スポーツビジネスに携わる部署へ配属。サッカー部門のイベントにかかわる
もともと大のスポーツ好きで、スポーツ振興にかかわる仕事を目指した水谷さん。入社する際、「経験を積んだ後、スポーツ関連部署にいきたい」と考えていたが、新入社員研修を受けた直後、希望通りスポーツ局に配属された。
「面談時からアピールはしていましたが、すぐに配属されるとは思っていなかったので、すごくうれしかったですね! 配属後は、スポーツ局内の全部門を回る1カ月間の研修を受けました。サッカーやオリンピックなどのカテゴリ別でスポーツを担当する部門、映像の放送権を扱う部門、契約関係を手がける部門の仕事を経験。各部門がどのようにしてお金を稼いでいるのかを知る中、あらためて、“スポーツをビジネスで支える仕事ができる、やりたかったことができる”と感じましたね」
水谷さんは、公益財団法人日本サッカー協会をクライアントとするサッカー部門に配属され、指導担当の先輩についてイチから仕事を学んでいく。この部門では、ワールドカップなどの代表戦から、地域の子どものために開催するサッカー教室まで、さまざまなイベントを開催するためのサポート全般を行っているが、業務内容の幅広さに驚いたという。
「日本サッカー協会のパートナーとして、大会のスポンサーやテレビ局の要望を聞き、協会担当者やスタジアム側に話を通して細かな調整をしていくことがこの部門の仕事です。最初に経験したのは、先輩が手がけるFIFA U-20女子ワールドカップ(※1)開催の補佐。テレビ局からの要望を受けてカメラの配置プランを考えたり、スポンサーの企業ブースを配置する場所を考えたり、さらには、全体の進行スケジュール作成や関係者の駐車場の割り振り、警備体制などの調整・決定まで行い、準備を進めていきます。大会当日、テレビ局からの要望でスタジアムの照明位置を変える対応をしたり、スポンサーの希望に合わせて選手のインタビュー時に使う企業のロゴが入った背景ボードの位置を変更する先輩の姿を見て、『こんな細かい部分までやるのか』と驚きましたね」
(※1)国際サッカー連盟が主催する20歳以下のナショナルチームによる女子サッカー選手権
最初の1年間は、先輩が担当する案件を手伝いながら、プレゼンテーション資料やタイムスケジュールの作成、関係各所への支払いや入金にかかわる作業など、事務作業も多くこなしていった。さらに、関係者が移動する際の使用通路マップ、テレビカメラの配置図、駐車場内の駐車位置など、イベント運営全体に必要な資料を作成するため、事前に会場となるスタジアムまで足を運び、エリア内の状況視察や資料に使う写真の撮影なども行ったという。
「スポーツビジネスは『権利ビジネス』です。例えば日本代表戦の場合、放送権だけでも多額のお金が動く。放送権を買うテレビ局や協賛するスポンサーなどと、あらゆる面に配慮した契約を結ぶことが必要なのです。事前調整で契約内容、金銭面の折り合いをつけることはもちろん、調整後の契約書類は必ず社内の法務部や経理部に通さなければなりません。一つのイベントを成り立たせる裏には、さまざまな調整確認作業があるんだと実感しましたね。補佐として事務作業をしていく中、準備段階でどんな作業が必要なのか、誰に決裁を取って契約を通せばいいのかなど、仕事全体の進め方から社内の動かし方までを学ぶことができ、一つのイベントを構築していく方法を身につけられたと思います」
入社2年目からは、少しずつメイン担当として案件も任せてもらえるようになり、協会との打ち合わせやスタジアムの視察出張なども1人で行うようになった。
「初めてのメイン担当案件は、日本サッカー協会によるイベント『こころのプロジェクト』。日本代表として活躍したアスリートを小学校に招き、夢を持つことの大切さを語る授業を開催するイベントです。協会とスポンサー、双方の要望を成り立たせる調整を行い、イベント全体の日程調整、当日の案内・接遇まで行いました。補佐としてじっくり学ばせてもらっていたので、緊張もせず無事に終了! ようやく独り立ちできたうれしさを味わいました」
入社2年目が終わるころ、水谷さんはサッカー日本代表の試合をメインで担当することになり、大会全体の運営をとりまとめることに。また、スポンサーからの「企業専用ブースを作り、巨大な商品を展示したい」との要望に応えるため、協会側やスタジアム側との調整も行った。
「スタジアムに足を運んでロケハン(※2)し、資料を作成してから協会とスタジアムの了解を取っていきましたが、警備体制や消防のルールがあるため、スポンサーの要望通りにいかない部分も。不可能なことについての理由も説明し、納得してもらうことができました。また、試合全体の運営面では、関係者が使う駐車場や中継車をとめる駐車スペースの割り振り、車を入れる順番の調整、進行スケジュールの調整、警備体制の確認など、とにかくやることが山ほどあって、目が回るような忙しさでしたね」
(※2)ロケーション・ハンティングの略。開催地の下見や下調べ
スポンサー営業担当者と社内で打ち合わせ。日本代表戦の試合について、スポンサーエリアやブースでどんな企画を行うか話し合う。
入社3年目、日本代表の海外遠征担当に。かかわるすべての人が納得できる着地点を探す
全体の調整を進める中、水谷さんはテレビ局への対応も行う。カメラの配置プランや、選手や監督の移動経路の決定、マスコミ各社の使用エリアの配分など、一つひとつ資料を作っては、関係各所の主要人物に了解を取っていったという。
「テレビ局側からは『あの選手がウォーミングアップする姿を撮りたい』『監督インタビューはこの場所で何秒間行いたい』などの要望を受けましたが、協会側からNOと言われる可能性もある。『選手や監督には試合に集中してほしいから、邪魔にならないようにしてほしい』という協会側の思いと、多額の放送権を買うテレビ局側の『最高の映像を撮りたい』という思いの狭間で、双方が納得できる着地点を探し、説得していくことは非常に難しかったですね。それに、試合は生中継ですから、カメラの配置図に間違いがあったり、選手がカメラの前に来ないなどのトラブルがあったら取り返しがつかない。準備段階から試合当日まで、一瞬たりとも気を抜くことはできず、自分が預かる責任の重さをひしひしと感じましたね」
入社3年目、14年のFIFAワールドカップ開催前に、水谷さんはサッカー日本代表のアメリカ遠征のメイン担当を任される。2週間、現地に張り付いて日本サッカー協会のサポートとスポンサー対応を行うことになったのだ。
「通常、日本で試合を開催するときは、スポンサー担当、テレビ局担当、運営担当とそれぞれに主担当がつきますが、このときはすべてを自分一人で担当することになりました。『任せても大丈夫だと思ってもらえたんだ』と感じて、すごくうれしかったですね!」
とはいえ、1人で担当するということは、この試合におけるすべてのことを理解し、誰に何を要望されてもすぐに対応できるようにしなくてはならないということ。水谷さんは「できない」と言わないため、細かな決定事項まですべて頭に入れるよう努めた。
「僕以外に電通の担当者はいないので、どんな細かいことでも、『あれについてはどうなっているの?』と聞かれたら、即座に答えられなくてはなりません。インタビュー時の背景に使うバックボードひとつに対しても、どんな柄なのか、どこに保管しているのか、どの向きで置くのかなど、すべて把握するようにしましたね」
遠征先では、日本サッカー協会の人たちと朝から晩まで行動を共にすることになるが、そこにはテレビ局の窓口担当、選手や監督への説明役、試合の運営担当、審判のサポート係など、さまざまな部署の人がいたという。
「一番身近にいたのが僕なので、各部署からいろんなことを頼まれましたね。また、通常なら協力会社が行うはずのスタジアムとの連携まで任され、入場時に選手が歩くスピードの指定や出場タイミングの指示、それに合わせた音出しの指示などもすることに。準備から本番まで本当に忙しかったけれど、自分を頼りにしてもらえることがすごくうれしかったし、なにより『電通の代表としてしっかり仕事をしなければ』と。次々と降ってくる仕事に必死で対応していく毎日でしたが、さまざまな立場の人たちの視点で物事を判断していく中、多角的に全体を見渡せるようになり、『かかわるすべての人をハッピーにできるよう、サポートしていくことが大事なのだ』と強く思うようになりましたね」
試合当日には、「ピッチ(競技場)に置く看板の位置が違う」「試合終了後のインタビューに監督が現れない」といった想定外のトラブルに見舞われたが、現地の看板業者に対応してもらう手配をしたり、選手インタビューを先に行う判断を下すなどの対処で、何とか乗り切った。
「数万人の観客の声援が響く中、選手と同じ目線のベンチ裏に立ち、大きな感動を味わいました。僕もこの大きなイベントを一緒に作っている一員なのだと実感。思いがけないトラブルには焦りましたが、必死に対処していった結果、『僕らは調整役だからこそ、全体を丸く収めるためのサポートをしていくことが大事で、そのためにも関係各所の思いに最大限に応え、信頼関係を築くことが大事なんだ』とわかりましたね。日ごろの真摯な対応があってこそ、とっさの判断も任せてもらえるのではないかと思っています」
入社4年目を迎えた現在、水谷さんは日本代表戦をはじめ、なでしこジャパン、U-22、18歳以下のユースの大会、一般参加型のフットサル大会、子ども向けのサッカー教室など、さまざまなプロジェクトを並行して担当。最近では契約における重要な折衝なども任されるようになった。
「無理な要望があるときも、『調整役としての腕の見せ所だ』と感じ、そこにやりがいを感じますね。学生時代に過ごしたアメリカでは、スポーツがビジネスとして成立し、それによって選手がイキイキと活躍できる環境がありました。その時、『日本でもビジネスとしてもっとお金が回るようになれば』と強く思いましたが、今、まさにそうしたスポーツビジネスに携わることができている。より多くのお金を回すビジネスで、日本のスポーツ界を盛り上げ、支えていきたいと思います」
代表戦のカメラ配置プランや選手が移動するための動線についての資料を作成。また、放送権を買ったテレビ局に対する契約書の作成なども行う。
水谷さんのキャリアステップ
STEP1 2012年 さまざまな部署での研修で社内の業務を知る(入社1年目)
入社後、2カ月間の新入社員研修を受ける。企業営業担当、広告制作に携わるクリエーティブ担当、新聞・出版やテレビ局担当など、各局で活躍する先輩社員が、自分の仕事内容やビジネスの仕組みについて解説する研修で、会社の事業内容を総合的に知ることができた。また、この間にビジネスマナー研修や、営業担当社員について回る1週間の実習なども。「先輩について回り、CM撮影の現場や、クライアントへの訪問営業などを体験。また、先輩たちが社内外のいろんな人たちと話せる食事会にも連れていってくれたんです。制作に携わる売れっ子クリエーターさんなどにも出会い、多才な面白い人たちとかかわれる仕事だと感じてワクワクしましたね」。
STEP2 2012年 スポーツ局 サッカー事業室に配属され、先輩のサポートを行う(入社1年目)
スポーツ局で1カ月間の配属先研修を受けた後、日本サッカー協会をクライアントとするサッカー事業室に配属。競技団体と向き合いながら、スポンサーやテレビ局などの関係各所の希望をかなえることがこの部門の仕事。先輩の補佐をする中、クライアントへの話の通し方から書類作成のやり方、社内決裁をもらうための社内の動かし方などを学んでいった。「うちの会社の良いところは、自分に必要なこと、ためになる仕事を振ってもらえる点ですね。最初の1年間、じっくり雑務を経験したおかげで、いつ、誰に向けて何をすればいいのかを習得できたと思います」。
STEP3 2013年 大小さまざまな大会の主担当になり、案件の進め方を学ぶ(入社2年目)
主担当として少しずつ案件を任されていく。日本男子代表戦やなでしこジャパンの試合など、大きなイベントはもちろん、日本サッカー協会の希望があれば、一般参加のフットサル大会や小学生向けの大会といった小さなものまで手がけていった。協会の担当だけでなく、スポンサー3社の担当や、日本代表戦におけるテレビ局担当なども任される。また、日本代表のユーロ遠征のサブ担当を務めたり、タイの地下鉄駅を日本代表の広告でジャックするなどのPR活動などで海外出張も経験。
STEP4 2014年 日本代表のアメリカ遠征担当に。各方面の要求を調整(入社3年目)
入社3年目で日本代表のアメリカ遠征を担当した時には、スタジアムのピッチに置く看板についてトラブルが発生。10社以上のピッチ上の置き看板を配置する際、カメラ映りを気にするスポンサー側から何度も位置の変更を求められ、日本サッカー協会の担当者と共に10回もの配置変更をすることに。「何度も変更していくうちに、協会の担当者さんも自分も、どこにどれを置けばいいのかわからなくなり、一緒にスポンサーからお叱りを受けることに。あわてて現地の看板業者を手配し、スタジアム側に搬入時間の調整をお願いしたことでなんとか間に合わせることができました。あの時は本当に青ざめましたが、こうした経験の中、かかわるいろんな人たちとのより強い信頼関係ができていくものだと実感しています。今後はより大きな仕事を手がけ、スポーツ界のパイプ役になれるくらいの力をつけていきたいですね」。
ある日のスケジュール
プライベート
夏場には、同期や学生時代の友人とバーベキューを楽しむことが多い。写真は、2015年のゴールデンウィークに両国へ出かけた時のもので、左奥が水谷さん。「都内近郊のバーベキュー施設によく出かけています。週末は仲間と飲んでいることが多いですね」。
アメリカ進学時代に草野球チームに在籍。現在も、東京に戻った当時のメンバーで結成した社会人チームに参加。「写真は、14年の秋に中野区の大会で優勝した時のものです。僕のポジションはキャッチャー。電通の社内チームにも所属しているので、夏場は、月に1~2回は試合に出場します。リフレッシュできるし、いろんな人と交流できる楽しさもありますね」。
水谷さんは、小学校時代の同級生と仲が良く、その中でも、地元の愛知を出て東京で働いている友人たちと月イチで集まって飲んでいるそう。左から三番目が水谷さん。「昔からの付き合いですし、一緒に帰郷したり、旅行に出かけたりもしています。写真は、14年にみんなで新潟の佐渡島を旅した時のものです」。
取材・文/上野真理子 撮影/早坂卓也