付け資料の作成を手がけることになり、「アジアの物流の動き」を調査したり、「アジア圏の最貧困層の状況とビジネスへの影響」についてのレポートを作成したという。
「テーマが与えられるのみで、切り口も調査方法も自分で考えねばならなかったので、頭を抱えたこともありました。でも、このおかげで、変化の激しいアジア圏で戦う経営者の視点や、スピード感ある動きを肌で感じることができ、自分自身の思考が鍛えられたと思います。ITの開発においても、組織の中のことだけに目を向けていてはいけない。常にアンテナを張り、世界の情報や異業種の技術からもヒントを得て、柔軟に発想していくことが大切だと考えるようになりました。自分にとって、かけがえのない経験です」
入社11年目には、インドネシアの海外会社に異動し、IT部門長になった岩本さん。4つの工場のオペレーション改善をしながら、現地のIT部門スタッフ25名をマネジメントしたという。
「事業会社で経験を積みたくて、自ら手を挙げました。各工場を1週間ごとに回っては、製造工程で非効率的なフローを探し、そのことについてみんなで議論したり、使いやすいシステムを開発したり。また、現地のスタッフだけで業務改革ができるように育成することもミッション。『ITで経営に貢献していける環境をつくれるようになること』を目標に掲げ、現地の幹部候補を育成していきました」
岩本さんは、週替わりでいろんな工場に出かけては、スタッフと直接話し、「自分の仕事が現地の事業戦略にどう貢献できるか、どんな価値があるのか」を考えるよう指導し続けた。
「みんな、『何かあっても、シンガポールの統轄会社に頼めばいい』という意識しか持っていなかった。だから、『自分たちのIT部門であり、自分たちのシステムであり、それが自分たちの会社の事業を支えているんだ』ということを話し、努力をしなさいとひたすら言い続けましたね。システムに問題が発生したときも、こちらでカバーはしつつ、同じ状態のテスト環境をつくって解決方法を考えさせていきました」
3年間、根気強く指導を続けた結果、数名が大きく成長し、既存のIT担当者の力量を追い抜くほどになった現地スタッフも出てくるほどに。
「僕が日本に戻る時、このスタッフが後任となりました。本気で育ってほしかったので、厳しく指導したこともあったけど何人かには響いてくれた。『自分のまいた種から、いくつかの芽が出た』と感じ、すごくうれしかったですね。文化や所得水準が違っても、向き合い続ければ理解してもらえて、いい関係になれる。日本人もインドネシア人も、それは同じなんだと感じました」
15年4月、岩本さんは帰国し、現部署の情報システム部の配属となった。入社当初に配属された部署に、今度はチームリーダーとして戻ってきたのだ。
「現在、新しいIT技術の企画提案を行うと同時に、海外拠点と同じ基幹システムを導入するプロジェクトの推進や、社内におけるIT全般の予算管理を担当しています。IT戦略について、予算も含めて全体を見ていくチームリーダーの役割ですね。これまで得た経験と知識、視点を生かし、YKKの既存のやり方を変えていけるくらいのことをやっていきたいと思っています。IT部門を各部署からの御用聞きのようにはせず、経営サイドに頼りにされる部隊にしていくことが僕の目標です!」
日本と世界におけるトータルでのIT コストなどについて情報収集し、比較と把握を行う。ITにかけるコストの適正水準や、同業他社との比較などもし、予算管理に生かす。
岩本さんのキャリアステップ
STEP1 2002年 研修時代(入社1年目)
入社後、約1週間の集合研修を受ける。会社の事業内容や商品知識、ビジネスマナーなどを学んだ。この後、ファスニング事業部門の研修として、富山県黒部市の工場の社員寮で、同期10名と1カ月半を過ごす。発送担当としてひたすら段ボール箱を組み立て、ジッパーを詰め込んだそう。「周辺に何もない地域だったので、最初は驚きました。工場スタッフの女性にいろいろ教えてもらいながら、地道な作業が事業を支えていることを実感しましたね」。
STEP2 2002年 ファスニング事業本部 情報システムセンター時代(入社1年目)
IT部門の情報課企画室に配属される。社内のさまざまな部署のトラブル対応やアプリケーションのインストールなどを担当したため、部署をまたいでいろいろな立場の人と会話することができた。「新入社員から役員や本部長まで、本当にいろんな人に出会えました。このときに顔を広めたことが、今になって役立っていると感じます。また、このころから自分でITの勉強を開始し、情報処理系の資格を取得。この後、営業システム室でネットワーク・サーバ系の仕事を担当しましたが、その時代にもさまざまな技術についての研修を受けましたね。自主的に学ぼうとしましたが、上司の配慮で資格取得に必要な研修費用を会社から出してもらったこともあり、恵まれた環境の中で勉強することができました」。
STEP3 2011年 YKK HOLDING ASIA社 経営企画室時代(入社10年目)
05年にシンガポール拠点に赴任し、IT部門で4年、マーケティング部門で2年の経験をしたのち、経営企画室へ。社長の特命で、さまざまなテーマの調査を任されることに。「切り口も方法論も自分に任されるので、『アジアの物流の動き』について調査してほしいと言われたときには、物流会社や運送会社の人を自分でつかまえてヒアリングをかけることに。東南アジアのメコン川流域における南北回路が今後どうなっていくのかという展望を聞き、自分でも港湾ルートなどの流通経路を調べていき、レポートにまとめました。自分の専門であるIT 分野とまったく違う視点を学ばせてもらい、本当に面白かった。この会社の社長はすごくユニークな人で、若手メンバーにいろんなテーマを与えてはレポートを出させ、思考を鍛えてくれました。彼の『戦略集団として、常にアンテナを張って情報収集していけ』という言葉は、今も常に心の中にあります」。
STEP4 2015年 情報システム部 ファスニング事業システム室時代(入社14年目)
インドネシアの海外会社で4年の経験を積んだのち、現部署へ。情報化企画グループ、企画チームにて、チームリーダーを務める。「IT部門トップの指令を実行推進していく部隊です。チームのメンバーは、兼任の上司と、部下2名。差別化につながるIT戦略や、投資すべき適正な費用などについて考えています。これまでいろんな経験をさせてもらいましたが、うちの会社は、手を挙げればやりたいことに挑戦させてくれるところが素晴らしいと実感しています。システムについても、企画や要件定義(※4)から始まり、開発、テスト、導入推進、運用までやらせてもらえるので、プロジェクトの上流から下流までを自分の手で進めていくことができます。それに、YKKは世界各地に事業会社を持っているので、経験できることの幅が本当に広い。今、海外の基幹システムを日本に導入しようというプロジェクトを推進しているので、各国の人と議論しながら、軌道修正しつつやっていく面白さも感じていますね」。
(※4)システム開発において、実装すべき性能や機能を明確にすること
ある日のスケジュール
プライベート
会社帰りに、シンガポール時代の後輩と神宮球場で野球観戦。「日本にいた時は、よく先輩と野球観戦に出かけていたので、帰国してからまた行くようになりました。写真は2015年5月のものです。野球が好きというより、みんなでビールを飲みながら試合を観戦するのが楽しいんですよね(笑)」。
15年4月、インドネシア社から異動することが決まり、25人のスタッフがホテルの会場を借りて盛大な送別会を開いてくれた。写真の後列中央が岩本さん。「横断幕に似顔絵まで描いてくれて、感激しました! 現地社員との絆は私にとって一生の財産です。夏休みの休暇に、またみんなに会いに行こうと思っています」 。
学生時代にテニスサークルに所属していたため、現在もサークル時代の仲間や会社の同僚と週末にテニスを楽しんでいる。写真は、会社のテニス仲間と。「いいリフレッシュになりますね。この時、7つ年下の後輩に負けてしまって、悔しかった! 次は絶対リベンジします(笑)」。
取材・文/上野真理子 撮影/刑部友康