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認定NPO法人Teach For Japan

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まつだ・ゆうすけ●代表理事。日本大学文理学部体育学科卒業。中学時代にいじめを経験し、体育教師の恩師に支えられたことをきっかけに教育の道を志す。2006年より都内の中高一貫校にて体育教諭を務めた後、千葉県市川市教育委員会 教育政策課分析官を経て、08年9月、米国ハーバード教育大学院修士課程(教育リーダーシップ専攻)に進学。09年に修了し、帰国後、外資系コンサルティング会社に入社。2012年1月、現団体を設立。著書に、『グーグル、ディズニーよりも働きたい「教室」』(ダイヤモンド社/1500円+税)が。

体育教師として勤務後、理想の教育現場を作るため、「自ら学校を作ろう」と決意

「一人ひとりの子どもの可能性が最大限に生かされる社会の実現」をミッションとする認定NPO法人Teach For Japan。松田さんは、この団体を立ち上げ、教育格差の是正を実現するため、教師派遣事業を全国で展開している。

 

松田さんが教育に対する情熱を燃やすようになったのは、中学時代にいじめを経験し、体育教師に支えられたことがきっかけだったという。

「当時は体も小さく、体育も勉強もできず、いじめに苦しんでいた自分。その時、恩師である体育教師が『どうしたら強くなれるのかを一緒に考えよう』と向き合ってくれたんです。根気強くほめてくれて、期待される喜びを知ったことで体育の授業にも真剣に取り組むようになり、やがていじめも乗り越えることができました」

 

この出来事を経て、「何かの形で恩返しをしたい」と感じた松田さんは、1人でも多くの体育嫌いの生徒をなくしていこうと考え、体育教師の道を志す。大学時代には教職課程を取得するのみならず、自ら学習教室を作り、教育への思いをより強めていった。卒業後は、東京都内にある中高一貫校の中等部にて体育教師を務めるが、ここでも「いかに実社会で役立つような教育につなげるか」を考え、自分流の授業を展開していく。

「例えば、保健体育の授業でHIVについて教える場合でも、自らがHIV検査を受けに行き、そこにどんな人が来ていて、どんな場でどう結果を聞かされるのか、そして、東京におけるHIV感染の実態はどうなっているのかなど、実社会と教科書に書かれていることを接続していこうと意識していました。楽しく英語力を身につけさせるため、体育の授業をすべて英語で行う指導方法も考案しましたし、陸上部の顧問として、部員たちに毎日欠かさず日誌を書かせ、目標を立てさせ、それにフィードバックしていく仕組みも作りました」

 

また、日々、「日本の教育をこう変えていきたい」という自分の夢を語り、夢や目標を持つことの大切さを伝えながら、積極的に学ぶ環境を作っていったという。そんな中、ベテランの教師が、学級崩壊を引き起こしてしまった原因を生徒や親のせいにする姿を目の当たりにする。

「教育においては、絶対に子どもたちが悪いということはありません。大人がプロとしてどんな授業を展開するのかが重要ですし、自ら学び続け、努力している姿勢を見せることそのものが、子どもたちにとっての学びとなるのです。私は一部のベテラン教師の教育への姿勢に不満を感じましたが、先輩の教師から『あの人も昔は熱い先生だった』と聞き、ハッとしました。最初から思いのない人などいない。けれど、組織や仕組みの中で、熱い思いを削がれてしまうのだと。この時から、『一体、どうすれば、1人でも多くの教師が熱い思いを持ち続けられる仕組みを作ることができるのか』と考えるようになり、共感してくれる仲間を集めて学校を作りたいという結論に至りました」

 

松田さんは、学校を作るため、組織の運営やリーダーシップ、マネジメントを学ぼうと決意し、さまざまな大学機関のプログラムを調べていった。その結果、「海外の大学では、教授自身が現場の最前線で活躍し、自ら理論と実践を融合させている。なおかつ、最先端の教育論とリーダーシップ論を学ぶことができる!」という結論に。

「その中でも、リーダーシップやマネジメントを学べる環境があったハーバード教育大学院を目指そうと決意しました。そこからは、仕事を終えて帰宅した後、23時から深夜2時半まで受験勉強をし、翌朝は6時から陸上部の朝練指導に出かける日々。週末も30時間は学ぶという生活を1年半続け、それこそ血尿が出るまで勉強しましたね。結局、TOEFL(R)テストの点数は入学の最低条件をクリアできるまでには伸びなかった。それでも、『教育現場の現状に対する問題意識があり、それを変えていけるような学校を作りたい』という熱い思いを小論文で伝えた結果、合格を勝ち取ることができました」

 

2008年3月、ハーバード教育大学院への留学に向け、勤めていた学校を退職するが、入学時期の9月まではまだ余裕があった。そんな中、知人から千葉県市川市の教育委員会の手伝いをしてほしいと誘われ、教育政策課にて分析官を勤めることに。

「学力テストの結果や子どもの生活習慣状況などのデータをもとに、その相関性を分析することが私の仕事。食育や運動促進などの教育政策につながるようなデータ分析をしていましたね。ここで働いたのは、ほんの4〜5カ月程度でしたが、教育委員会の中に入り、現場を肌で知ることができたのは非常に貴重な経験となりました。一般的には、教育委員会に対しては“閉鎖的”などのマイナスイメージを抱くものですが、そこで出会う人々の多くは、『もっと教育を良くしていきたい』という熱い思いを持っていたんです。組織そのものが閉鎖的なだけで、そこには頑張っている人がたくさんいる。やはり、仕組みそのものに問題があるということを再確認することができました」

 

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自分の専門知識を生かして協力したいと申し出る社会人ボランティア(プロボノ)と打ち合わせ。今後、どういった形で連携していくかを話し合う。

 

ハーバード教育大学院に留学後、コンサルタント経験を経て、2012年、Teach For Japanを設立

ハーバード教育大学院に留学した松田さんは、教育界の起業家やリーダーを養成するスクール・リーダーシップ・プログラムを受講。授業のない時間には図書館でひたすら文献や本を読み、朝から深夜まで学び続ける日々を過ごした。

「世界各国からいろんな経験をしている人々がやってくる大学なので、授業で議論を重ねる中、国の文化や背景、教育の仕組みの違いなども含め、いろんな角度の意見があると知った。非常に刺激的でしたね」

 

そして、この時期にたまたまTeach For America(TFA)の創業者であるウェンディ・コップ氏の講演会に参加したことで大きな衝撃を受ける。

「それまでは、自分で学校を作ることで教育の現場を変えていこうと考えていましたが、この組織は社会を巻き込んでそれを実現していました。それは、優秀で意欲的な人材を教師として教育困難校に2年間派遣するプログラムで、子どもたちはもちろん、教師となる人材も成長できる。プログラム修了後にはそれが一つのキャリアとして認められますし、何より、実社会に出て次のキャリアに向かう人々は、この経験を仕事に生かしながら世の中全体を良くしていこうとしていたのです」

 

自分一人で子どもたちに向き合うのでなく、また、1つの学校を作るだけでなく、学校の内側から教育を変え、社会全体を巻き込みながら新しいムーブメントを起こす。そうすれば、多くの子どもにいい影響を与えられ、社会変革のスピードを加速させることができる。

「その時、『これだ! この仕組みを日本でも実現させよう!』と決意したんです。修士論文のテーマを『日本の教育システムの中でTFAのモデルを展開することは可能か』とし、TFAの創業者にコンタクトを取りました。TFAのモデルをぜひ実現したい旨を伝えたところ、すぐに担当者を紹介してくれることになり、そこからは現場を見学したり、実際に派遣されている教師人材にインタビューを続けていきました」

 

約半年かけて分析を続けた結果、松田さんは「日本では、実現は難しい」という結論にたどり着く。

「まず、日本にはアメリカのように、NPOに継続的に寄付をするような土壌がないため、TFAのように収益事業を持たず、一般市民や企業から寄付を受けて運営をしていくことは難しい。さらに、アメリカと違って日本は新卒採用が基本であり、転職が当たり前という文化がないため、2年のプログラムに参加すれば転職先が限られてしまう状況がありました。また、教員免許がなければ教育の現場に立てないため、制度の面においても、実現は厳しいことがわかった。けれど、やれることをやり尽くさずにあきらめることはできない! 私にとって、Teach For Japanの設立は、具体的な目標となりました」

 

2009年、修士課程を修了し、日本に帰国した松田さんは、組織運営のためにビジネス経験を積もうと、世界最大級の外資系コンサルティング会社に入社する。

「コンサルタントとして、組織の人事制度の統合などを手がけていく一方、週末はTFA日本版設立に向かう準備会を開催していきました。私はそれまで自分の夢や目標をブログで発信し続けていたので、ブログを通じて知り合った仲間が集まってくれたんです。やがて、好きなものに打ち込む時間は楽しく、その方がよほど成長できることを実感。さらに、二足のわらじのままでは人はついてこないと気づいたのです。人生を懸けてチャレンジしようと考え、1年で会社を辞めて自分の夢に向かうことにしました」

 

松田さんが本気の姿勢を発信したことで、協力したいという人々が少しずつ現れる。

「大学教授や教育関係者をはじめ、いろんな人がコンタクトを取ってくれました。現在、理事やアドバイザーを務めてくれている方や初代事務局長としてフルタイムで設立に奔走してくれた仲間ともこの時期に出会えたんです。この後、実績作りのため、ボランティアを集め、学習困難な状況にある子どもたちに無償で教育を提供する学習支援事業をスタートしました」

 

この事業は東京から始まり、東日本大震災の被災地となった東北、福岡、大阪へと展開。教育委員会や学校関係者も見学に来るほどになった。

「ハーバード教育大学院の人脈ネットワークなども生かして文部科学省の担当者や100以上の市区町村の教育委員会を訪問。教員免許がなくても教壇に立てるという過去の制度を発見し、活用できるように働きかけました。また、クラウドファンディング(インターネットを通じて出資者を集める仕組み)の活用や口コミの紹介で寄付を集める一方、半年かけてビジネスプランを作成。そして、世界各国におけるTFAのモデル展開を統轄するTeach For Allという組織に加盟する条件をようやくクリアできたのです」

 

12年1月、 ついに松田さんはTeach For Japanを設立し、13年4月にプログラムを始動。現在までに全国の自治体を通じて、学校現場に教師として約40名の人材を送り込んでいる。

「16年にはさらに20〜30名を派遣する予定です。第1期の派遣教師卒業生からは、『素晴らしい体験だった』『当事者意識を持てるようになった』などの声をもらいましたし、教育機関との信頼関係も築くことができました。現場で、教師はもちろん、子どもたちがいい顔で学ぶ姿を見る瞬間に、大きなやりがいを実感しますね。今後も、いい先生がつぶされないコミュニティを作り、子どもたちのためになる環境と仕組み作りに貢献し、すべての子どもたちが教育を受けられる世界の実現を目指していきます」

 

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スタッフとミーティング。今後のイベント準備や採用活動に向け、課題や必要事項をみんなで共有する。

 

松田さんのキャリアステップ

STEP1 2006年 体育教師時代(社会人1年目)

都内の中高一貫校にて体育教師を務める。陸上部の顧問も務め、部員自らが目標設定をし、そこに向かう行動をさせるような仕組み作りに尽力し、都大会の常連にまで導き、全国大会への出場も果たす。また、ハーバード教育大学院への留学を決意して以降は、有言実行に向かうため、あえてブログでその目標を発信。生徒たちの前でも「先生はハーバードに留学する!」と夢を語り続けた。「当時、受け持っていた生徒が講演を聴きに来てくれたり、インターンシップ生として入ってくることもあり、これまでに40名以上と再会しています。みんな『先生の言葉が支えになり、今、こんな目標を持って頑張っている』『先生がハーバードに本当に行くとは思っていなかったけど、それを実現した姿に大きな影響を受けた』などと言ってくれて、すごくうれしいですね。自分がどんなことを話したのか、一つひとつの言葉は覚えていませんが、やはり子どもたちは教師のことを見ているものなのだと強く感じます」

STEP2 2008年 ハーバード教育大学院時代(社会人3年目)

体育教師として働きながら勉強を続けた結果、コロンビア大学、ウィスコンシン大学マディソン校など、複数の大学院から合格通知をもらったが、授業のカリキュラム内容の魅力と、1年で修士課程を修了できることからハーバードを選択。「日本とアメリカの大学教育の違いに驚きました。アメリカの授業スタイルは、日本のように理論を学ぶ場ではなく、発表や議論を通じて知識や経験を共有する場。理論は各自が予習してきた上で、事前にインプットした内容を授業でアウトプットして初めて身につくものなんです。そこで相手にインパクトを与えると同時に、自らも積極的に意見を伝えなければ存在価値は認めてもらえません。もともと英語が得意だったわけでもなかったので、予習には苦労させられましたが、自分の考えを発表し、議論を交わしていく授業そのものは非常に楽しかったですね」

STEP3 2010年 外資系コンサルティング会社時代(社会人5年目)

帰国後、外資系コンサルティング会社に勤務し、人事関連のコンサルタントとして活躍。当初は3年かけて組織運営に役立つ経験を積もうと考えていたが、1年で退職。仲間と一緒に「Teach For Japan 準備会」を設立し、Teach For Allネットワークに加盟するため、団体の基盤作りとビジネスプラン設計に多くの準備の時間を費やす。「会社を辞めずに二足のわらじでやっていた間も、準備会で開催する勉強会を続けていましたが、メンバーとの意識の違いがどんどん大きくなっていきました。そんな中、メンバーの1人が『持てる時間と力をすべて注ぎ込むから、自分にTFJの立ち上げをやらせてほしい』と宣言し、それを支持する人たちもいた。ショックでしたが、人を巻き込んでいくリーダーとして信頼されるためには、退路を断ってすべてを懸けるほどの本気を見せなくてはならないのだと痛感。このおかげで、こちらの活動1本に絞ってやっていこうと決断することができましたし、人生を懸けてやっていく姿勢を示したことで、多くの人に協力してもらえるようになったと感じます」

STEP4 2012年1月 Teach For Japan時代(社会人7年目)

2010年8月より、学習支援事業Learning For Allをスタート。社会福祉士・ケースワーカー・教育委員会と連携し、まずは放課後を活用した学校外での学習支援プログラムを開始。生徒30名、教師10名からスタートしたプログラムは現在、年間40拠点、831名の児童生徒、298名の学生教師が参加するプログラムに成長している。11年、学校現場に2年間人材を派遣する「Next Teacher Program」のパイロット版プログラム(1年間)を、連携先の教育委員会と一緒に実現。12年1月、Teach for Allのネットワークに加入。資金調達、職員採用、フェロー(教育現場に送り込む教師人材)採用、研修開発など本格的に教師の紹介事業をスタートし、13年に11名のフェローを関東・関西の小中高校に送り込む。「フェローとしてこのプログラムに取り組んでいる人は、商社などの企業に勤務していた人、文部科学省の人、塾講師、アスリート、NPO団体の出身者などさまざまです。日本の現場では、中間層を支えるミドルエイジの人材が少ないので、フェローとして採用するのは若者だけでなく、幅広い年齢層としています」

ある日のスケジュール

7:30 子どもを保育園に送ってから区役所に移動。用事を済ませた後、移動しながらメールチェック。
9:30 出勤。金融機関の担当者と今後の資金調達について打ち合わせ。
10:00 電話で教育委員会の担当者とミーティング。
11:00 Teach For AllのWeb会議に参加。各国の団体の状況について情報共有。
12:00 雑誌の取材を受けた後、移動。
13:30 文部科学省を訪問し、ケネディ駐日米国大使を招くイベント企画について打ち合わせした後、移動しながら簡単な昼食を取る。
14:30 オフィスに戻り、資料作成などのデスクワーク。
15:00 スタッフと教育委員会の担当者とミーティングした後、フェローの採用活動ミーティング。
17:00 パートナー企業との連携施策について検討した後、人材会社の担当者とスタッフ採用についての打ち合わせ。
19:30 保育園に子どものお迎え。帰宅後、入浴、食事の世話をした後、寝かしつける。
21:30 メールチェックをした後、NPOのつながりの仲間とオンライン飲み会。スカイプの前で飲みながら互いの近況を語り合った後、24時に就寝。

プライベート

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コンサルタント時代の同期とは、定期的に飲みに出かけている。写真は、2014年7月のもの。左から2番目が松田さん。「お互いの目標や、それに向かっていく進捗を共有しあってます。同期メンバーの半数はすでに会社を卒業していますが、それぞれが自分のフィールドで頑張っている姿はとても励みになります」。

 

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高校時代の恩師や同級生との関係も大切にしている。写真は、2014年3月のもの。「勉強ではお互いに超劣等生だった同級生と一緒に、恩師に近況の報告をしました。同級生は20代で一部上場企業の部長になり、自分は起業家。『勉強ができなかった自分たちが社会で頑張り続けられるのはなぜだろうか』など、教育論を交えることもあります」。

 

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起業家仲間やTFJ職員と一緒にバブルサッカー(空気で膨らんだ丸く筒状で透明なバブルの筒の部分に上半身を入れ、動きが不自由になった状態でサッカーをプレイするスポーツ)を楽しんでいる。「プライベートでは、新しいスポーツにチャレンジすることを大切にしています」。写真は2014年10月に撮影したもの。

 

取材・文/上野真理子 撮影/刑部友康


周防正行

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すおまさゆき・1956年東京都生まれ。81年立教大学文学部仏文科卒業。在学中から映画の現場に入り、84年成人映画『変態家族 兄貴の嫁さん』で監督デビュー。89年『ファンシイダンス』で一般映画を初めて監督する。92年『シコふんじゃった。』で日本アカデミー賞最優秀作品賞を受賞。96年『Shall we ダンス?』で日本アカデミー賞13部門独占受賞。以降の作品に『それでもボクはやってない』(2007年)、『ダンシング・チャップリン』(11年)、『終の信託』(12年)、『舞妓はレディ』(14年)。11年から13年までは法制審議会の「新時代の刑事司法制度特別部会」の委員も務めた。

「所詮、映画でしょ」とは言わせないものを作りたい

僕は映画のネタ探しはしません。ネタを探すと映画を作りやすいように現実を見てしまいそうで。そうならないよう、まずは僕自身が関心を持ったこと、知りたいことを取材し、うまくいけば映画になるという感じでやってきました。ここ10年ほど関心を持ち続けているテーマに「刑事司法」がありますが、そのきっかけは、痴漢事件で逆転無罪判決が出たことを報じた新聞記事。被告人の友人たちが弁護団に協力して裁判を闘ったと知り、単純に感動的な話だなと思ったんです。ところが事件の当事者にお話をうかがったり、痴漢えん罪を訴える人たちの会に参加してみると、日本の刑事裁判というものが僕のイメージしていたものとは大きく異なることがわかり、ショックを受けました。

 

例えば痴漢行為を疑われた人が勾留(罪を犯したと疑うに足りる相当な理由のある者で、住所不定ないし証拠の隠滅または逃亡のおそれがある者を一定期間拘束すること)されると、否認を続ける限り、多くの場合、裁判で被害者証言が終わるまで釈放されることはありませんでした(注:最近の痴漢事件では、否認すれば必ず長期間勾留されるというわけではないと言われている)。裁判で無罪を立証したくても、自ら動いて証拠を集めることができず、裁判の知識がないために適切な弁護士を依頼することもできず、最終的には被害者証言のみで有罪判決が下るというケースが多かった。一方、逮捕後すぐに罪を認めると、前科がついて数万〜数十万円の罰金を払うことになりますが、うまくいけば会社にも家族にも知られずにすみます。勝つ見込みのほとんどない裁判を長期間闘うよりも早く解放されたいと、被告人が虚偽の自白をすることもあります。そんなおかしなことがあるのかと思いますよね。でも、実際にあるんです。

 

刑事司法について調べれば調べるほど疑問が生まれ、「これは映画にしなければ」と撮ったのが『それでもボクはやってない』です。取材には3年半かかりました。刑事裁判を200回以上傍聴し、何人もの弁護士のお話を聞き、数百冊の専門書を読みました。その末に嫌というほど思い知らされたのは、日本の司法実務では必ずしも人権が守られているわけではないという現実です。映画公開後も問題意識は消えず、2011年から14年まで法制審議会の特別部会「新時代の刑事司法制度特別部会」の委員を務めました。近年検察の証拠改ざんが明るみに出たり、「足利事件」のえん罪を認める判決が出るなど刑事司法の世界の不祥事が社会問題になる中、制度改革の必要性が指摘されて設置された部会でした。

 

この部会で僕が主張したのはおもに、否認していると勾留される「人質司法」と呼ばれる勾留の適正化、検察官に証拠隠しをさせないための証拠の事前全面一括開示、不正に調書が作られないようにする取り調べの録音・録画。刑事司法の取材を重ねる中で大きな疑問を感じており、最低でもこれだけは何とかしなければと、同じ意見を持つ委員の皆さんと一緒にできる限りのことをしたつもりです。しかし、従来の取り調べ方法に肯定的な方々との議論はかみ合わず、この部会の議論を基に作られた関連改正法案に大きな改革は見られませんでした。不本意ですが、嘆いていても何も変わりません。多くの人に日本の刑事司法の世界で起きている現実を知ってほしいと、この会議での体験を『それでもボクは会議で闘う』という本に書きました。

 

新聞などのマスコミでは「拘留(刑罰の一種で、1日以上30日未満の期間、刑事施設で身柄を拘束すること)」と区別するためなのか何なのか「勾留」を「拘置」としたり、「被害者」と音が似ていることから「被疑者」を「容疑者」とするなど法律用語にはない言葉を使うことがあります。でも、この本では耳になじみのない法律用語もあえてそのまま使いました。一般の人にはわかりにくい言葉で行われているのが刑事司法の現場で、もし、僕たちが罪もないのに疑われて裁判を受けることになったら、そんな言葉が飛び交う場で闘わなければいけない。その現実を伝えたかったからです。

 

映画『それでもボクはやってない』を撮る時も、「日本の裁判とはこういうものですよ」ということを僕が見たままに、間違いなく、正確に伝えたいと思っていました。そのための取材を通して、これまでの映画やドラマで描かれている裁判と現実があまりに違うことに驚きました。例えば、よく裁判官が小槌をたたいて「静粛に」というシーンがありますが、日本の裁判官は小槌を使いません。

 

映画やドラマを作るときは法律の専門家が監修しているはずなのに、そんなことが起きるなんてひどいなと感じました。その話をある弁護士さんにしたら、「だって、所詮、映画でしょ」と言われたんです。彼に悪気はありません。ただ、その「所詮映画」に僕は子どものころから心を揺さぶられてきました。僕にとっては大事なものですから、「どうせ作り物なんだから、多少はうそがあってもいい」という姿勢にはなれません。もちろん、誰もが「うそ」だとわかるものを、見る人を楽しませるために描くやり方もある。でも、刑事司法という社会的影響の大きなテーマでうそを伝えるわけにはいかない。作り手と観客との間には約束事というのがあって、それを裏切ってはいけないという責任が僕にはある。だから、「所詮映画」とは言わせないものを作ろうという思いは常に抱いています。

 

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世界はあなたが考えるよりずっと広い。それを覚えておいてほしい

映画をのめりこむように見始めたのは高校時代。テレビドラマも小学生の頃からよく観ていて、特に山田太一さん脚本の作品が大好きでした。子どものころから打ち込んでいた野球で挫折し、一体これから何をやったらいいんだろうと思っていた当時の僕にとって、映画やドラマは人生のよりどころとも言っていいもの。それだけに映画を難しく考え、自分が映画を撮ることなど考えたこともありませんでした。

 

映画を撮りたいと思うようになったのは、大学の一般教養課程で映画評論家の蓮實(はすみ)重彦さんの講義を受けた時に「映画は読むものではなく観るもので、映っているものがすべて」というお話を聞き、自分にも撮れるかもしれないと思ったのがきっかけです。「映っているものがすべてなら、僕自身が興味を持ったものを素直に撮れば、映画になる。それならできそうだ」と都合よく解釈したんです。

 

就職活動の時期になり、どうやったら映画の世界に行けるだろうと調べましたが、助監督を募集していたのは日活だけで、過去に採用された人たちを見ると、東京大学をはじめとする国立大や一流私大の卒業生ばかり。僕には無理だと思いました。そんな時に、当時スタッフとしてお手伝いしていた小劇団の女優さんから、映画監督の高橋伴明さんが彼女のアルバイト先によく来ると聞いて。新宿・ゴールデン街のバーで伴明さんに頼み込んで、成人映画の制作現場に出入りするようになりました。

 

最初の1カ月半は電話番で、助監督としての初仕事は、監督の「カット!」の声を聞いたら、裸の女優さんにタオルをかけること。3年ほどでチーフ助監督になりましたが、ひとつの作品を撮るために2カ月昼夜問わず働いて、ギャランティは7万円。当時喫茶店のウエイターのアルバイトが時給400円ほどでしたから、喫茶店のアルバイトの方が圧倒的に高給でした。それでも、本気でモノ作りをしている人たちに囲まれて仕事をするのが楽しかった。ただ、成人映画というのは撮影場所ひとつ探すにもひと苦労で、やむを得ず「学生の自主映画です」などと撮影場所の管理者にうそをついて撮影をすることもありました。作り手側はジャンルが何であれ、気概を持って作品を作っているのに、世間にうそをつかなければいけない。それが苦しくて。映画の現場に入って5年目に「そろそろ1本、監督をやってみる?」と言われたのですが、実はその時には「この1本を好き放題やって、もし監督の仕事に魅力を感じなかったらやめよう」と考えていました。

 

ところが、いざ作品を撮ろうとすると、「好き放題」どころか何を撮っていいのかわからない。映画への憧れだけでこの世界に入り、自分が何を撮りたいのかを突き詰めてこなかったことに気づいて途方に暮れました。しばらく「どうしたらいいのかな」と考えて、立ち返ったのが「自分の興味を持った世界を撮る」という映画監督を志した原点。自分の一番好きなものを撮ろうと決め、完成したのが『変態家族 兄貴の嫁さん』。敬愛する小津安二郎さんの監督作品を研究し、その撮影作法を徹底的に模倣した作品です。

 

5日間ほとんど寝ずに撮影しましたが、監督として自分の意思ですべてを決定して作品を撮るのは楽しかったです。世界がバラ色に見えるほど(笑)。おまけに恩師の蓮實さんが批評でほめてくれ、若い映画ファンや映画関係者が劇場に足を運んでくれました。その後しばらくして伊丹十三監督作『マルサの女』のメイキング番組の話が来て成人映画から離れ、32歳の時に『ファンシイダンス』で初めて一般映画の監督をしました。

 

以後、廃部寸前の弱小相撲部に入ることになった大学生の奮闘ぶりを描いた『シコふんじゃった。』から2014年に公開された舞妓を目指す少女の成長物語『舞妓はレディ』に至るまで、僕の作る映画は「物事はやってみないとわからない」という話ばかり。それは僕自身の経験したことそのものです。大学に入ったころは映画監督になれるなんて思ってもいなかったし、成人映画の現場にいた時は、自分が今のような作品を撮るなんて想像もしていなかった。でも、いろいろな人と出会い、いろいろな仕事を経験していくうちに、自分が何に興味を持っているのか、それをどう深め、アウトプットしていくのかを少しずつ学んでいったんです。

 

僕たちの時代ですら「情報化社会」と言われていたのに、今は当時の比ではないほど情報があふれていて、何もやらなくても世界を知った気になってしまいがちです。でも、よく若い人たちに言うのは「世界はあなたが考えているよりずっと広い」ということです。世界は学生時代までに得た知識や情報では計り知れないほど広い。本当にいろいろな人がいて、仕事を含めいろいろな場があるから、そのことを覚えておいてほしい。初めから「こんなもの」と決めつけず、何にでも向き合ってみることが大事なのではと思います。

 

幸運なことに僕は自分のやりたいことをやり、それを今のところは何とか収入に結び付けられています。収入になるというのは、自分のやったことが人に必要とされているということですよね。映画を撮るにしても、本を書くにしても、見たり、読んでくれた人の反応がなかったら、きっとできない。スルーされていたら、次を作る意欲はなくなると思うんです。見てくれる人がいる、読んでくれる人がひとりでもいるという実感。もう本当に、それが最高の喜びなんですよ。自分が誰かの役に立っているとか、感謝をされているとか、必要とされているという実感というのは、生きるモチベーションになる。仕事というのはその実感を得られる一つのツールだと思います。

 

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INFORMATION

周防さんが法制審議会の委員会で活動した3年間をつづった『それでもボクは会議で闘う—ドキュメント刑事司法改革』(岩波書店/税抜き1700円)。警察や検察の取り調べを改革するための法案づくりが会議の最終目的で、テーマは多岐に及んだが、本書では「取り調べの録音・録画」「証拠の事前全面一括開示」「人質司法と呼ばれる勾留の適正化」の3点について改革を進めようとする周防さんと、現状に肯定的な警察・検察関係者との議論の一部始終がつまびらかにされている。

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取材・文/泉彩子 撮影/鈴木慶子

大学1年生に聞きました。 日本の政治・経済で、今、一番気になっていることは?

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日本の政治・経済で、気になっていることはありますか?

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大学1年生に、日本の政治・経済で気になることがあるかどうかを尋ねたところ、8割以上の学生が「ある」と回答し、多くの学生が日本の政治・経済に関心を持っていることがわかった。属性別に見ると、理系学生よりも文系学生の方が、関心がある学生の割合が高い傾向が見られた。

 

 一番、気になっていることは何ですか?(複数回答)

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次に、一番、関心があることについて尋ねたところ、半数以上の学生が、2015年10月5日からスタートした「マイナンバー制度」と回答し、同9月19日に成立した「安全保障関連法」も、4割以上に達した。次いで、「消費税増税や軽減税率」も、約2割の学生が関心を示した。「その他」では、「TPP(環太平洋パートナーシップ)協定交渉」といった声が複数聞かれた。

 

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安保関連法が強行採決された時に、国会での議論を尽くさずに成立させたことを疑問に感じたから。(理工学部・男子学生)

 

私たちの世代は、将来、年金をもらえないかもしれないので、社会保障問題が気になる。どっちみち保険料は支払わなければならないし…。(法学部・女子学生)

 

北朝鮮拉致問題。いつまでたっても解決しないから。(工学部・男子学生)

 

来年に消費税が10パーセントに上がるのに、軽減税率を設けるかどうかなど、決まっていないことが多すぎると思います。(国際文化学部・女子学生)

 

マイナンバー制度は、すぐに自分にかかわってくるので、知っておかなければならない気がするから。(文学部・女子学生)

 

安保関連法。日夜テレビなどで抗議活動の様子が放映され、国家に関する非常に大きな出来事だと感じたから。(外国語学部・男子学生)

 

社会保障問題。特に介護保険制度は、高齢化の進む日本社会にとって重要な課題だと思う。(医学部・女子学生)

 

尖閣・竹島・北方領土問題が気になります。歴史と深くかかわっていて、各国の主張に興味があるので。(人文学部・女子学生)

 

マイナンバー制度が導入されて、自分の個人情報が漏れないか心配。(経済学部・男子学生)

 

安保関連法。あれだけ国民の意識が政治に向いた瞬間は久しぶりだったかも。反対を押し切って強行したようにも見えたが、多くの人が政治に関心を持ったことに変わりはなく、決して無駄にはならないと思うから。(文学部・女子学生)

 

インフラの老朽化問題。橋やトンネルなど、高度経済成長期に造られたインフラが、確実に老朽化しており、対策を急がないといけないから。(工学部・男子学生)

 

TPPで日本の農業が危機にさらされること。食料自給率の低下を招きかねず、国の根幹を揺るがす問題だと感じる。(工学部・女子学生)

 

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安全保障関連法が成立し、マイナンバー制度がスタートしてすぐの調査だったせいか、みんなの関心が政治・経済に向いていた時期だったようだね。2014年の年末の調査のときは、気になることが「ある」と答える人の割合は7割台だったから、8割を超えた今回は、そのときよりもさらに関心が高まっているということかも。政治・経済の問題は、私たち一人ひとりの暮らしに大きくかかわっているし、社会の一員としても知っておくべきことだから、普段からアンテナを張って、関心を高めておきたいね。

 

文/日笠由紀 イラスト/中根ゆたか

コンサルティング会社内定 東京大学大学院 西尾 周さん

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就活データ
志望業界:コンサルティング会社、投資銀行 説明会参加:8社(うち合同企業説明会1回) 先輩訪問:0人 エントリーシート提出:9社 面接:9社 内定:1社 活動費用:約1万2000円(交通費1万円、証明写真代2000円。スーツは予備校チューターのアルバイトで使用していたものを流用し、カバンは普段から使っているものをそのまま就活でも使用したため、費用を抑えることができた)

 志望していた2つの業界から、どちらも内々定が。最後の決め手は人の雰囲気だった

6年制薬学部の学生は薬剤師になる人がほとんどですが、僕が入学したのは4年制の薬学部。多くの学生は大学院まで進学し、大学もしくは医薬品メーカーをはじめとする企業での研究者になっています。僕も大学に入った時からなんとなく研究者になるんだろうと思っていましたが、4年生、大学院1年と研究を進めていくに従って「本当にこのまま研究者になっていいのだろうか?」という疑問を持つようになりました。学校に行って実験をして帰るという同じ毎日の繰り返し。研究内容についてはもちろん詳しくなっていきましたが、人として成長している実感を持つことはできませんでした。それに、自分の研究成果が実用化されるまでには一体どれくらいの年数がかかるのだろうか…。そもそも、どれくらいの確率で実用化されるのだろうか…。今自分がやっていることが本当に世の中の役に立つのか疑問に思えてきましたし、見えないものに向かって努力するのは自分には合わないと思うようになりました。

 

そして民間企業の就活を行うことを決意し、大学院1年の6月にインターンシップの情報収集をスタート。友人に誘われて、外資系企業だけの合同企業説明会にも行きました。特に「外資系企業で働きたい」と思っていたわけではありません。ただ、外資系企業の方が採用活動の時期が早いことは知っていましたので、できるだけ早く自分の将来を決めたくて外資系企業に注目していたのです。

 

研究職を目指すことを辞めた理由の裏返しで、企業選びの軸は「自分が成長できる」、そして「世の中に大きな影響を与えることができる」の2つでした。これらの条件に該当するのはコンサルティング会社と投資銀行だと思い、この2つの業界で6社のインターンシップに参加。ほとんどのインターンシップは3~5日間程度。コンサルティング会社では「この企業の利益を上げるには?」、投資銀行では「この企業にはどのような買収提案をするか?」といったテーマが与えられ、グループで考えて最後に発表するという内容でした。

 

そして、グループワークの前には、その業界のことを知るための講義を受講。理系の研究はしてきたものの経済のことはよく知らなかった僕にとっては、とてもありがたい内容でした。半日くらいの講座が多かったのですが、ある投資銀行は「株とは何か?」「債権とは何か?」といった基本的な知識から「投資銀行は何をしているか?」といった業界の構造までわかりやすく教えてくれて、その講座に参加しただけで金融のことを会話できるくらいになれたほどです。

 

そんな中、実は1社だけ研究職のインターンシップに参加しました。大学の研究と企業の研究が違うのは知っていましたので、もしかしたら企業の研究は面白いと思えるんじゃないかと思って…。結果的には、企業の方が実用化に近い研究をしているものの、やはり日々やることは同じだということがわかりました。ほんの少しだけ研究職になる可能性を残していたのですが、このインターンシップに参加したことでその可能性はなくなってスッキリ。コンサルティング会社と投資銀行の就活に集中できるようになりました。そして11月からは投資銀行の説明会参加とプレエントリー、12月には面接が開始。投資銀行は大きいところはほとんど受けていましたが、インターンシップで金融の基礎講座を実施してくれた投資銀行の選考が進んだ時点で、ほかの投資銀行は辞退。やはり丁寧に教えてくれたことで、その銀行に対する志望度が高くなっていたからです。

 

一方で、コンサルティング会社は10月にもう1社インターンシップに参加し、その後、選考を受けて内々定を頂くことができました。12月時点でコンサルティング会社と投資銀行でそれぞれ1社ずつの選択肢を持っている状態になったわけです。そして、そこから僕の葛藤が始まりました。どちらも本当に行きたいと思っていたので簡単には選べません。そこでまず表を作り、2社を比較するための項目を書き出しました。そしてそれぞれに点数をつけていき、集計したんです。

 

しかし最初から表がきれいに埋まるわけではありません。コンサルティング会社から内々定を頂いてからの1カ月間は両企業の社員と何度も面談していましたので、そこで表に足りていない情報を聞き出して埋めていきました。そして表が完成。ところが、いざ点数を数えてみても、どちらもほぼ同じで、結局この方法では決めきれませんでした。企業には待っていただいている状況で、自分はまだ選べない…。どちらも激務なことはわかっているので、面白くない方を選んでしまったら相当後悔するだろう…。毎日、本当に苦しかったです。

 

結局、最後の決め手は社員の雰囲気でした。投資銀行はガツガツしていて体育会系と言いますか、パワーで押し切って仕事をしているイメージがあった一方で、コンサルティング会社の方はおだやかな人が多いと感じました。理系で研究をしてきた自分には、後者の方が向いていると思ったんです。

 

 論理重視の志望動機と気持ち重視の企業選択で、後悔なく就活を終えられた

大学院1年の夏のインターンシップでは、15社くらい選考を受けて5社しか受かりませんでした。そして、11月の投資銀行の本選考を受ける時に当時を振り返ってみたところ、論理立てて考えるということができておらず、面接で「なぜ?」と聞かれても曖昧なことしか答えられていなかったことに気がつきました。

 

そこからは、論理を組み立てることをかなり意識して面接の準備をしましたね。大事にしていたのは、自分のやりたいことよりも、相手の業界や企業のことをきちんと理解し、それに合わせた志望動機を作るということ。コンサルティング会社も投資銀行も、「なぜこの会社なの?」「この業界で働く上で必要なことって何だと思う?」「自分が入ったらどこにどのような提案をしてみたいですか?」など、本当にその業界、会社、仕事内容を理解していないと答えられないような質問ばかりされていたからです。

 

このような質問に答えるためには、ホームページで調べて表面的な理解をしているだけでは不十分。そこで、懇親会や面接の最後に質問をして、実際にそこで働いている人からしか得られない情報を聞き出すようにしていました。そして、その情報を基に、「御社はこういうことをしていますよね。ですから私は御社に入ってこういう領域の、こういう仕事をしたいんです」といった論理で志望動機を組み立てていく。もちろん「自分が成長したい」「世の中に影響力のある仕事がしたい」という自分の希望はありましたが、あくまでも相手の企業のことを分析した上で、それに合わせて自分の希望をつなげていったのです。

 

でも、そうやって相手の企業の仕事を第一に考えて志望動機を組み立てていったがゆえに、最後の最後で内々定を頂いた2社のどちらも「入りたい」と思える強固な論理ができあがっており、選べなくなってしまったのだと思います。自分の希望から出発した志望動機ではなかったので…。でも、最後は自分の気持ちと向き合ったところ、「そこで働く人の雰囲気で選ぶ」という軸が見え、入社先の企業を選ぶことができました。今はまったく迷いや後悔はありません。そこでどうやって活躍していくのかを考えるのみです。

 

低学年のときに注力していたことは?

大学1年から3年まで、予備校でチューターのアルバイトをしていました。チューターの主な仕事は高校生の相談に乗ったり勉強のアドバイスをしたりすることですが、保護者の方と話す機会もよくありました。その予備校では多くの講座が開講されていましたので、自分の子どもにどの講座を受けさせるのが良いのかを相談されることが多かったです。

 

保護者の方を相手にアドバイスするときは、「お子さんは今こういう状況で、ここが苦手です」「この大学に入りたいならここは押さえておく必要があります」など、論理立てて話す必要がありましたので、その経験が就活に生きたと思います。それに年上の人と話すことに抵抗感がなくなりました。

 

就活スケジュール

大学院1年6月
インターンシップの合同企業説明会に参加
研究職は自分には向いていないと思い、民間企業の就活をすることを決意。友人に誘われ、外資系企業のみの合同企業説明会へ参加。「成長できる」「世の中に影響力のある仕事ができる」という軸から、コンサルティング会社と投資銀行を志望するように。
大学院1年8月、10月
インターンシップに参加
8月はコンサルティング会社1社と投資銀行4社、10月はコンサルティング会社1社のインターンシップに参加。どのプログラムも、グループワークをして最後にプレゼンをするという内容だった。
大学院1年11月
投資銀行の説明会に参加
大手の外資系投資銀行は、ほとんど参加した。
大学院1年12月
投資銀行の面接に参加
投資銀行は第1志望の企業の選考が進んだ12月時点でほかはすべて辞退。ほぼ同時期に10月にインターンシップに参加したコンサルティング会社から内々定が出た。
大学院1年1月
内々定承諾
1カ月間、投資銀行かコンサルティング会社かで悩む。表に比較要素を書き出し点数をつけたこともあるが、最後は社員の雰囲気が自分に合っているかどうかでコンサルティング会社を選択。

 

就活ファッション

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スーツと靴は、予備校でチューターのアルバイトをしていた時に使用していたものを使用。カバンも就活時にスーツ用のものを購入するのではなく、普段使っている肩からもかけられるタイプの黒いバッグをそのまま就活でも使った。ネクタイは3色用意し、その日訪問する企業のコーポレートカラーに近いものを着用していた。

 

取材・文/芳野真弥 撮影/鈴木慶子

株式会社ベストホスピタリティーネットワーク

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いいづか・あや●ホテル インターコンチネンタル 東京ベイ ゲストサービス部 フロント スーパーバイザー。埼玉県出身。31歳。早稲田大学商学部卒業。2008年入社。学生時代からホテル業界に興味があり、社会人になる前に現場を経験しようとアルバイトをしていた。現在、夫と2人暮らし。

ホテルスタッフはゲストのサポーター。いい滞在だったと振り返ってもらえるようなサービスを提供する

羽田空港から30分。JR山手線浜松町駅も近く、東京湾のレインボーブリッジを一望できるホテル インターコンチネンタル 東京ベイ。世界約100の国や地域で4900軒以上のホテルを展開するインターコンチネンタルホテルズグループの一つで、和と洋の要素を織り交ぜた高級感のある内装デザインに、常連客も多いのが特徴だ。飯塚さんはそのホテルの顔となるフロントスタッフとして、日々多くのお客さまと接している。

 

学生時代から、ホテルのロビーでお客さまを案内するベルスタッフとして、アルバイト経験を積んできた。子どものころ、旅行先でホテルに足を踏み入れた時の非日常感が好きで、「いつまでも人の記憶に残る場所」で働きたいと思っていたという。

「常連のお客さまから『いつも頑張っているね』などと、声をかけていただくたびに、お客さまにより心地よいサービスを提供できるようになりたい、と思いました。数あるホテルの中でも、ホテル インターコンチネンタル 東京ベイを運営する株式会社ベストホスピタリティーネットワークは、採用担当者も若手の方が多く、これからもホテルをどんどんよくしていこうという勢いを感じました」

 

入社するとフロント業務に配属され、チェックインやチェックアウト、お部屋からの問い合わせ対応など、お客さまの宿泊全般に関するサービスを担当。7月中までは「トレーニー(研修生)」というバッジをつけ、上司や先輩に業務を教わりながら仕事を覚えていった。一人前のホテルスタッフとしてお客さまの前に立つのは8月。毎年この時期には、東京湾の華火大会が開催され、部屋は常連のお客さまで満室になる。新入社員にとっては、初めての大イベントになるという。

「ホテルの全スタッフが、毎年いらっしゃるお客さまのお顔とお名前を把握している中、一目見て名前が出てこないのは私だけでした。フロントでは、チェックインにいらっしゃるお客さまのお名前を、隣についた先輩が耳元でささやいて伝えてくれるのですが、毎年当ホテルをご利用いただいているお客さまに失礼があってはならないと緊張しっぱなし。一日を終えた時の疲労感と安堵感を今でも覚えています」

 

年末年始にも、お正月をホテルで過ごす常連のお客さまで満室となり、フロントは再び緊張感に包まれる。実践的な接客経験を重ね、2年目、3年目には「いつもよくしていただいて、このホテルに宿泊するたびにお話しするのが楽しみです」と常連のお客さまから声をかけられるようになっていった。

 

現在は、フロント業務のスーパーバイザー(SPV)として、20階以上の特別フロアの部屋に宿泊するお客さまへの対応をメインで行うほか、フロントスタッフが接客でわからないことが出てくれば、次に何をすべきか指示を出すなど、臨機応変な現場判断も飯塚さんに任されている。お客さまからのクレームやトラブルが生じた際には、責任者として謝罪することも多いため、現場経験に加え、お客さまとの距離感、お客さまが何を要望しているのかを瞬時に理解する力など、総合的なコミュニケーション力が必要とされる。2014年からSPVに配属された飯塚さんだが、実はその前の2年間は、ホテルの現場から離れていたという。

「5年目に退社し、サンディエゴ(アメリカ・カリフォルニア州)で語学留学とインターンシップを経験していたんです。フロント業務をしている中で海外のお客さまとコミュニケーションをとる機会が増え、自分の語学力に限界を感じるようになりました。20代のうちに英語力を磨こうと、語学留学ののち現地のコンサルティング会社でインターンシップを経験。帰国後に当社から『これまでの経験を生かして、SPVのポジションで働かないか』とオファーがあり、ありがたく引き受けることにしました」

 

SPVになると、自分が直接対応していないお客さまに対しても責任を持つ必要が出てくる。出勤するとまず、夜勤スタッフからの引き継ぎ内容に目をこらし、その日に起こりうる可能性のあることをすべてシミュレーションするという。

「例えば、お部屋の準備が整っていない時間帯にお客さまがご到着の際に、どの部屋なら即お通しできるかを判断するのもSPVの役割。お通ししたお部屋に不備があれば、その時点で空いている部屋はどこで、どちらの部屋になら変更できるかなど、“ルームコントロール”の全責任を持っています。今日は何組のお客さまのチェックイン、チェックアウトがあるのか、事前にわかる情報はできる限り頭に入れ、急な対応にも焦ることがないよう準備します。あらゆる要望や問い合わせが集中するフロント業務は、いわばホテルの中枢。フロントサービスのレベルアップがホテル全体の質向上につながると考え、スタッフのお客さま対応について気がつくことがあればすぐアドバイスをするようにしています」

 

ホテルスタッフとして日々心がけているのは、お客さまとの適度な距離感。名前を覚えてもらったり、こんなことをしてもらったと個別に感謝されることはうれしいが、スタッフはあくまでも“ゲストのサポーター”だと飯塚さんはいう。

「大切なのは、滞在中に心地いい時間を過ごせたかどうか。われわれスタッフに求められることがあれば迅速に丁寧に対応しますが、過剰にならないよう、あくまでもさりげなく。滞在を終えて振り返った時に『あのホテルは、過ごしやすかったな』『そういえば、スタッフの対応もよかったな』と、少しだけ思い出してもらえるような存在でありたいですね」

 

今後、スタッフへの教育とともに、自分が長く働き続けることで、「女性がホテルスタッフとして活躍し続ける」道を示す側でありたいと話す飯塚さん。

「24時間365日、お客さまを迎え入れるホテルは、仕事内容によっては日勤も夜勤もあり、休みも不規則。私自身、働き始めた当初は、結婚や出産を経て続けるのは難しい仕事というイメージを持っていました。でも、働き方は選べますし、何より、女性として人生経験を積むことで、ご夫婦やお子さまを連れた方など、あらゆるお客さまへの応対に細かな気遣いができるようになります。現場経験を積んだ女性スタッフの活躍の幅を広げていけるよう、私が背中で見せていければと思っています」

 

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フロントに立ち、お客さまのチェックイン、チェックアウトに対応。外国人のお客さまも多く、いまや英語でのコミュニケーションは必須。

 

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20階以上に宿泊するお客さまが利用する「クラブラウンジ」にて、お客さまの宿泊情報などをチェックする。

 

飯塚さんのキャリアステップ

STEP1 入社1年目、フロントに配属

入社前の内定者研修を経て、4月からフロントスタッフとして配属され、日勤で接客にあたる。ホテル インターコンチネンタル 東京ベイには、宿泊に関するサービスを提供する部署のほか、レストランやラウンジなどの料飲に関する部署、婚礼・宴会・宿泊の営業部署、調理を担当する部署の大きく4つがある。「お客さまからは日々さまざまな要望を頂きますが、サービスの一環としてどこまでお客さまの希望に沿えるかの判断は難しい。柔軟性のある対応とともに、時には“できないこと”もきちんと伝えなくてはならず、言葉の選び方にはいつも気を配るようになりました」。

STEP2 入社3年目、日勤と夜勤を交互に行うようになる

仕事内容は変わらないものの、夜勤業務が加わり体調管理も仕事の重要な要素に。常連のお客さまから声をかけられることも増えていった。「以前、常連のお客さまから『いつもの(価格には含まれていない)サービスを』とお願いされ、特別扱いはできないと判断しお断りした際、『今までは対応してもらっていたのに』と強く叱られたことがありました。その翌年、同じお客さまから『ホテルのスタンスとして、できないことはできないと言えるのも、スタッフとして立派な仕事ですよね。あの時は申し訳ありませんでした』と言っていただいたのです。お客さまへのフラットな姿勢を評価していただいた気がして、とてもうれしかったですね」。

STEP3 入社5年目に一度退社し、語学留学とインターンシップのため渡米

語学力のなさから、外国人のお客さまへの対応に自信が持てず、語学留学を決意。20代のうちに帰国できるタイミングを選んで渡米した。留学経験のある上司から「現地で職業経験を積んだ方が、語学習得の切迫感が増して絶対に力になる」と助言され、インターンシップに参加することに。「現地のコンサルティング会社で人事業務をさせていただき、実践的な語学力が身につきました」。

STEP4 帰国後の2014年、フロント業務のスーパーバイザーとして再入社

帰国後、スーパーバイザーのポジションでオファーを受け、ホテル インターコンチネンタル 東京ベイに再入社。「他企業に転職する道も考えましたが、愛着のある組織で、経験を生かした職種に就く方が成長は早いだろうと思いました。一度、外に出たからこそ、いいところも悪いところも客観的に見られます。その視点をサービス向上に役立てていきたいですね」。

ある一日のスケジュール

6:00 起床。
8:00 出社。フロントの裏にあるオフィスで、夜勤担当者の引き継ぎシートに目を通す。
8:30 「クラブラウンジ」で、20階以上に宿泊するお客さまのチェックアウト業務を担当。随時、お客さまからの問い合わせに応対。
11:00 チェックアウトされていないお客さまに連絡を入れる。
13:00 社員食堂で昼食。サービスが滞らないようスタッフは順番に休憩に入る。
13:00 グループミーティング。メンバー間でスケジュールや進捗の共有。
14:00 フロントに立ち、チェックイン業務を行いながら電話応対。
18:00 チェックインされていないお客さまを確認し、夜勤担当者への引き継ぎシートにもれなく記載。
18:30 退社。
21:00 夫と二人で夕食。
24:00 就寝。

飯塚さんのプライベート

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業務中は座りっぱなしか立ちっぱなしなため、休日はヨガで汗をたっぷりかいてストレス発散!

 

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自宅で過ごす休日は、友人からもらったコーヒーマシーンでコーヒーを飲み、カフェ気分。近くのデパートでコーヒーカプセルを購入するのが楽しみの一つ。

 

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料理のレパートリーを増やすべくレシピ本はよく購入する。料理以外にも、社会で活躍している女性の生き方や仕事観に関する記事も多く、刺激を受ける。

 

取材・文/田中瑠子 撮影/鈴木慶子

産業能率大学 バトエルデネ・トゥブシンさん

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バトエルデネ・トゥブシン●1995年2月20日生まれ、モンゴル出身。首都ウランバートルの高校を卒業後、得意の数学を生かしモンゴル国立科学技術大学の数学エンジニア科に進学。在学中、日本への留学試験を受け、2013年4月から日本に留学。現在、日本語能力検定試験1級を目指し、猛勉強中。

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高校時代にはバスケットボール部に所属しセンターポジションで活躍、地区大会で優勝した。最前列の一番左がバトエルデネさん。

 

親戚のお兄さんの影響で日本へ

日本の大学で、モンゴルからの留学生だと自己紹介すると、「小学校は馬に乗って通っていたの?」とか「ゲルに住んで遊牧しているの?」などと聞かれることが多く、思わず苦笑いしてしまいます。私が生まれたウランバートルは、モンゴルの首都で、東京ほど規模は大きくありませんが、車が走りビルが立ち並ぶ都会ですよ。

 

モンゴルの教育制度は、8歳で小学校に入学し、1年生から10年生までの小・中・高が一貫している10年制です。私は6歳の時に飛び級で入学が認められました。英語や中国語は1年生の時から8年間習いましたが、日本語の知識はまったくありませんでした。

 

留学へのイメージが具体的に膨らんできたのは、日本へ留学していた親戚のお兄さんから直接、日本の様子を聞いた中学時代です。留学中に日本人にとても親切にしてもらった話や日本の礼儀作法の話をいろいろ聞くうちに、自分もいつの日か日本に留学したいなと思うように。日本の大学の留学生試験を受けるためにはモンゴルの10年の義務教育期間では足りないので、卒業後は自分の得意科目の数学を生かして、国内に10校ある国立大学の中から科学技術大学に入学し1年半数学エンジニアの勉強をしました。そして、日本への留学試験の条件を満たしたので、試験に挑戦。2013年の春から東京で留学生活を始めました。実際にこうして日本で生活してみると、お兄さんの言葉の通りだったと納得することが多い毎日です。

 

モンゴルでは英語や中国語を学校で習うので、アメリカや中国の大学に留学する人もいますが、最近は中国に並び、日本への留学が人気です。特に、モンゴルはPCやスマホの基板となるレアメタル(希少金属)の産出国なので、鉱山学を勉強するために足利工業大学や信州大学、高知大学などに留学している同級生がいます。

 

コミュニケーションの仕方が異なる日本の大学生

日本語があまりしゃべれないまま、東京での大学生活が始まったので、最初は大変でした。大学内にモンゴルからの留学生は私一人なので先輩からの情報はなくて、同じ学部の台湾や中国やミャンマーなどのアジアの国々からの15人の留学生に、いつも助けてもらっています。

 

生活費を稼ぐために、すぐにでもアルバイトを始めなくてはいけなかったのですが、求人情報を見て電話をしても日本語がうまく話せないので、なかなか仕事が見つからず苦労しました。最初は運送業や建築業などの現場で単純な作業をしていましたが、大学で日本語を勉強するようになってからは、コンビニでアルバイトができるように。新しい日本語をたくさん覚え、日本の社会を知る機会が増えてうれしいです。

 

私はたまたま入学式の日に日本人のグループと友達になれたので幸いでしたが、一般的に日本の学生は、知らない人とあまりコミュニケーションを取ろうとしないですね。休み時間やランチタイムには、いつも決まった仲間と話をしたり食事をしたりしています。積極的に知らない人に話しかけようとする人はいないので、留学生は一人で孤立してしまいがちです。モンゴルでは、隣の席に座ったら授業の話や天気の話をしたり、お互いの国の話をしたりするので、食堂や休み時間の教室で、一人になることは少ないと思います。異文化の友達と交流できるいい機会なのに、興味がないのでしょうか。残念です。

 

モンゴルでは、私もそうでしたが、中学生の4割くらいは、アルバイトをしています。仕事を通じて社会に接すると、大人と交渉し、自分とは異なる境遇の人とも共同で作業をしなくてはなりません。日本の学生は学校だけで完結していて社会と接することが少ないので、モンゴルの学生より精神的に幼いのかもしれません。

 

卒業式には両親への恩返しをしたい

一方で、講義に臨む日本の学生の態度は素晴らしい。授業はあいさつから始まり、先生には敬語を使い、師弟の関係が自然に成り立っているのがすごいと思います。モンゴルでは、教室はいつまでたってもざわついているし、若者は規律とか体制に常に反発しています。政治や教育制度に不満があるのです。だから先生方も授業が終わるとどこかへ逃げるようにして教室から出ていってしまう。日本で当たり前に行われていることが、モンゴルではとても難しいことなのです。

 

先日、モンゴルに一時帰国したのですが、以前よりも強くモンゴルの若者の礼儀の悪さを感じました。社会が荒廃しているというか、現状に不満が高まっている印象を受けましたね。きっと、私の親戚のお兄さんも日本に留学した直後に同じことを感じたのだと思います。若者が社会全体のことを考えて行動するというよりは、自分の目先の利益のことにばかりにとらわれているように感じたんです。

 

日本の大学は、年次ごとに就職セミナーを開催したり、OB・OG訪問があったりととても面倒見がいい。学生も安心して大学に相談する体制が整っていると思います。私は卒業するまでの3年間で、自分が将来どんなビジネスを始めたいかをじっくり決めたいと思っています。もし、自分でビジネスを始めることができなかったら、中国語や英語、モンゴル語、日本語などの語学力が生かせるような会社に就職したい。ただ、ゆくゆくはモンゴルの特産で日本でも人気があるカシミヤの会社を日本で展開したいというのが夢です。卒業式には、まだ日本に来たことがない両親を日本に招き、いろいろ案内して恩返ししたいと思っています。

 

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バトエルデネさんに質問!

Q1.日本にきて一番驚いたことは何ですか?

モンゴルには電車がないので、成田空港に到着後、電車に乗った時、切符の入れ方、出し方すらわからなくて焦りました。それから、東京で夜に空を見上げた時に星が出ていなくてびっくりしました。

Q2.日本では食事は自炊していますか?

実は高校時代から5年間付き合っている彼女と二人で「日本へ留学しよう」と決め、一緒に住んでいます。彼女は、別の大学に通っていますが、お互いの両親公認です。だから、朝夕食やお弁当はお互いが作ったモンゴル料理が中心。海のない国で育ったせいか、私は魚が苦手なので肉料理が多いですね。

Q3.日本の食事はどうですか?

ラーメンやそばがとてもおいしい。モンゴルにもラーメンはありますが、まったく違います。日本のラーメンは世界一おいしいと思います。モンゴルは牛乳がおいしいと言われているので、チーズやバターなどの乳製品は濃厚でおいしいです。日本では手に入りにくいので、時々モンゴル産のチーズが懐かしくなります。

Q4.モンゴル時代から続けている趣味はありますか?

中学時代からずっとバスケットボールの選手でした。最近、モンゴルの学生の間でバスケットボールがはやってきているのです。日本の大学では週1回くらいの割合で、バスケットボールのサークルに参加しているので、スポーツを通じて新しい友人が増えました。

Q5.日本で行ってみたいところはありますか?

一番行きたいのは沖縄です! モンゴルは内陸国で海が近くにないので、実際に海風を感じたり、砂浜を歩いたりしたい。モンゴル人にとって常夏のビーチは永遠の憧れです。次に行きたいのは真逆になりますが、北海道。2014年の冬、東京で雪が降ったのですが(写真)、冬はマイナス30度近くまで気温が下がり空気が乾燥しているモンゴルの雪と違って、水分が多くて、すぐ溶けてしまう雪だったので驚きました。北海道はパウダースノーで、モンゴルの雪質に似ているのではないでしょうか。実際に行って確かめてみたいのです。

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取材・文/釣田美加 撮影/刑部友康

株式会社エムアップ

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じん・ともき●コンテンツ事業本部、企画制作課ディレクター。富山県立富山商業高等学校情報処理科卒業。2012年12月入社。バンド活動に打ち込み、7年間のアルバイト生活を続けたのち、就職を決意。当時、普及し始めたスマートフォン市場に可能性を感じ、IT業界に興味を持つ。現社に入社した決め手は、「アーティストやキャラクターなどのコンテンツに携われること」「音楽業界出身の社長による『心は自由に、ロックに生きろ』という言葉に共感したこと」。

入社1週間後に“スタンプ/デコメール”の企画を担当。3カ月目に新規サイト立ち上げに携わり、制作進行も経験

株式会社エムアップは、Webサイトやデジタルコンテンツの企画から制作・運営まで手がける会社。就職活動当時、スマートフォンのアプリが登場し、そこに可能性を感じて現社に入社した神さん。1日のビジネスマナー基礎研修を受けたのち、すぐに現部署であるコンテンツ事業本部に配属され、先輩の指導のもと、OJT形式で仕事を覚えていった。

「最初はスタンプ/デコメール(SNSで使えるスタンプ/デコレーションメール。HTMLのメール用素材)やきせかえ(スマートフォンの壁紙となる素材)のコンテンツを配信するサイトの更新業務から覚えていくことに。また、アニメのキャラクターやタレントのコンテンツなどについての打ち合わせにも参加しました。テレビ局やアニメの権利元などの協業会社やシステムの運営会社と『どんなものを作ったら受けるのか』という話し合いが進む中、業界用語や専門用語の意味がわからず、借りてきた猫のように黙っているだけの状態でしたね。わからない言葉を一つひとつ調べ、先輩にも聞きながら理解する努力を続けました」

 

配属の1週間後からスタンプやデコメの企画にチャレンジすることに。20〜40代の女性をターゲットにどんなものが受けるのかを考えた。最初に考えた柄物の素材は、「そういうものはすでにある」と先輩に言われ、採用されなかった。そこで、自社サイト内の既出素材を確認し、他社サイトとの比較をしながら強みが何かを分析していった。

「女性の気持ちを理解しようと考え、女性の書いているブログをたくさんチェックしてどんなものが好まれるのかを調べたり、『かわいい』『柄』などでネット検索して、アクセスが多そうなサイトを見つけては流行の傾向などをチェックしていきました。数日後、キラキラしたスワロフスキーを素材にした柄物の企画が通り、制作進行を任されることになったんです」

 

さっそく社内のデザイナーにコンセプトを伝え、イメージ資料も作成したが「何がしたいのかよくわからない」と言われてしまうことに。

「花が散っているようなデザインを考えたんですが、『どんな花なのか』『どこにこだわりたいのか』『文字を入れるならどんな文言がいいのか』など、細かい部分がまったく伝わっていなかった。頭の中にあるものを伝えることの難しさを感じましたね。今なら数分レベルでデザイナーさんと企画内容のやりとりを終了できますが、この時は丸一日かかってしまった。そこで、イメージ資料にどんな情報を入れれば伝わりやすいかを教えてもらい、以降は参考イメージ画像なども添えて、伝える精度を上げていくことにしました」

 

デザイナーから上がったものを先輩に見せて意見をもらったのち、再度デザイナーに修正をしてもらい、管理ツールを使ってサイト上にアップするところまで自分で行った。

「サイトに載せる際のキャッチコピーをどうするかなどの見せ方も自分で考えますが、先輩のアドバイスを受けて修正をし続け、通常なら数十分もあればできるものに半日くらい時間がかかってしまいましたね。配信した翌日、どれくらいダウンロードされているのかをチェックしたら200件いかない程度。平均よりもちょっと低かったけれど、自分の企画が世に出るうれしさを感じました」

 

入社3カ月後、今度はスマートフォンの画面の中でプロ野球の球団マスコットキャラクターが動き回るコンテンツを配信する「マチキャラ」サイトのメイン担当を任されることに。

「先輩と2人で担当しましたが、『マチキャラ』の制作のやり方そのものもわからなかったし、サイトをアップする携帯キャリア側にこのサイトの企画内容に対する承認をもらうために、たくさんの資料も用意しなくてはならなくて。おまけに2カ月間のスケジュールですべてを終えなくてはならず、当初は自分が何をすればいいのかわからず不安でいっぱいでしたね」

 

神さんは、自分がやるべきことを先輩に聞き、過去の制作進行表を参考にしながら、リリースから逆算する形で細かな作業スケジュールを作成したという。

「素材もいちから作りましたが、まず、各球団にキャラクターの監修をしてもらうこと自体が大変でした。各球団の担当者とやりとりしましたが、それぞれにこだわりがあって。『キャラクターをイラストにして動かすのはNG』という球団もありましたし、バットを振るなどのさまざまな動作では『この動きはうちのキャラクターのイメージと違う』などのチェックや修正が何度も入り、なかなかOKをもらうことができなかったんです」

 

また、デザインは平面で作成するため、デザイナーが上げてくる案に一度OKをもらっても、「動かしたらイメージと違った」というダメ出しをされることも多くあった。何度も修正を続けるうち、今度はデザイナーから「なぜちゃんとOKをもらえるところまで話を詰めないのか」と言われてしまう。

「各球団と10回はやりとりし、デザイナーさんには20〜30回も修正をしてもらうことに。そもそも、最初の時点で球団側の担当者に『ここまでできる』『こういうことは無理』などの説明ができていなかったんですよね。窓口となる自分が基本方針のすり合わせをちゃんとやらなくてはならないんだと痛感しました。結局、サイトがリリースされる2〜3日前まで修正作業は続き、本当にハラハラしましたが、何とか間に合ってホッとひと安心。先輩の補佐だけでなく、最初から最後まで制作進行を手がけたこの経験は、ひとつの自信につながったと思います」

 

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チームの後輩と打ち合わせ。新規サイトの立ち上げプロジェクトについて、スケジュールや進捗状況を共有し、企画内容について話し合う。

 

ゆるキャラサイトの運営を担当した入社3年目、リアルの人気投票イベントと連動させたことで感動を味わった

入社1年目が終わるころには、ご当地キャラクターなどのゆるキャラのデジタルコンテンツを取り扱う「ゆるキャラグランプリ」サイトの立ち上げに参加。さらに、ゆるキャラやアニメのキャラクターがサイト上でしゃべる「しゃべってキャラ」の音声収録や原稿作成も手がけることに。

「いろんなキャラが雑談に応えたり、天気予報をしゃべるコンテンツ作成を任されました。例えば、人気アニメのおじいちゃんのキャラでは『わしは○○じゃ』としゃべらせるなど、特徴や語尾の表現までつかみ、どんなことをしゃべらせたらファンが喜ぶのかを考えて原稿を作成することに。100くらいの言葉を考えた上で、声優さんにしゃべってもらう音声収録の監修まで行いました。サイトが立ち上がった当初は、うれしくて何度もスマートフォンに話しかけ、いろんなキャラにしゃべらせ続けていましたね」

 

また、同じ時期にタレントやアナウンサー、アニメキャラなどのデジタルコンテンツを配信するサイトの立ち上げにも参加。

「芸能事務所やアニメの著作権の権利元であるテレビ局、アニメ制作会社などと一緒に、それぞれのコンテンツを作っていきました。それまで、比較的若い層や女性層に向けたコンテンツを手がけていたので、キャッチコピーは音符マークなどを使って親しみあるものにしていましたが、30〜40代の男性ファンが多いアナウンサーのサイトでは、落ち着きある硬い文章が好まれると知り、ターゲットの違いを実感しましたね。タレントさんやキャラのイメージにこだわりがあることは、過去の経験でわかっていたので、コンテンツを作成する前の時点で懸念事項を抽出。先にしっかりと先方の考え方を確認して進めたことで、修正の回数もかなり減らすことができました」

 

入社2年目には、複数の「しゃべってキャラ」サイトの運営を担当することに。権利元と定例会議を行い、月に2回、企画を提案して実現していった。

「アニメのコンテンツを配信するサイトでは、新作アニメのコンテンツも企画しましたが、テレビ局だけでなく、アニメの権利元やマンガ原作の権利元である出版社とのやりとりが必要で、約2カ月の放映期間中にいかに全体を調整してコンテンツ化するか、頭を悩ませましたね」

 

この時期から、神さんは、企画を制作するだけでなく、それをどう売り上げていくのか、どんなプロモーション活動をしていくのかまで考えるようになっていく。

「予算目標をチェックしながら、毎月の収益結果を確認し、どこで売り上げが伸びているのか、停滞しているならその理由は何なのかを分析していきました。月額制のサイトがメインなので、入退会者の増減を見ながら、飽きさせないようにサイトのレイアウトを変えたり、サイトのどのページから離脱するケースが多いか、入会方法はわかりやすいかなどを考えた上で、できる限り対応していくことに。また、プロモーション活動では、アニメコンテンツの原作を掲載している雑誌や、アニメの公式ホームページ、声優さんへのSNSなどで告知をしてもらえるようお願いしました。リリースのタイミングに合わせてどんなプロモーションをしたかで、入会数の伸び率も変化してしまいますから」

 

企画だけでなく、サイト全体の収益性まで見渡すことができるようになった入社3年目、「ゆるキャラグランプリ」サイトの運営と予算管理を任される。リアルのイベントと連動させるコンテンツは、神さんにとって初のことだった。

「年に一度、ゆるキャラの人気投票をしてグランプリを決めるリアルのイベントがあるので、その内容と連動させる企画を考えていきました。サイトに加入するとイベント会場のショップで割引を受けられるクーポンを作ったり、自ら現地取材に出かけてイベントレポートの原稿作成などもしていきました」

 

それまでは企画を手がけても、Webサイト上のみでしか反応は得られず、制作上のやりとりも電話やメールのみ。けれど、リアルと連動したこの企画では、現地で一生懸命に投票のお願いをしているスタッフの姿や、ファンや関係者が固唾(かたず)を飲んで投票結果を見守る様子を見て、大きく感動したという。

「約1700のゆるキャラが参加し、そこには1700通りのドラマがありました。自分は今までコンテンツ制作で携わってきましたが、それぞれのキャラクターの背景にはいろんな人がいて、いろんな思いがあると実感できた。かつて、ヒットするアーティストがたくさんいる時代の中、その中心で物事を動かしてきた人たちがいましたが、僕もゆるキャラの世界でその醍醐味(だいごみ)を味わえたと感じます。それぞれのキャラクターにより愛着が湧き、仕事のやりがいも大きく変化しました」

 

入社4年目を目前とした現在、神さんは自ら新規サイトを企画立案し、その実現に向かっている。

「これまで自分がやってきた中で、『こんなサイトがあったら面白いはず』と温めてきたアイデアがあったんです。人気アニメを持っている複数の権利元にアタックし、全体の企画構成についてやりとりを続けていますが、ようやく形にできそうです。この会社では、ビジネスとして収益性のある企画であれば、年齢や経験に関係なくチャレンジさせてくれますし、いろんな分野の会社と協業するうちに、『できないことはない』と思えるようになった。いつか、老若男女すべての人々が当たり前に使ってくれるようなサービスを自分の手で生み出していきたいですね」

 

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新規サイトを立ち上げる案件について、資料を作成。また、予算を任されている「ゆるキャラ」関連のサイトについて、入会者、退会者の数字や収益データをチェックした上で、改善ポイントを分析する。

 

神さんのキャリアステップ

STEP1 2012年12月 コンテンツ事業本部に配属され、スタンプ/デコメの企画を担当(入社1年目)

入社後、1日のビジネスマナー基礎研修を受けたのち、コンテンツ事業本部に配属。OJT形式で仕事を覚えていき、2週間ごとに、きせかえ4件、スタンプ/デコメ10〜20種の企画制作を行った。入社3カ月目以降は、「マチキャラ」サイトの立ち上げや、「しゃべってキャラ」のサイト更新作業を担当。「それまでアルバイトの経験しかなかったので、ビジネスメールのやりとりをする際、いちいち定型文のあいさつを入れねばならないことを面倒に思ったことも。しかし、いろんな人と一緒に仕事をするうちに『礼儀正しく気持ちよく仕事をすることが大事なのだ』と考えが変化していきました。企画の仕事では、アニメのキャラクターなどにおいて、権利元が決めた細かなルールを守らねばならないことにビックリ。例えば、『コスプレなどで衣装を勝手に変更することはNG』など、権利元の会社別だけでなく、キャラクター別でもルールは異なるので、先輩にアイデア段階で実現可能なのかを確認していきました」。

STEP2 2013年 「しゃべってキャラ」など、新規のWebサイト立ち上げを担当(入社1年目)

ゆるキャラの「しゃべってキャラ」や「マチキャラ」を配信するモバイルサイトの立ち上げ、タレント、アナウンサー、アニメキャラなどにおける単独サイトの立ち上げに従事。コンテンツ制作に加え、サイトレイアウトも担当した。「各サイトで、大体、5〜10のタレントさんやキャラクターのコンテンツを展開していきました。権利元が強いこだわりを持っているアニメキャラのサイトでは、こちらがかわいいデザインだと思っていても『この目の部分が違う』などの細かい修正が何度も入り、いちから作り直しになったことも。そんなときは、自分の力が足りないことを自覚し、気持ちを切り替えて頑張りましたね。また、微調整が何度も入るとデザイナーが疲弊してしまうと感じたので、いいものができたときには『権利元がこうほめていた』ということまでしっかり伝え、一緒にモノづくりをしていく喜びを味わってもらえるように注力しました」。

STEP3 2014年 リアルイベントと連携する「ゆるキャラグランプリ」サイトを担当

複数の「しゃべってキャラ」サイト、「ゆるキャラグランプリ」サイトの運営を担当。6つのサイトの企画制作、サイト更新、音声収録などを手がける。また、14年11月に愛知県にあるセントレア空港で行われた「ゆるキャラグランプリ」決戦イベントにも参加。「それまでアニメキャラの関連サイトを中心に手がけていましたが、ゆるキャラの権利元は自治体。ITにあまり詳しくない方が多かったので、まずはコンテンツの内容やIT技術面における仕組みの説明をすることが必要でした。キャラを動かすイメージも伝わりにくかったようで、『やっぱり動かすのはNG』と制作途中で言われて困ってしまったことも。それでも、自治体の皆さんはしっかり締め切りを守って返事をくださるので進行的には気がラクでしたね」。

STEP4 2015年 自ら企画した新規サイトの実現に向かう(入社3年目)

「ゆるキャラグランプリ」関連サイトの運営とともに、新規の協業サイトを自ら企画立案。アニメの権利元やテレビ局、関係各社への提案も自ら行い、実現に向かっている。「仕事をしてきた中、各方面に人脈が広がっていたので、自分で企画を持ち込んでアタックしました。従来なら『ここまでやるのはNGだろう』とされてきた部分について、『こうするからこそ面白い』という提案をし、半年以上かけてやりとりを進めています。また、15年7月には、ボタンひとつで遊べるカジュアルゲームアプリや、月間に使える通信量(通信可能なギガ数)をチェックするツールアプリなどをリリースしています。IT業界は流行の移り変わりが早いので、すべてにおいてスピード感を持って実現していくことが大事ですね。また、収益性をしっかりと上げていくことも大事なので、サイトへのアクセス経路から、アクセス数の高い日の社会背景の分析まで行い、興味のなかった人にまで関心を持ってもらう方法を日々考えています」。

ある日のスケジュール

10:00 出社。メールチェック、担当サイト&アプリの売り上げデータを確認。
10:30 各プロジェクトを進行する主な関連メンバーで打ち合わせ。それぞれのその日のタスクや、各プロジェクトの進行状況を共有。
11:00 部内ミーティング。各運営サイトやプロジェクトについての現状と課題を共有。注目のキャラクターやアプリ企画案などについてのアイデア出しも行う。
12:30 同僚とランチ。女性メンバーならイタリアン、男性メンバーならラーメン店などに出かけることが多い。
13:30 外出。協業先のテレビ局担当者と打ち合わせ。サイトの進捗状況、新規企画提案を行う。
15:00 アニメ作品の権利元と打ち合わせ。進行プロジェクトの進捗共有と新しい企画の提案を行う。
16:30 『しゃべってキャラ』用の音声収録。アニメ作品の声優と事前打ち合わせ後、収録を行う。
19:00 現場から直帰で退勤。友人と食事に出かける。

プライベート

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部署のメンバーと食事や飲みに出かけることが多い。写真は2015年7月に行ったバーベキュー大会のもの。「プライベートでも仲が良くて、月に数回は飲みに出かけていますね。誕生日にサプライズでケーキを用意してくれたこともあります」。

 

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5年前に購入したギブソンのギターを愛用。現在、バンド活動はしていないが、自宅で時々ギターを弾いている。「ヘッドフォンをして、好きな音楽を聴きながら弾いています。ギターを弾くと無心になれるので、気分転換できますね」。

 

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週末は彼女と一緒に過ごすことが多く、買い物やおいしいものを食べることを楽しんでいる。写真は2014年の年末に出かけた沖縄旅行のもの。「会社の保養所が沖縄にあるので、年末年始の休みを一週間使って出かけました。また、長期休暇には、富山の実家に帰ることも多いですね」。

 

取材・文/上野真理子 撮影/刑部友康

日本ユニシス株式会社

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ICTサービスの需要がさらに拡大するだろう2020年に向けて、今が変革の時

日本ユニシスは、コンピュータの黎明期(れいめいき)である1958年に設立し、メインフレーム(企業の基幹業務などに利用される大規模コンピュータ)を中心に企業の基幹業務システムを支えてきました。

90年代以降、オープンシステム(オープン標準のソフトウェアやコンピュータ)へと移行が進んだ後も、メインフレームで培った高い技術力と豊富な経験を基に移行対応を進めて存在感を高め、あらゆる業種のニーズに対応し続けています。現在では、ICT(情報通信)サービスを幅広く提供。日本ユニシスグループ全体で、あらゆる業界・分野の7000社超の企業を顧客に持ち、コンサルティングからシステムの設計、構築、運用保守にわたるまでのトータルサービスを提供しています。

 

先ごろ、2015年からの3カ年にわたる中期経営計画を策定しました。テーマは「変革・成長」。今まで事業の中核を担っていたSI(システムインテグレーション)ビジネスだけではなく、さらに新しい価値を創造・提供することでステップアップしたいと考えています。20年には、東京オリンピックという一大イベントが待ち受けており、ICTがかかわる要素も大。次の3カ年(18~20年)に大きくジャンプするためにも、今回の中期経営計画の遂行は非常に重要なものと捉えています。

 

新しい中期経営計画においては、変革を実行するための重点戦略として「5つの施策」を実施します。

 

まずは、「チャレンジ(1)デジタルイノベーション」。異業種をつなぎ、企業のデジタルビジネスを最速・最適に提供するサービスとプラットフォームを提供するのが目的です。

ICTは、すでにさまざまな業界に浸透していますが、業種間や企業間、ビジネス間を見ると、つながりが薄く連携が取れていない部分がいまだ多いのが現状。各社、各ビジネスのデジタルデータをわれわれがつなげることで、そこに新たな価値が生まれ、より便利な社会が構築できると考えています。

 

次に「チャレンジ(2)ライフイノベーション」。社会を豊かにするサービスを創造し、サービス事業主体として推進する計画です。

これは前回の中期経営計画より注力しているテーマ。13年には新潟県佐渡島の全域にネットワークを構築し、医療効率化のため地域医療連携システム「さどひまわりネット」を提供しました。言葉にすると簡単に聞こえるかもしれませんが、実際はとても難易度が高いもの。病院、薬局などに協力を仰ぎ、それぞれが持つデータをすべて公開いただき、共有する必要があります。地域住民の方々がより便利に医療機関にかかれるよう、医療機関や行政など皆が一致団結して推し進め、われわれも地道に働きかけ、実現することができました。

このライフイノベーションにおいてキーワードとなるのが、「ビジネス・エコシステム」という概念。自社で提供しているソリューションやシステムをつなげることで、利用者視点で社内外のサービスを組み合せて利用者密着・地域密着型のサービスを構築。われわれがかかわることで、より生活が便利になることを目指しており、短・中期的にはこのキーワードを推し進めることに注力します。

 

3つ目は、「ビジネスICTプラットフォームの変革」。これは当社の基盤となっているビジネスであり、先に述べた2つのイノベーションの基礎にもなるものですが、さらなる成長を実現するためには変革が必要不可欠。単にお客さまのニーズに応えたサービスを提供するだけではなく、そこに新しいサービスの提案、効率化の提案を追加することで、お客さまのさらなる売り上げ拡大、コスト低減を実現することが重要だと考えています。

以上3つが、ビジネスの重点戦略になります。

 

4つ目に掲げているのは「企業風土・人財改革」。新たな価値を創造する企業風土と人財に変革します。

前述したように、お客さまのニーズに応えるだけでなく、さまざまなビジネスのアイデアを提案することが真の顧客満足につながり、新しい価値創造にもつながると考えています。そのためには、それを支える「人財」も変わる必要があります。

具体的な策として、17年度までに「変革リーダー」を300人、社内で育成することを目指しています。「変革リーダー」とは、自ら新な価値を創り出し、組織を変革していける人財のこと。広い知識と柔軟な発想、リーダーシップを持って、周りを巻き込み、現場から変革を起こしていく必要があり、現場からの推薦によりメンバーを選出中です。新しい価値を生み出す過程は大変ながらも非常に楽しく、意欲が全身からあふれ出るもの。変革リーダーの頑張りが周りを触発し、全体の士気を高めてくれることも期待しています。

 

最後の5つ目は、「投資戦略」。自己資本の充実を図り、安定した経営基盤を確立すると同時に、上記4つに挙げた重点戦略、すなわちチャレンジと変革、人財変革に重点投資する計画です。

 

自身が変革を担っているという当事者意識を持ち、自ら考え、行動することが重要

変化に対応し続け、変革を推し進める過程で、当社の組織風土も徐々に変化してきたと感じています。汎用機メーカーとして業界をリードしてきた時代は、「精度の高いものを、安定的に提供する」「顧客のニーズに最大限応える」に重点を置いてきたため、個人の力よりも、団結力や組織対応力が秀でていました。

その後、汎用機からオープンシステムの世界に移行したことで、競争は激化。ニーズに合ったサービスを提供するだけでなく、より新しい価値を提供する姿勢が必要になったことで、団結力に加えて個人の発想力、すなわち「一人ひとりが当事者意識を持って価値を創造しようとする力」が磨かれてきたと感じますね。そのため、従来ながらのアットホームな社風に加えて、互いに刺激し合い、高め合う風土も根づいてきたという印象を受けています。

 

実際、社内で活躍している社員を見ると、受け身ではなく、自ら積極的に学び、考え、行動している人が多いですね。そして積極的に社内外の人とかかわり、コミュニケーションを取っています。

当社が進めている重点戦略においては、パートナーとなるさまざまな顧客企業と連携を取りながら、新しい価値を生み出していくことが必要になります。皆の意見を取りまとめながら、われわれのやるべきこと、介在価値を考え、自ら陣頭指揮を取りながら実現に動く推進力を持った社員が多数活躍しており、頼もしく思いますね。彼らの活躍が新しい価値を生み、高い顧客満足を実現しています。

 

学生の皆さんへ

人はとかく、面倒くさいことがあると、それを避けたりあきらめてしまうことがありますが、社会に出たらさまざまな困難が待ち受けています。それを一つひとつ乗り越えてこそ、成長があるのです。

だからこそ、大学生のうちに、何か一つ、最後までやり遂げる経験をしてほしいですね。どんなことでもいいのです。サークル活動でも勉強でもアルバイトでもいいので、「最後までしっかりやり遂げた」という実感を持つと、大きな自信がつきます。そして、何か壁にぶつかったときに、「あれをやり遂げられたのだから、これも突破できるのでは?」という、頑張りの“基準”にすることができます。社会の荒波を乗り越える武器にも、心の支えにもなるはずです。

 

また、「自分にとって大事なものは何か」を見極める時間も、しっかり確保してほしいですね。当社を志望する学生に「なぜこの業界? 日本ユニシス?」と聞くと、どこの会社でも通用するようなあいまいな回答をする人が多くて残念に思います。「これがやりたい」「こんな目標を成し遂げたい」など、何か一つ大切にしたい軸を持っている人は、企業選びでも判断基準が明確なので、話を聞いているとその人ならではのストーリーが見えてきます。

社会に出ると、必ずしも自分の思い通りに進まない場合もたくさんあります。例えば、希望の部署に配属されない…というケースも多いでしょう。そんなとき、軸がないとすぐにメゲてしまったり、迷走してしまって180度違う方向を選んで失敗してしまうことがあります。しかし、軸さえあれば「いつかこの目標を達成するために、この部署ではこんな経験を積もう」とか「今のうちにこういう勉強をしておこう」など、目標達成のためにブレずに進むことができるでしょう。

 

就職したら、場合によっては1つの会社に30年以上も勤めることになります。ぜひ今のうちに自分の軸と、武器となり得る経験を積むことで、社会に出てからも自分に自信を持って突き進めるようになってほしいですね。

 

同社30年の歩み

コンピュータ黎明期である1958年に創立して以来、金融、製造、流通、エネルギー、社会公共などの幅広い分野のお客さまに対して時代を先駆けるソリューションを提供。「U&U」(Users & Unisys)という精神を揺らぐことのない指標として掲げている。
1988年
日本ユニバック株式会社/バロース株式会社の統合により日本ユニシス株式会社が発足。国内最大規模の航空業界向け予約システムを開発。24時間365日の安定稼働を実現。
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1991年
「モノづくり」の高度化を支える純国産3次元CAD/CAMシステム「CADCEUS®」を開発。自動車や機械、建築など、日本の幅広い製造分野で品質向上とスピードアップに貢献。
2000年
大規模Windowsサーバ「ES7000®」を発表。企業の基幹業務を支える大規模システムに採用。
2007年
Windows Server、SQL Serverを基盤としたフルバンキングシステム「BankVision®」が稼働開始。国内外から高い注目を集める最新の情報技術が活用され、システム機能を柔軟に追加・変更できるという特長を持つ。
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2008年
日本ユニシスグループ、インフォシス、戦略アライアンス協定に調印。営業活動、ソリューションサービス提供において一貫したグローバルソーシングを実現。
2009年
電気自動車(EV)やプラグインハイブリッド車(pHV)向けの充電インフラシステム「smart oasis®」を提供開始。低炭素社会の実現に向け、行政機関や各種産業と連携しサービスを拡充。
2011年
2008年に立ち上げたICTサービスの新しい名称に「U-Cloud®(ユークラウド)」を採用。
2012年
大日本印刷株式会社と業務提携。「クラウド事業」、「新プラットフォームサービス事業」、「マーケティング・販売連携」の3軸でのさらなる連携強化を図る。
2013年
新潟県佐渡島における医療の効率化のため地域医療連携システム「さどひまわりネット」を提供。佐渡市内の病院、診療所、調剤薬局から介護施設での医療情報を共有一元管理するシステムで地域医療に寄与している。
2014年
充電インフラシステム「smart oasis®」の活用により、電気自動車のシェアリングビジネスに参入。

 

 

取材・文/伊藤理子 撮影/鈴木慶子


スポーツ用品・アパレル編

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スポーツへの関心高く市場は好調。ITを活用した製品の開発などでさらに売り上げ拡大を目指す

スポーツ用品・アパレル業界では、ナイキ(アメリカ)、アディダス(ドイツ)の2社が飛び抜けた存在。国内メーカーとしては、アシックス、ミズノ、デサント、ゴールドウイン、ヨネックスなどが代表格だ。アシックスはシューズの売上比率が高く、ミズノはスポーツ用品の分野で大きな存在感を発揮するなど、メーカーによって得意分野は異なる。また、国内小売業ではアルペン、ゼビオ、メガスポーツなどがある。こうした大手小売りチェーンはスポーツ用品全般を扱うケースが多いが、各分野に特化した専門店(例えば、サッカーの加茂商事など)も数多く存在する。

 

矢野経済研究所の「スポーツ用品市場に関する調査結果 2015」によれば、2014年のスポーツ用品国内市場は1兆3559億円の見込み。国内市場は、3年連続で3パーセント以上の成長を維持している。健康志向の人が増えていることに加え、東京オリンピック・パラリンピックの開催決定、スポーツ庁の発足などが追い風となり、スポーツへの関心は高まる傾向。そのため、スポーツ関連業界にも、さらなる成長が期待されている。

 

ここ数年好調なのが、スポーツシューズの分野だ。「スポーツ用品市場に関する調査結果 2015」によると、14年のスポーツシューズ市場は前年比11.1パーセント増の2196億円。前年より220億円も拡大しており、業界全体の成長を力強くけん引している。公益財団法人日本生産性本部の「レジャー白書2015」によると、14年における国内のジョギング・マラソン参加人口は2140万人。ランニング愛好家は非常に多く、今後も底堅い需要が期待できるだろう。中でも注目されているのが、成人の中で最もジョギング・ランニング実施率が高いとされる、20代女性向けのスニーカー・ランニングシューズ。各社は、この層に向けた製品の開発に力を入れている。

 

サイクルスポーツ用品も好調だ。このところ、各地で「自転車専用道路」の整備が進行中。また、『弱虫ペダル』などのマンガがヒットしたことも手伝い、自転車を楽しむ人は着実に増えている。「スポーツ用品市場に関する調査結果 2015」によれば、14年の市場規模は372億円で、対前年比で15.2パーセントも伸びた。

 

ただし、市場のすべてがバラ色というわけではない。少子高齢化と人口減少により、今後、国内のスポーツ参加人口は緩やかな減少が予想されているからだ。そこで各社は、市場の拡大を目指してさまざまな取り組みを行っている。

 

IT・通信技術とスポーツの融合は、大きなトレンド。例えば、ウェアラブル端末(キーワード参照)を装着させたり、センサーをスポーツ用品に埋め込んだりすることで、ヘルスケア情報や競技記録を収集する取り組みが活発になっている。また、フィットネスアプリを通じて売り上げ拡大を目指す企業も多い。ナイキは、アップルと提携して各種フィットネスサービスを提供中。アディダスは、15年8月にアプリ開発企業を買収(ニュース記事参照)して対抗する姿勢を見せている。フィットネスアプリは、サービス自体の売り上げによって利益が得られるだけでなく、自社のスポーツ用品・アパレルの売り上げ拡大にもつなげやすいのだ。

 

海外売上比率が7割に達しているアシックスは、15年4月、東京オリンピック・パラリンピックにおける国内最高位スポンサーの「ゴールドパートナー」契約を結んだ。グローバルな認知度向上により、売り上げのさらなる拡大につなげるのが狙いだ。また、デサントも15年3月期の海外売上比率が5割を突破。国内メーカーにとって、海外展開はますます重要な課題となっている。

 

スポーツ用品・アパレル業界志望者が知っておきたいキーワード

ウェアラブル端末
身につけられる(=wearable)情報端末のこと。「Google Glass」のようなメガネ型、「Apple Watch」のような時計型をはじめ、靴型、指輪型などさまざまな端末が登場している。アメリカの市場調査会社であるIDC社は、14年に全世界で2000万台だった端末数は、18年には1億台を突破すると予測している。
東京オリンピック追加種目
東京オリンピックで主催都市が提案できる「追加種目」に、野球・ソフトボール、空手、ローラースポーツ(スケートボード)、スポーツクライミング、サーフィンの5競技が選ばれた。正式決定は16年8月であるが、5競技が採用される可能性は高い。これをきっかけに、新たなブームの可能性も期待されている。
ラグビー・ワールドカップ
15年に行われた英国大会では、日本チームの躍進が話題をさらった。次回は、19年9月に日本での開催が予定されており、ラグビーブームが巻き起こると期待されている。ラグビー用品・関連アパレル品などの売り上げ増につながる商品開発は、各社の重要なテーマ。
ゲーム「Ingress」
13年にサービス開始された、スマートフォン向けの「陣取り」ゲーム。参加者は2陣営に分かれ、位置情報を活用しながら現実世界の地図と連動した「陣取り」を行う。ユーザー数は世界で800万人以上。「ゲームに夢中になり、一日中、街なかを歩き回っていた」という人も多く、フィットネスアプリにとって参考にできる部分は多い。

このニュースだけは要チェック <フィットネスアプリを巡る動きに注目>

・アディダスが、スマートフォン向けフィットネスアプリの開発会社であるランタスティック(オーストリア)を買収。この分野で先行しているナイキ、アンダーアーマー(アメリカ)などに対抗し、デジタル健康管理サービス分野でのシェア拡大を目指す。(2015年8月5日)

 

・アシックスが、インドのニューデリーで初の専門店「ASICS SELECT CITY WALK」をオープン。また、8日後にはインドネシアのジャカルタでも専門店を新設した。経済成長が続くアジアではランニング人口が増えており、出店によってブランドイメージの向上、売り上げ拡大を目指す。(2015年7月2日)

この業界とも深いつながりが<IT業界と協力するケースが増えそう>

IT(情報システム系)
IT・通信技術をスポーツ用品に取り込もうとする試みは、いっそう加速しそう

アパレル
スポーツアパレルメーカーと一般アパレル企業の境目は曖昧になりつつある

繊維
高機能なウエア・スポーツ用品の開発で、繊維素材メーカーと協力することも

 

この業界の指南役

日本総合研究所 未来デザイン・ラボ シニアマネージャー 田中靖記氏

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大阪市立大学大学院文学研究科地理学専修修了。同大学院工学研究科客員研究員。専門は、未来洞察、中長期事業戦略策定、シナリオプランニング、海外市場進出戦略策定など。主に社会インフラ関連業界を担当。また、インド・ASEAN市場の開拓案件を数多く手がけている。

 

取材・文/白谷輝英 イラスト/坂谷はるか

兼松株式会社

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企業PROFILE
1889年、日豪貿易の先駆けとして創業した総合商社。国内外のネットワークと各事業分野で培った専門性と商社機能を生かし、「電子・デバイス」「食料」「鉄鋼・素材・プラント」「車両・航空」を中心とする幅広い分野で、多種多様な商品とサービスを提供している。国内は、東京、大阪、名古屋、札幌、福岡など7カ所、海外は、ニューヨーク、デュッセルドルフ、シドニー、モスクワ、上海、バンコク、ジャカルタなど39カ所を拠点に事業を展開中。

研修内容

入社後2週間、会社の組織や業務内容、ビジネスマナーなどを学ぶ研修を受け、その締めくくりとして合宿研修が行われる。合宿形式の研修がスタートしたのは1968年ごろ。86年からは静岡県浜松市にある禅寺を拠点に、3泊4日の合宿研修を実施。プログラム内容はほぼ毎年同様で、①6人ずつ程度のチームに分かれ、地図を頼りに隠されたクイズを探し、答えていくオリエンテーリング、②事前に与えられているテーマについて賛成派と反対派に分かれて、チーム同士で討論するディベート、③アップダウンの多い20キロメートル強(女性は約15キロメートル)の山道を進むウォークラリー、④趣向を凝らした余興を披露して参加者を楽しませるアトラクションなどに挑戦し、チームで総合得点を競う。禅寺のしきたりを守り食事中や入浴中、廊下での私語は禁止。毎朝6時に起床して座禅を組み、質素な食事や、毎食前に食事の意義とありがたさを全員で唱えるといった、禅寺ならではの体験も組み込まれている。

 

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①オリエンテーリングがスタート。まずは、チームで協力して制限時間内で地図にポイントの場所を書き写す。

 

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②反対派と賛成派に分かれて議論を戦わせるディベート研修。

 

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③人事総務部が事前に設置した目印を頼りに進むウォークラリー。最初はみんな笑顔だが、途中には山中の道なき道を進む過酷なルートも。

 

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④夜に行われたアトラクションで桃太郎のコントを披露したチーム。

 

体験者インタビュー

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PROFILE
田島大地(たじま・だいち)●穀物部 食糧課。九州大学大学院農学府修了。2013年4月入社。農業関連の新しいビジネスを創出したいと考え、商社や食品メーカーなどを視野に就職活動。海外と仕事ができ、若手にも大きな裁量権が与えられる環境に魅力を感じ、入社を決意。現在は、米や麦を中心とした穀物の買い付けと販売、小麦粉製品の販売を担当。

私の同期は39名で、チーム構成は男女半々。一番印象に残っているのは、ウォークラリーです。通常の研修は、屋内で理論上の話を聞くだけですが、ウォークラリーは体力と判断力が試される課題。計画的に歩いているつもりでも、途中のポイントへの到着時間が早かったり、遅かったりするので、メンバーの体力を見ながら、今頑張るべきか、後で挽回するかを判断していかなければなりません。こうした判断力は、実際の業務にも通じるものです。

 

男女の体力差を考慮して、ウォークラリーの後半約5キロメートルは女性が抜けるため、遅れているチームは、男性だけで走って挽回するのですが、私たちのチームは女性が先を歩き、男性が遅れ気味で待ってもらっていたほど (笑)。学生時代にはここまで体を酷使したことはありませんし、アップダウンの激しい山道を歩いて足にマメができましたが、それだけにゴールした時の達成感は大きかったです。

 

今思えば、道なき道を進む経験は、まるで商社の業務そのものです 。実務で、時には周囲が心配するほどの過密日程をこなさなければならないことがあっても、「足にマメができるほど山を歩くわけではないし、あの研修を乗り切れたのだから大丈夫」と自分を鼓舞して、頑張っています。

 

この研修を通して、学生気分から社会人の気持ちへ切り替えることができましたし、長い時間、苦しい時間を共に過ごしたことで、同期に対する信頼感が深まり、何でもざっくばらんに話せるようになりました。大学時代の友人と話していても、他社よりも同期の結束が強いと感じます。また、長年実施している研修ということもあり、共通の話題で上司と盛り上がれるので、さまざまな部署の上司に話しかけやすくなるというメリットもありますね。

 

学生の皆さんには、大学時代にしかできないことに打ち込んでほしいと思います。私の場合は農学部での研究に打ち込みました。一生続けられるかどうかはわからなかったけれど、大学時代の今しかできないことをやって、結果を残すことにこだわりましたし、目標を掲げてその達成のために頑張った経験が、今の自分の糧になっていると思います。

 

人事インタビュー

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PROFILE
藤川知明(ふじかわ・ともあき)(写真左)●人事総務部 人材開発課 課長補佐。1997年に入社し、ケーブルプロジェクト部にて電線や電力プラントの輸出を担当。2001年、電子機器部に異動し、電子・自動車部品などの輸出を担当。11年、人事総務部にて海外人事総務を担当後、13年より現部署にて研修・人事制度に携わる。
山田大樹(やまだ・だいき)(写真右)●人事総務部 人材開発課。2015年4月入社。和食文化を海外に広めたい、自分という個の力で会社を動かしたいという思いから、入社を決意。現在は、新卒採用のほか、人員配置の集計・整理などの人員管理業務を担当。

それぞれの課題で、よりよい結果を残すために役割を分担し、知力と体力を結集してチーム得点を競うこの研修の目的は、ひと言で表すとチームビルディング。チームビルディングとは、メンバーが気持ちを1つにして、ゴールに向かっていく組織づくりのことです。(藤川さん)

 

オリエンテーリングは、時間を管理する、作戦を立てて遠くの場所にある高得点のポイントを目指す、質問を隠す人事担当者の意図を読んで手分けして場所を探し当てるなど、役割を分担することで効率アップが望める知的ゲーム。ウォークラリーは、決められた時間通りにゴールすることが目標なので、時間管理はもちろん、疲れているメンバーを励まし、協力し合って一緒にゴールするチームワークが求められます。ディベートは、チームがそれぞれ主張の趣旨を述べ、相手に反論して論拠を突くもの。商社業務に不可欠な交渉力を鍛えます。打ち上げのアトラクションもチームビルディングの一環です。ビジネスでは時に取引先を盛り上げ、楽しませるマインドが必要になることも。こうした課題を通して、同期の交流が深まる効果も期待しています。(藤川さん)

 

2015年4月に参加した時のチーム内での私の役割は、疲労からどんよりしたチームのムードを和ませる盛り上げ隊 (笑)。ウォークラリーでは、みんなの疲れを紛らせようと、面白い話題を提供したり、カラオケ大会を促したり。自分では意識していませんでしたが、チームの仲間には「全員に話しかけ、周囲に目配りができるタイプ」と言われました。研修では、考え方が異なるメンバーの意見を調整し、まとめていく大切さを実感したので、人事でもそのことを意識して業務に当たっています。ウォークラリーでは、違う山に迷い込み、助けられたという苦い経験もあり、「ゴールできないかもしれない」という危機をみんなで盛り上げながら乗り越え、ひと回りたくましくなりました。また、疲労しきった状態でお互いに素をさらけ出し、厳しさを共に乗り越えたことで、その時のチームのメンバーとは一緒に旅行に行くほど絆が強まっています。(山田さん)

 

学生の皆さんへのアドバイスは、勉強、アルバイト、サークル活動など、何でもいいので打ち込めることを見つけ、主体的に動いて他人とかかわり、巻き込んでいく力を身につけること。どんな仕事も一人ではできないので、社会に出る前に人とかかわりながら目標に向かう経験を多く積んでおくと、役立ちますよ。(藤川さん)

 

学生のうちに、年代の違う人と話し、いろいろな人の経験や知識に触れておいてください。社会に出るといろんな考えを持つ人や年代の異なる人と、否応なしにかかわっていきます。それから、自分の立ち位置――勉強ならどのレベルに到達しているのか、アルバイトや部活動ならどんな立場にいるのかを意識するといいと思います。社会では、自分の行動が周囲にどう影響するのかを常に考えて行動しなければならないので、その練習になるからです。(山田さん)

 

取材・文/笠井貞子 撮影/鈴木慶子

沖電気工業株式会社

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今回の訪問先 【OKI 社会システム事業本部 交通・防災システム事業部 コンポーネント開発部】

災害の発生や、それに伴う避難情報などが発表されたときの情報伝達手段として欠かせないのが「市町村防災行政無線システム(以下、防災無線)」です。防災無線の親局は災害対策本部が設置されている市区町村の役場に設置されます。そこから担当者が伝達すべき情報を発信し、無線通信により屋外や各家庭に設置されている子局に伝達されるという仕組みになっています。そんな私たちが安心・安全に暮らすためのツール、防災無線を開発しているのが、日本最初の通信機器メーカー(当時の社名は明工舎)として創設されて以来、日本の情報通信の発展に尽力してきたOKIです。創設者の沖牙太郎(おき・きばたろう)氏は、明治政府が通信機器を修理するために作った工務省電信寮製機所(官営工場)で、電信・電話技術を磨きました。そして退所後明工舎を設立し、「進取の精神(先見性を持って自分の信じる夢にチャレンジする精神)」を持って国産電話機の開発にまい進。そして初の国産電話機の開発を実現するのです。これはアメリカでグラハム・ベルが電話機を発明してわずか5年後のことでした。この創業時の「進取の精神」は脈々と受け継がれ、以後、冒頭で紹介した防災無線や電話交換機のほか、ATM(現金自動預払機)や航空管制システム、コンタクトセンター(※)システム、プリンターなど、情報社会の発展に貢献するさまざまな製品を提供しています。今回は防災無線を開発しているOKI 社会システム事業本部 交通・防災システム事業部 コンポーネント開発部のシゴトバを訪問しました。

※電話やファクスなどによるお客さまからの問い合わせや注文などに応えるために設置される、お客さまセンターやサポートセンターなどの総称

 

より高機能・高効率な防災無線装置を設計・開発

社会システム事業本部 交通・防災システム事業部 コンポーネント開発部のシゴトバは、東京都港区芝浦にあります。最寄り駅はJR山手線の田町駅。そこから10分ほど歩けば、同シゴトバに着きます。田町駅は東京駅から山手線で8分の距離。都心にありますが、ビルのすぐ裏手には新芝運河が流れているなど、のどかな雰囲気もあります。同運河沿いは散歩できる緑地となっており、天気の良い日はOKIの社員の方も休み時間に散歩したり、ベンチでランチをとったりしているそうです。

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交通・防災システム事業部 コンポーネント開発部のシゴトバを同開発部 開発第二チームの佐藤勇輔(ゆうすけ)さんが紹介してくれました。

「コンポーネント開発部は芝浦と沼津に拠点があり、大きく4つの製品を開発しています。1つ目はETC(ノンストップ自動料金支払いシステム)の親機(道路に設置されるシステム)の設計開発です。2つ目は私たち第二チームが設計開発している防災無線。3つ目が消防無線。4つ目が航空管制システムです。芝浦の拠点では、航空管制システムを除く3製品(ETC、防災無線、消防無線)のハードウェアについて開発を行っています」(佐藤さん)
写真は執務エリアです。
「ここでは回路図などの図面を描いたりメールの処理のほか、経費精算などの事務作業をしています」(佐藤さん)

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防災無線の親局装置です。手前のモニターが付いている装置は役場内に設置される操作卓です。この装置から屋外拡声子局や戸別受信機(子局)経由で災害情報などを放送する制御を行います。また操作卓の右側にある、中央に受話器が付いているロッカー状のモノが親局無線機です。
「このような親局無線機の中に搭載される、送信機の設計開発を担当しています」(佐藤さん)
東日本大震災以降、防災無線装置に対して、お客さまである市区町村からさまざまな要望が届いたと佐藤さんは言います。
「システムに対しては、機能の充実です。東日本大震災の時は、防災無線担当者が逃げ遅れるということがありました。そこで担当者の安全が確保できるよう、一度放送した内容を録音して何度も繰り返して流せるようにしたり、また遠隔で操作卓を制御できるようにしたりしています。また装置自体の強化も図っています。防災無線装置は地震や水害などにあっても、ハード的に壊れることは許されませんからね。そのほかにも子機(戸別受信機)においては聴覚障害者向けに文字表示装置を付けたり、さまざまな機能の充実を図っています」(佐藤さん)

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各家庭に設置される戸別受信機です。
「地域によっては屋外拡声子局からの音声が聞こえにくいところがあります。そういう地域では市区町村が各家庭にこのような受信機を配布し、住民の安全を守っています」(佐藤さん)
戸別受信機の大きさは、ハードカバーの書籍とほぼ同じぐらい。停電時でも使えるよう乾電池が内蔵されています。

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実験室です。「開発が本格化してくると、執務エリアで使っているPCを実験室に持ち込んで、ほぼ一日ここで仕事をしています」と佐藤さん。
写真ははんだゴテを使い、送信機の試作品を作っているところ。
「試作ではまず、部品の選定や回路のパターン設計、部品配置を行います。その後、一度工場で試作品を組み立て、その後抵抗やコンデンサの値を調整するといった細かい作業を行います。実際に手を動かすことが非常に多いですね。設計開発というと、PCの前に座って図面を描くイメージがあるかもしれませんが、先にも言ったように実験室で実際にモノに手を触れていることが多いです。私たち開発者はお客さまの要望を基にどんな防災無線を開発するか、企画の立案から量産化に至るまでの一連のモノづくりの流れを担当します。私はまだ経験はありませんが、実際に自分が開発した製品がユーザーに納入された際に、何かわからないことが生じた場合はSI(システムインテグレーション)の担当者から問い合わせが来たりすることもあるそうです。そういう意味ではお客さまに届くまでずっと、その製品を担当するといっても過言ではありません」(佐藤さん)

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ネットワークアナライザ(高周波回路網の通過や反射電力の周波数特性を測定する装置)を使って、送信機(試作品)単体の評価試験を行っているところ。
「送信機の設計で、一番ポイントとなるのがいかに消費電力を削減できるかです。実は親局無線機の中で、最も電力を使うのはこの送信機です。というのも送信機には子機への送信信号を増幅するための電力増幅器があり、この増幅器で消費される電力がかなり大きいからです。防災無線は災害時に使用されるため、たとえ停電したとしても長く装置を可動させなければなりません。だからこそ、消費電力の削減が重要になるのです。そこでネットワークアナライザを使い、選定した部品が正しく機能しているかなどを含め、設計した回路の評価を行います。このようなテストを繰り返すことで、より高効率な回路になるよう、作り込んでいきます」(佐藤さん)
またこのデスクでは送信機の単体試験だけではなく、親局無線機に組み込み、送信機全体の評価試験もできるようになっています。

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送信機の開発は担当者である佐藤さんに一任されていますが、防災無線のシステム開発はチームで行っています。写真は佐藤さんが描いた図面をディスプレーに映して、チームで話し合いをしているところ。
「開発する上で何よりも大事になるのはチームワークです。送信機の開発を任されているとはいえ、送信機は親局無線機に組み込まれるユニット(構成要素)の一つ。そのほかにもさまざまなユニットが組み合わさり、親局無線機ができ上がります。たとえ一つひとつのユニットが素晴らしくても、それを組み込んだ親局無線機がうまく機能しなくては意味がありません。だからこそ、チームワークが大事になるんです。したがってチーム内でのコミュニケーションは本当に活発。入社4年目の私は開発経験も少ないため、わからないこともたくさん出てきます。そんなときチームの先輩は本当に頼りになりますね。モノづくりにおいては、チームワークが大切なんだと身にしみて実感しています」(佐藤さん)

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ハタラクヒト 知識・経験豊富な先輩にも気軽に相談できる、話しやすいシゴトバ

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佐藤さん(写真左)と2015年に新卒で入社し、7月に配属されたばかりの横山星馬(せいま)さんに「OKI 社会システム事業本部 交通・防災システム事業部 コンポーネント開発部」というシゴトバの魅力、やりがい、職場の雰囲気などについてうかがいました。

 

佐藤さんは2012年3月に東北大学大学院工学研究科を修了し、同年4月にOKIに入社しました。
「モノづくりが好きで、モノづくりができる会社に就職したいと考えていました。大学院の研究テーマは無線。その知識を生かすため、モノづくりと無線というキーワードで企業を探したところ、最初に頭に浮かんだのがOKIでした。日本の通信機メーカーのパイオニアですから。入社を決めたのは会社説明会や面接などで出会った人たちが温かかったこと。話しやすい雰囲気で、『きっと働きやすいだろうな』という印象を持ったからです。教授からも『いい会社だよ』と言われ、迷いなく入社を決めました」(佐藤さん)
一方の横山さんは日本大学大学院理工学研究科を15年3月に修了し、同年4月にOKIに入社しました。
「実は学部時代は情報系を専攻していました。無線の研究に従事したのは、大学院に進んでから。モノづくりに触れ、その面白さに目覚めました。したがって就職活動時当初は、交通や防災分野でモノづくり系だけではなく、情報系も視野に入れていました。でもやはりモノづくりをしたいと思い、大学院時代に学んだ無線の知識も生かせるOKIを選択。たとえわからないことがあっても、一から学んでやっていけるという風土もあると聞き、OKIでモノづくりに携わりたいと思いました」(横山さん)

 

佐藤さん、横山さん共に希望通り、現在の部署に配属され、佐藤さんは防災無線の送信機の設計開発、横山さんは佐藤さんの指導の下、OJTで設計業務に取り組んでいます。

「東日本大震災が発生したときは東北大学大学院の院生だったので、宮城県仙台市に住んでいました。私自身に大きな被害はありませんでしたが、周囲の住民の方の中には被災して困っている方も。そんな方がでないようにできればいいなと思い、日々、装置の開発に取り組んでいます。人のためになる仕事に携われるのは、大きなやりがいです」(佐藤さん)
「災害が起こっても大きな被害を出さないようにという思いはチーム全員が持っていることです。そういうモノづくりに携わりたいと思っていたのでうれしいですね」(横山さん)

 

佐藤さん、横山さん共に学生時代は無線について学んでおり、その知識を土台にして現在の仕事に生かしています。
「コンポーネント開発部で開発しているモノには、いずれも無線がかかわっています。しかし所属しているメンバー全員が、学生時代に無線を学んでいたわけではありません。例えば実装を担当しているメンバーには、機械系の出身者もいますし、材料系の人も。もちろん電気系の人もいます。とにかくこの仕事に情熱と誇りを持って、さまざまな苦難があってもそれに果敢に挑戦できること。それが一番大事だと思います」(佐藤さん)
「あとはやっぱり無線が好きなことも大事だと思います」(横山さん)

 

OKIという会社・風土について聞きました。
「コンポーネント開発部のメンバーの年齢構成は20代から50代までと幅広いですが、とにかくどの年代の方とも相談がしやすい雰囲気です。同年代だと同じ悩みを抱えていたりするので、仕事のことやプライベートのことまで話し合い、日々、盛り上がっています。30代、40代、50代の先輩方は経験や知識も豊富なので、仕事や技術に関してわからないことがあると、すぱっと答えてくれる心強い存在。本当に年代問わず、皆さん人がいいんです。実は2015年に入って、増幅器の回路が思った通りに動かず、すごく悩んだことがありました。そこで先輩に相談したところ、夜遅くまで残って、一緒に問題解決に取り組んでいただきました。おかげで申し訳ないなと思いながら、一人で悩むよりも早い解決ができましたね。チームワークの良さも感じられるシゴトバです」(佐藤さん)
「何歳になってもみんな向上心が高いのに驚きました。そういう刺激を常に受けられる、成長できるシゴトバです」(横山さん)

 

食堂のリニューアルで「社員の意識改革」を実施

社員食堂「OkiteriaSHIBAURA」です。OKI 高崎事業所では1958年に開設されて以来、50年以上変わらなかった食堂を2011年にリニューアルしました。この食堂改革の背景にあったのは、「社員の意識を変えること」。つまりきれいな社員食堂のおいしい食事が社員の交流を促進して新しい発想につながるとして、同事業所の食堂のリニューアルに取り組んだそうです。その成功を受け、各事業所においても食堂のリニューアルを実施。食堂の運営はとんかつチェーン店「さぼてん」などを全国展開しているグリーンハウスフーズに委託しているそう。
「メニューも豊富でおいしいです。日替わりランチも3つ用意されており、A、Bランチは432円で食べられます。CランチはスペシャルランチでA、Bより少し高めとなっていますが、それでも500円台。また週1回は発芽玄米や麦ご飯などを使った健康ランチもあります。もちろん、月に何回かはとんかつも登場。社員自慢の食堂です」(人事部 採用担当課長 市川貴士さん)

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毎年夏に開催される納涼祭のワンシーンです。
「2015年の本社地区の納涼祭は、ホテル グランパシフィック LE DAIBA(東京都港区台場)で開催されました。社長をはじめとする経営陣も参加。抽選会などのイベントも実施され、盛大に盛り上がりましたね。納涼祭は各事業場で開催されており、工場の場合は盆踊りがあるなど地域の方も参加できるような催しを実施しています。例えば本庄工場(埼玉県本庄市)では、1000発の花火が打ち上げられ、地域の人たちも毎年、開催を楽しみにしてくださっています」(市川さん)

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OKIにまつわる3つの数字

日本最初の通信機器メーカーとして創業以来、日本の通信事業の発展に貢献し続けているOKI。以下の数字は何を表しているのでしょうか? 正解は、次回の記事で!

1. 1

2. 128種類

3. 1881年

 

前回(Vol.137 大崎電気工業株式会社)の解答はこちら

 

取材・文/中村仁美 撮影/臼田尚史

損害保険会社内定 神戸女学院大学 澤西真央さん

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就活データ
志望業界:金融、人材サービス 説明会参加:60社(うち合同企業説明会1回) 先輩訪問:8人(人材サービス3人、損害保険会社5人) エントリーシート提出:25社 面接:20社 内定:3社(損害保険会社1社、人材サービス1社、証券会社1社) 活動費用:約17万5000円(交通費8万円、スーツなど洋服代5万円、書籍代1万円、外食費3万円、筆記具など雑費5000円。会社説明会に出席するため、一度だけ東京へ。交通費は自己負担。外食費は、カフェなどで就活ノート作成などの作業を行ったため、その飲食費がかかった)

 友人に証券会社の話を聞き、金融業界中心に説明会を回る

もともと大学院に行くつもりで就活はしていなかったのですが、早く社会に出た方がいいと思い、大学4年2月から方向転換し、就活を始めました。まず、大学内で行われた会社説明会に参加。証券会社に就職している友人に話を聞いたこともあり、証券会社をチェックしていました。

 

さらに、3月には学外の合同企業説明会に参加。3月1、2日に行われるものは人が多すぎてじっくり話が聞けないと思い、あえて日がたってからの説明会に参加するように。早く動かなければ、という気持ちはあるのですが、それよりも人が多いことで思うように動けないのは疲れるし、中身を伴わないと思ったんです。

 

3月下旬から、再び、大学の説明会に参加。金融といっても幅広いので、証券会社や信託銀行、銀行、加えて名前の知っている人材サービス会社もチェックしました。人材サービス会社に参加したのは、女性の雇用や働く支援にかかわりたいと思ったから。自分自身、長く働きたいと思うものの、まだまだ業務や評価、昇進で男女差があるのが現実だと感じていたからです。

 

就活を行うため、あえて留年し、2回目の大学4年。4月からは個別の会社説明会が始まり、この時点では証券会社に興味を持ち、積極的に参加していました。証券会社は業界説明会や業務理解、女性の働き方などテーマごとに複数回行われる説明会すべてに参加した方がいいといううわさを聞き、ほぼ毎日、どこかの企業の説明会に出席していたと思います。

 

説明会で話を聞くにつれ、この会社に行きたい、この会社もいいと多くの企業に興味を持ちました。そこで、参考にしたのが転職サイト。給料や福利厚生、会社の雰囲気など働きだしてから気になるポイントについて、新卒の就活情報サイトとは違った視点で書かれていることが多いんです。募集情報を掲載していない会社もあり、すべての会社で使える訳ではないのですが、私はかなり参考にしました。

 

5月も引き続き、会社説明会の予定でぎっしり。さらに現在の内定先の損害保険会社から、6月初旬に開催するワークショップ参加のために、5月中旬にエントリーシートを提出するよう連絡がありました。エントリーシートにはいくつか設問が設定。ワークショップへの志望理由は、この時点では学内説明会に参加して社員の方に魅力を感じ、もっと知りたいと思ったと記入。困難を乗り越え実現した経験については、高校を中退し定時制高校に行きなおし、大学受験に成功した際の努力を書きました。

 

エントリーシートの作成については、春ごろにキャリアセンター主催の書き方講座や就活支援団体が行うレッスンに参加していたのが役立ちました。作成時のポイントで学んだことは、エピソードや事実をだらだらと書かず端的にまとめること。エピソードは1文、長くても2文に抑え、そこから自分が何を学んだかを書くことなど。また、就職した友人に就活時のエントリーシートを見せてもらい、参考にしました。

 

無事に通過し、6月に行われた内定先のワークショップに参加。内容はグループごとに営業や事故対応など実務を体験するもの。特に意識して臨んだわけではないですが、中心的に話を進めていたように思いますし、会話に加わりづらい人がいたら話題をふるなど意識していました。もちろん、人事から選考のポイントとしてチェックされていると思いますが、私自身も会社の雰囲気や社員の方を実際に見ることができ、より興味が深まりました。

 

6月中旬には人材サービス会社で最終面接もありました。この面接がかなり厳しいもので、何を答えても否定され、泣いている人もいるほど。私はどれだけ否定されても「確かに、おっしゃるとおりです」と冷静に答えるように意識。そして、面接が終わって内々定と言われましたが、正直、まったく喜びはなく、このまま就活を続行することにしました。

 

ワークショップや面談、先輩社員訪問でも意欲アピールに努め内定をつかむ

先輩社員訪問も、できるだけしようと心がけていました。現在の内定先の人事に大学の先輩がいたこともあり、後日、個別に時間をとっていただくことに。会社でお会いしたのですが、入社意欲をアピールしようと質問することをノートにびっしり書いて臨みました。

 

私が先輩社員に会う時、必ず聞いていた質問が「もう一度、就活してもこの会社を選ぶか」というもの。その先輩は「もちろん」と即答し、女性でも活躍できるフィールドがあること、働き続けやすい環境があることなどの理由を教えてくれました。

 

さらに、Webサイト経由で社員訪問も予約。事故対応の部門で働く7年目の男性社員の方にお会いしましたが、この時は学生時代にやっていることや志望動機など、まるで、面接のように深掘りされました。先輩社員にお会いし、業務の理解や働く環境などに魅力を感じ、ますます志望度がアップ。6月にエントリーシートの提出があったのですが、迷わず提出しました。ワークショップの応募時に作成していたものをベースに、飲食店の接客アルバイトで心がけていたこと、ファッションブランドの売り場改善のために、周りのスタッフを巻き込んで行動したことなどを書き足しましたね。

 

下旬には、人事担当との懇談会に参加。人事1名ずつのブースを数名で1時間ずつ回るというものでした。積極的に質問したり、志望度が高いことをアピール。実際に第1志望だったのですが、ふと、同業他社を見ることも必要かなと。そこで、大学のキャリアセンターを通じ、別の損害保険会社で働く入社9年目の先輩を紹介してもらいました。

 

結婚や出産してもキャリアを築くことができるのか、男女差はあるかなどを質問。制度が充実し、休日も多く、人間関係もいいこと。評価体系もきちんとしていること。女性活用に力を入れていることなどを聞くことができました。この会社にも魅力を感じ始めた時、現在の内定先から、いつもはメールでの連絡なのに人事から電話連絡があったんです。7月中旬に先輩社員との面談を行う、というもの。これは選考に左右すると思い、気合いを入れて臨みました。

 

実は前日から高熱を出しふらふらだったのですが、何としても行かなければと薬を飲んで参加。2回の面談が行われたのですが、1回目はベテラン社員の方がエントリーシートを見ながら質問するというもの。アルバイトでのエピソードなど、アピールポイントとして書いたことについて深掘りされました。2回目は人事2名との面談。高校を自主退学したことや大学で留年したことなど、つらい経験について聞かれました。「今となっては、とてもいい経験です」と前向きさをアピール。そして、面談の終わりに「就活を終わってもいいですよ」と言われ、内々定を頂くことができました。その後、証券会社からも内々定をもらい、6月に内々定をもらった企業とは別の人材サービス会社でも順調に選考に進んでいたのですが、辞退することにしました。

 

現在の内定先はお会いした方すべてに一緒に働きたいと思えたんです。そう思った自分の気持ちを大事にしました。本当は総合職希望なのですが、採用は地域総合職。男性中心の総合職とは差はあると思いますが、その壁をこわせるような働きをしていきたいと思います。

 

低学年のときに注力していたことは?

大学1年生で、オープンキャンパスの運営にかかわる学生スタッフに。オープンキャンパスに訪れる高校生に対し、入学試験の相談にのるコーナーを担当しました。また、ファッションが好きで、人気ブランドの販売アルバイトも経験。パンツ売り場の売り上げ改善のために、陳列方法などのアイデアを提案するなど意欲的に取り組みました。飲食店での接客アルバイトも行っていました。

 

就活スケジュール

大学4年(1回目)2月
学内の会社説明会に参加
大学院に行くつもりが、方向転換し就活を開始。学内で頻繁に開催されている会社説明会で、友人が証券会社に勤務していたことで興味を持ち、証券会社を中心に回る。
大学4年(1回目)3月
合同企業説明会に参加
3月からいっせいに始まる合同企業説明会へ。あえて、3月1、2日に行われるものは人が多すぎて思うように動けないと思い避け、数日たってからの説明会に参加。学内の会社説明会にも参加する。証券会社、信託銀行、銀行、人材サービス会社などを回る。
大学4年(2回目)4月~5月
個別の会社説明会
証券会社でテーマごとに複数回、開催される会社説明会にすべて出席しようと心がける。人材サービス会社や銀行などでも説明会に参加。さらに、現在の内定先が6月に開催するワークショップに参加するため、エントリーシートを提出。
大学4年6月
内定先のワークショップ参加や先輩社員訪問
内定先の2日間のワークショップに参加。会社の雰囲気や社員の方に触れ、志望度が高まる。中旬には人材サービス会社で最終面接。その場で内々定をもらったが、就活を続行する。そして、大学の先輩で、現在の内定先の人事として働く方、Webサイト経由で社員訪問を予約し、7年目の男性社員の方に会う。下旬には人事との懇談会も行われた。
大学4年7月
内定先で先輩社員との面談
体調不良だったけれど、薬を飲んで熱を抑え、面談に出席。1日に2種類の面談があり、1回目はベテラン社員の方から質問されるもの。2回目は人事2名との面談。面談終了後に「就活を終わってもいいですよ」と言われ、内々定をもらう。その後、証券会社からも内々定をもらう。
大学4年8月
現在の内定先に決め、就活を終える
7月の面談で内々定をもらってからも、残っていた他社の選考を受けたが、気持ちは変わらないと決断。すべて辞退し、現在の内定先に決める。

就活ファッション

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1つボタンの黒のジャケット、黒のスカートのプレーンなスーツを選びました。中に合わせるブラウスは、スキッパータイプ3枚、ボタンが一番上までしまるタイプを1枚用意。銀行はしまるタイプで真面目な印象に、営業職はスキッパーで活動的な雰囲気と使い分けました。靴はつま先の尖ったヒールのあるタイプ。歩くのは少し大変でしたが、シャープな印象にしたかったので、デザイン優先で選びました。

 

取材・文/森下裕美子 撮影/島並ヒロミ

大学1年生に聞きました。 大学での勉強やサークル、バイトに満足してる?

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大学での勉強やサークル、アルバイトのうち、満足しているものを教えてください(複数回答)

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4月の入学から約半年が経過した大学1年生に、大学での勉強やサークル、アルバイトに満足しているかどうかを尋ねたところ、満足しているものとして、約半数が「大学での勉強」と回答し、「サークル・部活」は約3人に1人、「アルバイト」は約4人に1人が挙げていた。「いずれにも満足していない」は約3割となり、属性別に見ると、理系学生よりも文系学生の方が満足度が低い傾向が見られた。

 

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バイトは、理不尽に感じることもあるし、正直、イヤなことも多いけど、就職する前に、「社会とはそういうものなのかもしれない」と実感できたという点で、よかったと思っている。(文学部・女子学生)

 

部活に満足しています。高校までの部活とは違い、行動範囲もかなり広いし、自分たちで運営、企画などしなければなりませんが、そのおかげで、自分ができることが増えて成長できているように思います。(生活環境学部・女子学生)

 

大学の授業は、どの科目も、教授との距離感が遠くて楽しくない。(経営学部・男子学生)

 

1年生の後半で、すでに9割が専門科目中心の授業なので、充実している。委員会に所属し、さまざまな行事の企画運営ができるため、勉強以外の点でも大学生活を満喫中。(農学部・女子学生)

 

勉強については、今はまだ一般教養科目ばかりなので、さほど面白いことはありませんが、これから学年が上がるにつれ、専門分野に細かく分かれて学べるので、それがとても楽しみで毎日ワクワクしています。サークルは、優しくて面倒見の良い先輩たちに囲まれてとても楽しく、最近始めたバイトも、言葉遣いなど学ぶことが多くて、勉強になっています。(文学部・女子学生)

 

スポーツ系のサークルに入ってみたところ、レベルが高すぎず低すぎず、ちょうど自分に合っている上に、メンバーとも意気投合できているため大満足。(文学部・男子学生)

 

勉強はすべて将来につながっていく手応えがあります。バイトは、時給はあまり高くはないものの、周りの人に恵まれている点でよしとしています。(保健医療学部・女子学生)

 

大学では、取りたい講義が同じ時間に重なっていて、どちらかしか選べないことが多いので不満。バイトは純粋に楽しい。(経済学部・女子学生)

 

大学での勉強は、授業の内容が基礎的なことだけで専門的なことを学ぶことができない点が不満。バイトは、給料や手当が良く、シフトを直前に変更することも可能な点でやりやすい。(文理学部・男子学生)

 

サークルは、先輩が丁寧に教えてくれて、練習する場を作ってくれるのがありがたいです。大学の勉強は、興味のない授業もあるので不満かな。バイトは新しいバイト先を探し中。(人文学部・女子学生)

 

大学での勉強はとても難しくて時間もかかり、なかなかはかどらないという点で不満。サークルは体を動かすちょうど良い機会になっていると思う。(工学部・男子学生)

 

部活はつらいけど、友達と一緒にいられるのが楽しい。(医学部・女子学生)

 

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うーん。勉強、サークルや部活、アルバイトのいずれにも満足していない人が3割にも上るんだね。でもまだまだ半年しかたっていないわけだから、自分の姿勢や考え方を少しだけ変えてみたり、人に相談してみたりすることで、今まで不満だったことが、これから先、「満足」へと変わることもあるかもしれないよ。1年生の折り返し地点である今、2年生からの過ごし方も含めて、一度、いろいろなことを見直してみるのもいいかも。

 

文/日笠由紀 イラスト/中根ゆたか

化学メーカー内定 東京工業大学大学院 中山 沢さん

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就活データ
志望業界:化学メーカー、医薬品メーカー、化粧品メーカー、消費財メーカー、食品メーカー 説明会参加:20社(うち合同企業説明会3回) 先輩訪問:0人 エントリーシート提出:30社 面接:15社 内定:4社(化学メーカー2社、化粧品メーカー1社、消費財メーカー1社) 活動費用:約10万円(服装・カバン・靴:4万円、交通費4万円、飲食費:2万円。複数の面接がある日は、合間にカフェに入っていたため飲食費が予想以上にかかった)

「民間企業の研究職」という道を模索。複数の企業から内々定を頂くことに

子どものころから何かの仕組みを理解することが好きで、いわゆる理系男子でした。例えば、小さい時に家にあるラジカセを見ていて、これがなぜ動くのか知りたくなり分解し、親に叱られたことがあります。そして、機械以上に興味があったのが生き物でした。どうやって動いているのか? なぜ生きていられるのか?…そんなことを考えているうちに、医療の分野で研究者を目指すようになっていました。

 

そして大学では修士課程に進学。博士課程まで進むことも考えていましたが、民間企業も見てみようという気持ちで就活を開始。修士1年生の9月には世界的に有名な消費財メーカーのインターンシップに応募するものの、面接で落ちてしまい、結局3月までは研究に集中して取り組んでいました。

 

その後、就活を再開したのは修士1年の3月です。これまでに生きてきた人生はたったの二十数年間。それに理系という狭い世界で生きてきた。そう考えた僕は、できるだけ視野を狭めないように心がけ、3月の合同企業説明会では職種・業界ともに絞らず、幅広く見るようにしました。実際、金融業界などの話を聞いて「世の中にはこんな仕事もあるんだ!」と勉強になったこともあります。しかし、結局興味を持ったのは、自分の研究とほぼ同じ分野の医薬品業界、そしてそれに近い分野、つまり化学や生物学に関係しそうな、食品・化粧品・消費財・化学の各種メーカーです。そして、やはり民間企業に就職したとしても、研究をしたいと考えるようになりました。

 

食品メーカーは3月中にエントリーシートを出したものの、結局すべて不合格。医薬品業界の中でも比較的規模が小さい企業と、化粧品・消費財・化学の各種メーカーは、3月から4月にかけてエントリーシートを出し、5月から面接が始まりました。そして5月の中旬には、ある化学メーカーから内々定が。この企業はインフラ関係の化学資材を作っていると思っていたのですが、近年バイオテクノロジーに力を入れ始めていることを聞き、医療関係の研究をしてきた僕には、とても魅力的に感じました。さらに早めに内々定を頂いたことで精神的な安心感につながったのですが、その時点ではまだ医薬品業界が第1志望。大手の医薬品メーカーの選考はまだ始まっていなかったため、内々定承諾は待っていただくことにしました。

 

その後は、ライフサイエンスに力を入れている消費財メーカーにひかれることになります。研究職を目指していたので、自分は消費財メーカーにあまり適さないというイメージを持っていたのですが、実はその会社は基礎研究にすごく力を入れていることがわかり、面接でも技術者の社員と技術について話をすることができたからです。その会社も僕のことを評価してくださり、6月に内々定を頂くことに。しかし親から「今まで医療の世界を目指してきたのに、本当に消費財メーカーでいいのか?」と言われ、こちらも一旦待っていただくことになりました。ただし、「チャレンジ」「幅広い分野」といったキーワードを説明会や面接でよく耳にしていた化学メーカーや消費財メーカーに対する志望度は、かなり高まっていました。

 

ちょうどそのころ、やっと本命の医薬品業界の選考が始まりました。大学でもずっと医療系の研究をしてきましたし、正直、医薬品業界ならどこかには受かるだろうと思っていたものの、実際に受けてみるとすべて不合格。現実は甘くありませんでした。第1志望の医薬品業界を受けてからでないと決められないという理由で内々定承諾を2社も待っていただいていたのに…。

 

7月には化粧品メーカーの内々定も。化粧品に興味があったわけではありませんが、その会社は再生医療の研究をしているため志望していました。現在、大学では癌の研究をしているのですが、いつか再生医療の研究もしてみたいと思っていたのです。今の大学には再生医療の研究をしている研究室がありませんので。

 

数値で比較することで明らかになった志望度。しかし最後の決め手は「人」だった

修士2年の7月時点で、それまでに化学メーカー1社、消費財メーカー1社、化粧品メーカー1社の内々定を頂いたことになります。どの会社にも魅力を感じていましたので、この時点で博士課程に進学するという選択肢はなく、どこかの民間企業へ就職しようと決断。しかし、どの企業に一番入りたいのか決められませんでした。そこで僕は、内々定が出ているこれら3社、そしてまだ選考が残っていたもう1つの化学メーカー1社の合計4社を比較するための表を作りました。ただ点数をつけるだけではなく、項目ごとに比重をわけて、大事にしたい項目の点数配分が大きくなるようにして。この分析をしている時は、われながら理系っぽいな…と思いましたが(笑)。

 

すると、すでに内々定を持っている3社よりも、まだ選考が残っている化学メーカーの方が点数が高くなりました。なんとなくイメージでは化粧品メーカーが一番自分に合っているのかな、と思っていましたが、ちゃんと点数をつけることで意外な結果が明らかになったのです。この会社は就職情報サイトで見つけて何となくプレエントリーボタンを押しただけで、特に行きたいと思っているわけではなかったのに…。しかし、選考を受けていくと、もともとは化学材料を作っていたのですが、近年はバイオテクノロジーに積極的に投資していることがわかりました。それどころか、現在は収益の3分の1がバイオ関係という状況です。たしかにここなら自分のやりたいことができると思いました。

 

まだこの会社の選考を受ける前の段階で、自分の中での点数が一番高いことが明らかになっており、実際に受けたら無事に内々定を取ることができた。どう考えても迷うことはないはずだったのですが、実際は最終面接の夜に電話で内々定の連絡があった時に「一晩だけでいいので考える時間をください」と言いました。その日は眠れず、朝までどの企業に入りたいのかを考え続けました。よく考えてみると、どこに入ってもやりたい仕事はできる。最後の最後で決め手になったのは「人」でした。そこで働いている人に対して僕が感じていた印象はもちろん、社員の意思を大切にしている企業がいいと思ったのです。それが一番当てはまるのは、やはり最後に受けた化学メーカー。僕は翌日、内々定承諾の返事をしました。

 

就活を振り返ると、もっとほかの企業も見てみれば良かったかなという気持ちが多少あり、そういう意味ではうまく就活を進められたわけではありませんが、内定先には95パーセント納得しています。残りの5パーセントはまだ入っていないから。これを100パーセントにできるよう入社後も頑張って活躍していきたいと考えています。

 

低学年のときに注力していたことは?

大学3年生の時に、マサチューセッツ工科大学が主催しているiGEM(アイジェム)という大会に参加しました。これは合成生物学という分野の大会で、世界各国から190チームが参加します。遺伝子組み換え技術を使った面白い研究のプレゼンをして、その内容を競い合うのです。僕たちの研究テーマは「世界最小の恋愛劇」でした。ヒトやイヌやマウスは恋愛をしますが、これはどれくらい小さい世界まで成り立つのか。10マイクロメートルの世界で生きる細菌も恋愛をするのかを、遺伝子組み換え技術を使って確かめたわけです。

 

半年間のプロジェクトを経て、僕たちのチームは、8つある部門のうち「Information Processing(情報処理)部門」で最優秀賞を取ることができました。この大会に参加したこと自体がとても良い経験だったのはもちろんですが、企業でも研究職を目指していたため、この経験を話すことで良い自己PRができたと思っています。

 

就活スケジュール

大学3年12月
合同企業説明会に参加
大学院に進学することをほぼ決めていたものの、念のため合同企業説明会に参加。
大学院1年9月
インターンシップに応募
世界的に有名な消費財メーカーのインターンシップに応募。しかし、1次面接で不合格に。
大学院1年3月~大学院2年4月
合同企業説明会や個別の会社説明会に参加、エントリーシートの提出
まずは広く業界や職種を知るため、合同企業説明会に参加する。そして、志望業界の医薬品メーカー(大手除く)、消費財メーカー、化学メーカー、化粧品メーカーの個別の会社説明会にも参加し、エントリーシートを提出。
大学院2年5月
面接開始、最初の内々定
3~4月にエントリーシートを提出した企業の面接が始まる。5月中旬に化学メーカー1社から内々定をもらい、それよりも志望度の低かった医薬品メーカー(大手除く)は辞退。
大学院2年6月
大手医薬品メーカーの選考開始
大手医薬品メーカーの選考が始まり、エントリーシートを提出。さらに筆記試験や面接を受ける。消費財メーカーから内々定。
大学院2年7月
内々定承諾、就活終了
化粧品メーカーから内々定。内々定をもらった3社(化学メーカー、消費財メーカー、化粧品メーカー)と、まだ選考が残っている1社(化学メーカー)を比較。まだ選考が残っている企業が一番志望度が高いことを確認。しかし、その企業から内々定が出て一晩悩むことに。最終的には最後に内々定をもらった化学メーカーの内々定を承諾して、就活を終了。

就活ファッション

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スーツは持っていましたが、就活用に新調。外資系企業を受ける時は「黒スーツは印象が悪いかな?」と思っていたのですが、幸いなことに指摘を受けたことはありませんでした。ワイシャツは3枚購入。ネクタイも3本用意して、その日の気分によって替えていました。また、カバンは自立するものを選びました。

 

取材・文/芳野真弥 撮影/鈴木慶子

グローリー株式会社

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企業PROFILE
金融機関やスーパーマーケット、駅などで使用されている通貨処理機(紙幣硬貨計数機、オープン出納システム、両替機、レジつり銭機など)、情報処理機、自動販売機、カードシステムなどの開発・製造・販売・メンテナンスを行うパイオニア。近年は、コア技術である認識・識別技術を応用して「生体認証(バイオメトリクス)技術」や「会話保護システム」を開発するなど、非現金分野にも事業領域を拡大。創業は1918年。兵庫県姫路市を本社に、全国に89拠点を展開。

研修内容

グループ会社を含めた全新入社員を対象とした2週間の研修で、グローリーの社員として活躍する基礎を習得。開発部門に配属された技術系社員は、さらに約1カ月間、座学で講義を受けたのち、39日間の設計演習に参加する。設計演習は2012年から導入を開始し、14年からはピンポン玉を回収する供給車のソフトウェア製作と、供給車が集めたピンポン玉を受け取って約6メートルの凹凸のあるコース上の白線をたどって運び、ゴールにシュートするライントレースカーのハードウェアとソフトウェアの製作を行っている。与えられる条件は、期間39日間(平日の就業時間/8:30~17:15)と予算2万円。各チームに、機械設計を担当するメカ系、回路設計を担当する電気系、プログラム開発を担当するソフトウェア系の人員を配置し、それぞれの専門性を生かして製作に当たる。5~7名のチームに分かれて製作を行い、最終日には、5分間でピンポン玉を何個シュートできたかをチームで競う。

 

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凹凸のあるコースで、白線をたどりながらピンポン玉を落とさず運べるかどうかをテストする。

 

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試験走行を終えて、メンバーと課題について話し合う。立って話しているのが後藤さん。

 

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供給車がピンポン玉を拾うためのプログラミングも課題の1つ。

 

体験者インタビュー

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PROFILE
後藤隆浩(ごとう・たかひろ)●開発本部 第一開発統括部 スタッフ。岡山大学大学院 自然科学研究科 機械システム工学専攻修了。2014年4月入社。大学院での専門を生かして精密機器の設計に携わりたいと考え、メーカーを中心に就職活動。担当者が設計の最初から最後までかかわることができる点に魅力を感じ、現社に入社。現在は、海外向け紙幣整理機のシステム設計に携わる。

参加者は18名で、ソフトウェア系が私を含めて4名、メカ系が2名、電気系が1名の7名のチームでした。最初は、どんな製品にするかという構想を出し合うことに。プログラミングは、機械などのハードが完成しないと着手できない部分が多いため、ハードからの作り直しにならないよう時間をかけました。

 

実は、私はリーダーに立候補したんです。なぜなら、本配属になったら、リーダーになるチャンスなど当分来ないから。主な役割は、スケジュールと予算の管理。予算は楽々クリアできましたが、大変だったのはスケジュール管理。私にはメカや電気のことはわからないし、誰もが初めての経験なので必要日数が読めない。結局、納期から逆算し、予測で計画を立てるしかありませんでした。電気系は1人しかいなかったので、予定日に遅れそうなときは、ほかのメンバーでできることを手伝うなどしてカバーしました。

 

テスト走行では、なかなか思い通りに動かず、苦労しましたね。本業なら実験機を製作するのに、これはぶっつけ本番。その上経験もないので、原因を探っては作り直す作業の繰り返しでした。私は、シュートを打つソフトウェアをプログラムしたのですが、命中率が思ったより悪くて…。結局、構想に問題があることが判明し、できる範囲で改良を加えて命中率をアップ。本番では10個以上シュートを決めて、優勝しました。その時にできる最善を尽くして優勝できたので、達成感は大きかったですね。

 

この設計演習を通して、技術の基礎だけでなく、スケジュール管理を学ぶことができました。その時に使ったスケジュール管理ツールは、現在の業務でも利用しています。リーダーとして、メカや電気など専門分野外の仕事も広く知ることができたこともラッキーでした。開発は、いろいろな分野の人たちと協力して行う仕事なので、いい経験になりましたね。

 

学生の皆さんへのアドバイスは、いろんな知識を広く学ぶこと。研究者になるなら別ですが、1つの分野について深く追究したことが、必ずしも会社に入ってから生かせるとは限りません。いろいろなことに広く関心を持って、学ぶよう心がけてください。

 

人事インタビュー

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PROFILE
山﨑雅史(やまさき・まさふみ)●開発本部 開発企画部 グループマネージャー。1989年に入社し、3年間開発管理部にて、技術資料の整理や設計者への展開を担当。技術推進部に異動してCADの運用管理を経験後、2011年より現部署にて、開発者の人材教育などに携わる。人材教育はモノではなく人が相手の業務なので、相手と対面で話すことを心がけている。

設計演習は、技術者向けの講義で学んだ知識を活用し、実際の開発ステップに沿って製品を作り、思い描いた通りに動くかどうかを体験するもの。予想外のことが必ず起きるので、そういうときの対処法も経験してほしいと思っています。

 

ポイントは、最初にどんな製品を作りたいのかをしっかりと決め、途中段階での設計変更を少なくして納期内に仕上げること。最初に、開発プロセスの手順、設計書や仕様書などの書き方は指導しますが、あとはスケジュール管理や予算管理も含めて、トラブルがない限りは一任します。

 

自社製品とは関係のないライントレースカーを製作させるのは、楽しみながらチャレンジし、開発ステップを学んでほしいから。思い描いた通りの製品に仕上げるのは簡単ではありませんが、駆動させるメカ系の技術、センサーを働かせる電気系の技術、ソフトウェアのプログラミング技術は、その後の自社製品づくりに十分生かせるものです。

 

技術の基礎はもちろんですが、メカ、電気、ソフトウェア担当者で力を合わせて製品を作るチームワークの重要性を学ぶことも大切。なぜなら、設計開発はチームで行うものだからです。この設計演習で、技術力と人間力の両方を学んでほしいので、クルマが動かなくて沈滞ムードが漂っているチームには、相手の立場で考え、自分の考えを伝えてコミュニケーションをとるようアドバイスすることもあります。

 

開発に携わる人にも、ヒューマンスキルはとても重要。凝り固まった考えを捨て、年代やジャンルを超えて多くの人と会って話し、コミュニケーション力を高めてください。それから、若いうちに壁にぶつかり、乗り越える経験をしておくといいですね。社会人になると必ず壁にぶつかりますし、それを乗り越えないと一人前にはなれませんから。

 

取材・文/笠井貞子 撮影/笹木淳


株式会社NTTドコモ

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おくの・ありさ●コンシューマビジネス推進部 デジタルコンテンツサービス 書籍ビジネス担当。法政大学キャリアデザイン学部キャリアデザイン学科卒業。2011年4月入社。Web業界に興味を持ち、大学3年生の夏にIT系企業など2社の長期インターンシップ(各2週間)に参加するなど積極的に情報収集を行う。インターネット関連会社、PR会社を中心に約20社の説明会、約10社の面接を受け、5社から内定を獲得。NTTドコモには「手のひらに明日をのせて」という当時のブランドスローガンにひかれて応募。「商品やサービスの魅力を広く伝えたい」との目標を持って入社。

支店でのプロモーション業務を一手に背負い、先輩にプロモーション戦略に関するイロハをたたき込まれる

もともとはWebプロモーション業務に興味を持っていた奥野さん。しかし、「日本の全人口の約半分が顧客」というNTTドコモのスケール感に魅力を感じ、「ここでプロモーション業務に就けたら」という思いで入社した。

 

「ドコモには素晴らしいサービスがたくさんあるのに、周りの友人の認知度はまだ低い。これらの魅力を伝え切れていないのはもったいない、多くの皆さんにドコモの魅力あるサービスを伝えて、ご利用いただけるような仕事に就きたいと思いました」

 

NTTドコモの新入社員は全員、導入研修を経た後にドコモショップでの店舗研修を数カ月経験し、現場目線を身につける。奥野さんは、茨城県にある郊外型店舗「ドコモショップ水戸西店」で研修を行った。担当は、店舗業務全般。窓口での携帯電話販売を中心に、サービス案内を行ったり、バックヤード業務として事務処理や故障端末の修理依頼などあらゆる業務に携わった。

 

「水戸西店は駐車場が広く立ち寄りやすいため、常にお客さまでにぎわっている店舗なのですが、私が研修でお世話になっていた2011年6月は、東日本大震災の3カ月後。復興支援の一環として、無料で携帯用補助充電器をお渡ししていたこともあって、いつにも増して大混雑状態にありました。一人ひとりのお客さまに対応するだけで一日が終わってしまう状態で、業務はとてもハードでしたね。そんな中、お客さまとコミュニケーションを取ってニーズを聞き出し、最適と思われる端末やサービスをご案内する仕事に、徐々にやりがいを覚えるように。『良いサービスを勧めてくれてありがとう』と感謝の言葉を頂くこともあり、達成感がありましたね。また、店舗には若いスタッフが多く、私よりも年下のスタッフが忙しいながらも笑顔を忘れず、一生懸命働いている姿を見て、とても刺激を受けました」

 

現場研修を受けた後は、茨城支店の営業部に配属となった。ここでのミッションは、茨城支店の販売計画の達成。販売企画担当としてイベントやキャンペーンを企画・運営するなど、さまざまな施策を考えたり、チラシなどの作成等を手がけた。奥野さんの希望の役割だったが、ここでも業務が多岐にわたり、やりがいのある仕事を体験した。

「2年半の間に、たくさんのイベントやキャンペーンを行いました。新規契約者や買い替え需要が増えるのは、学生が進級したり社会人デビューをする春。そこに合わせて、学生向けのキャンペーンを仕かけたり、高校の近くでチラシを配るなどのプロモーション活動を積極的に行いました。チラシにどんな情報を載せればお客さまの心を動かせるのか、どういったスケジュールを組めば効率よく県内全域にアプローチできるかなど、すべてを一から考えなければなりません。もちろん、学生向けだけでなく、県内の商業施設などでのイベント活動も年間を通じて行うため、日々とても充実していましたね。加えて、とても頼りになるベテランの先輩がいたので、隣で教わりながら一連の業務フローを身につけることができました」

 

先輩から学んだことは数多いが、中でも心に残っているのは「上辺だけではなく、細かいところまで本質を理解した上で仕事をする」という教え。例えばツール制作を制作会社へ委託した場合、自分が直接携わっていないことであっても、どういう工程で何が行われているのか理解する、など。

 

「チャレンジしたいことが多いため、細かいことや難しいことはつい委託先の方に任せっぱなしにしたり、深く考えずに発注したりしてしまいがちでしたが、それではこの仕事は務まらないと。自分がやっている仕事には、どんな立場の人がかかわり、それぞれどんな役割を担っているのか、そして各工程にどれぐらいの手間と時間がかかるのか。これらを理解して初めて、自分の仕事の意味が本当に理解できるのだと教えられました。この教えは今でも、私のモットーになっています」

 

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「dマガジン」販促ミーティングの風景。毎週の契約数や利用率の共有、メルマガやPUSH通知の反応などを振り返り、キャンペーン計画などを話し合う。

 

魅力的で可能性のあるサービスだからこそ、効果的なプロモーションで一人でも多くの人に知ってほしい

2014年7月、入社4年目で現在所属するコンシューマビジネス推進部に異動。同月より現在まで、「dマガジン」という、雑誌読み放題アプリの販売促進、利用促進を担当している。現在、配信雑誌数は150誌以上に上り、契約者数も200万人を超えたが、奥野さんが配属されたのはサービスがスタートして10日後。まだプロモーション計画も何も決まっていなかったころだったという。サービスも十分に理解し切れていないうちに、プロモーション施策を考えなければならなくなった奥野さんだが、その時に「茨城支店の先輩の教え」が生きたという。

 

「『dマガジン』の企画や開発担当者など、立ち上げにかかわったメンバーに自主的に話を聞きました。技術に関しては詳しくなかったのですが、プロモーションに携わる以上わからないでは済まされない。一から徹底的に理解したいと思ったんです。『dマガジン』についての理解が深まっただけではなく、立ち上げメンバーの思いや情熱に触れ、あらためて『dマガジン』は本当に魅力的なサービスであり、一人でも多くのお客さまにご利用いただきたいと心から思えるようになりました」

 

これまでに、キャンペーンの企画やメルマガなどによるプロモーションに携わってきたが、思い出深いのは15年の7月、「dマガジン」1周年記念のキャンペーンに携われたことだ。

 

「1周年ということで、いつもとは趣向を変えてクイズ形式のキャンペーンを企画したほか、出版各社にお願いして期間限定で各誌の創刊号を配信。後者においては、営業担当者の頑張りもあって80誌もの雑誌にご協力いただくことができ、SNSでも話題になるなど注目を集め、さらに契約者数を増やすことができました」

 

忙しい毎日ながら、心から「いい」と思えるサービスに携われていることが、とても幸せだという。

「プロモーション活動には波があり、テレビCMの注力時期に合わせて『dマガジン』のWeb広告やPR記事などあらゆる施策を考えます。さまざまな業務が一気に押し寄せるので、ピーク時は多忙を極めますが、『dマガジン』を一人でも多くの方に知っていただくためならば!と力がみなぎって乗り越えられます」

 

今の目標は、「dマガジン」をたくさんのお客さまにご利用いただくこと。そして、ゆくゆくは大好きなアニメや漫画のサービスを世の中に広げるための販売促進に携わりたいという夢を持つ。

 

「日本のアニメや漫画は、日本が世界に誇るべきカルチャー。当社には『dアニメストア』というサービスがあります。世界中の人にアニメだけではなく漫画なども当社のサービスを通じて発信できればと思っています。夢が実現した暁には、そのプロモーションを私が担いたい。そのためにも、今の現場を知り尽くし、スキルと経験をさらに積んで、サービスプロモーションのプロになりたいと考えています」

 

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広告制作会社など、パートナー企業の方々とのやりとりも多い。ジャンル別の特集を組むなど雑誌を横断したコンテンツも多く、社内の出版会社営業担当者との連携も密に取る。

 

奥野さんのキャリアステップ

STEP1 2011年 導入研修の一環として、店舗業務を経験(入社1年目)

茨城県の「ドコモショップ水戸西店」で数カ月間の店舗研修。ロードサイドの人気店で、「混雑する日は駐車場を待つ車の列ができるほど」の大勢の来店客があった。お客さま対応に追われる中でも、できるだけコミュニケーションを取り、お客さまニーズをつかむ大切さを学ぶ。また、現場のスタッフの皆さんが何を考え、何に苦労し、どんなやりがいを得ているのかを理解するきっかけとなった。

STEP2 2011年 茨城支店営業部に本配属、支店のプロモーション活動に携わる(入社1年目)

支店の販売計画達成のため、イベントやキャンペーンの企画、運営やチラシの作成など、あらゆるプロモーション業務にかかわる。ドコモショップでの忙しさを経験したことから、各ショップがお客さまへのアプローチとして送るメルマガのテンプレートを自ら作成し、現場業務の軽減を図る。メールタイトルにインパクトを持たせる、内容はキャッチーに、重要なものほど上部に配置するなど「読まれる文面」も独学で研究した結果、ほかの支店からテンプレートを提供してほしいと要望を受けたことも。

STEP3 2014年 コンシューマビジネス推進部に異動、「dマガジン」のプロモーションに携わる(入社4年目)

「dマガジン」のサービス開始は2014年6月。当時の配信雑誌数は約70誌だった。奥野さんがかかわるようになったのは、サービス開始の10日後であり、プロモーション計画が白紙の状態。まずはサービスの認知度向上と利用促進がミッションだった。dマガジン全契約者へのメルマガとPUSH通知を担当し、どんな層に、どんな内容のメルマガやPUSH通知を送れば見てもらえるのか? を熟考する日々が続いた。

STEP4 2015年 1周年を迎え、「dマガジン」のさらなる販売促進・利用促進に努める日々(入社5年目)

「dマガジン」の配信雑誌数は150誌、契約者数は1年で200万人を突破した。順調にサービス拡大しているように見えるが、「学生時代の友人に会って今の仕事の話をすると、ドコモユーザーであっても『dマガジン』を知らない人がいまだにいる」ことに課題感を覚えている。さらなるプロモーションの工夫で、一段の認知度向上を図るのが今のミッションと捉えている。

 

ある日のスケジュール

9:30 出社。メールを確認し、一日のスケジュールを確認する。
10:30 担当内ミーティング。「dマガジン」のプロモーション担当者が集まり、今週の契約数と計画の推移、キャンペーン内容のすり合わせを行う。
12:00 ランチ。毎日、自作のお弁当を持参している。
13:00 パートナー企業との定例ミーティング。特集記事の内容などを決める。
14:30 デスクワーク。PR記事の内容チェックやPUSH通知の文言確認など。
16:00 広告会社と打ち合わせ。Web広告の効果報告や次回の内容の確認などを行う。
17:00 再びデスクワーク。メールのやりとりのほか、キャンペーン企画に関するアイデア整理も。
18:00~19:00ごろ 退社。できるだけ自炊をするようにしている。夜は炭水化物は減らし、野菜料理やスープ類を作ることが多い。

プライベート

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毎年夏休みには海外旅行に出かける(写真右が奥野さん)。2015年8月には、大学時代の友人とスペインのイビサ島とバルセロナ観光を満喫。イビサ島では有名な、泡放出機の泡を浴びながら踊るクラブイベント「泡パーティー」にも参加した。

 

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茨城支店勤務時代にゴルフを始めた。近くにゴルフ場が多く、支店のメンバーとよくコースを回ったという。写真は、仲良しの同期と2014年6月にゴルフを楽しんだ時(右から2番目が奥野さん)。

 

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2015年3月、大学3年生の時に参加したインターンシップ仲間の結婚式に参加。2週間、みっちり一緒にビジネスプランなどを練った仲間たちなので、結束力が強く、今も定期的に集まって情報交換している。

 

取材・文/伊藤理子 撮影/刑部友康

 

アパレル編

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インターネット通販市場は着実に拡大。各社は通販サイトを強化して売り上げ拡大を狙う

アパレル(apparel)とは、英語で衣服のこと。衣料品やファッション雑貨の企画・製造・販売を手がけるのがアパレル業界だ。国内企業としては、「ユニクロ」「GU(ジーユー)」を運営するファーストリテイリングや、「ファッションセンターしまむら」「アベイル」などを展開するしまむらが代表格。ほかにも、総合アパレル企業のワールドやオンワードホールディングス、紳士服チェーンの青山商事やAOKIホールディングス、下着の分野で大きな存在感を発揮するワコールホールディングスやグンゼ、セレクトショップ(特定のブランドだけではなく、オリジナルの視点で選んだ多彩なブランド・商品を販売する店舗)のユナイテッドアローズなど、さまざまな企業がある。一方、海外企業としては、「ZARA」などを展開するインディテックス(スペイン)、「H&M」で知られるエイチ・アンド・エム ヘネス・アンド・マウリッツ(スウェーデン)、「GAP」を手がけるギャップ(アメリカ)などが有名だ。

 

経済産業省の「商業動態統計」によれば、2014年におけるアパレル小売業の年間販売額は11兆5000億円。前年(11兆1870億円)より2.8パーセント増え、5年連続で市場は拡大中だ。ただし、販売チャネルごとに見ると、明暗は分かれている。下記データで紹介しているように、インターネット通販を含む「その他チャネル」と、大手SPA(Speciality store retailer of Private label Apparelの略。企画から小売までを一貫して手がけるアパレル企業のこと。製造小売業と呼ばれることもある)やセレクトショップなどの「専門店チャネル」は好調。これに対し、「百貨店チャネル」や、総合スーパーなどの「量販店チャネル」は縮小傾向だ。また、都市部は訪日外国人需要という追い風もあって比較的堅調だが、地方では総じて苦戦気味といえる。

 

インターネット通販の拡大は、今後も続きそうだ。近年は若い世代をはじめあらゆる世代で、インターネットを通じて衣服を買うことに抵抗を感じない人が増加。そこで各社は、この分野の強化に取り組んでいる。例えば楽天は、出版社の幻冬舎と協力し、スマートフォンで見られる無料ファッション雑誌『GINGER mirror』を創刊した。誌面で紹介された女性向け衣料品を、楽天のサイトで購入できる仕組みになっている。また、ZOZOTOWNを運営するスタートトゥデイは、ZOZOTOWNで買った服や気になった服を組み合わせられるコーディネート提案アプリ『WEAR』を提供。利用者は増えており、同社の売り上げ増に寄与している。このように、スマートフォンを活用した新たな取り組みは、今後も活発に行われるだろう。

 

既存の大手アパレルメーカーも、通販サイトを強化している。「ナノ・ユニバース」などのブランドを展開するTSIホールディングスは、複数の自社ブランドを並べた総合通販サイトを縮小し、ブランド別の専用サイトを増やす方針を打ち出した。これにより、各ブランドのファンにより訴求しやすい環境を作ろうとしている。また、実店舗と通販サイトを連動させる取り組みも盛ん。「ポール・スチュアート」や「マッキントッシュ ロンドン」を手がける三陽商会は、15年8月から通販サイトと直営店のポイントを共通化し、利用者の使い勝手を向上させた。ほかにも、試着ができないことを理由に通販サイトを敬遠していた層を取り込むため、配送料無料で返品・交換に応じる企業が増えている。

 

このところ、日本製であることをアピールする商品が増えていることにも注目しておこう。品質にこだわる消費者は一定数存在しているし、日本製品を愛好する訪日外国人が増えたことで、日本人の間にも日本製品を再評価する動きが強まったことが背景にある。また、新興国の労働コストが高まっていることに加えて、円安が進み、日本と海外との間に以前ほど製造原価の差がなくなっていることも理由の一つだ。例えばオンワード樫山は、「五大陸」ブランドの15年春夏向けビジネス用ドレスシャツで、従来は半分程度だった国産比率を100パーセント国産にした。また、海外向けの商品を日本国内で作り、ていねいな縫製や耐久性の高さを売りにするケースも目立つ。

 

販売チャネル別に見た小売市場規模の推移

専門店チャネル(大手SPAやセレクトショップなど)
2010年……4兆4035億円
2014年……4兆9014億円(11.3パーセント増)
百貨店チャネル
2010年……2兆1900億円
2014年……2兆1221億円(3.1パーセント減)
量販店チャネル(大手スーパーなど)
2010年……1兆1457億円
2014年……9869億円(13.9パーセント減)
その他チャネル(カタログ通販、インターネット通販など)
2010年……1兆1838億円
2014年……1兆3680億円(15.6パーセント増)

※矢野経済研究所「国内アパレル市場に関する調査結果 2015」より。「その他チャネル」の好調ぶりが目をひく。インターネット通販だけに絞れば、成長率はさらに高い。

このニュースだけは要チェック <訪日外国人向け市場は新たな成長分野>

・免税店チェーンのラオックスが、自社ブランド「オリガミ」を携えてアパレル事業に参入。国内の工場に生産を委託し、品質の高さを武器に訪日外国人への売り込みを狙う。15年の訪日外国人数は、過去最高を記録した前年をさらに上回るペースで伸びており、この市場は有望だ。(2015年5月30日)

・「アンタイトル」「タケオキクチ」などのブランドで知られるワールドが、全社員の4分の1が希望退職制度に応募したと発表した。TSIホールディングスも2015年5月に一部ブランドの廃止と人員削減を発表しており、業績改善のためにリストラを行う企業は少なくない。(2015年8月12日)

この業界とも深いつながりが<ネット関連業界との協力が不可欠に>

ポータルサイト・SNS
ポータルサイトと連携し、通販サイトにユーザーを誘導する動きが活発化

IT(情報システム系)
モニター上で行う「バーチャル試着」など、デジタル技術を活用した取り組みに注目

繊維
寒さを防いだり通気性を高めたりする衣料品を作るには、高機能な繊維が欠かせない

 

この業界の指南役

日本総合研究所 シニアマネージャー 高津輝章氏

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一橋大学大学院商学研究科経営学修士課程修了。事業戦略策定支援、事業性・市場性評価、グループ経営改革支援、財務機能強化支援などのコンサルティングを中心に活動。公認会計士。

 

取材・文/白谷輝英 イラスト/坂谷はるか

【ロシア編】ハードな環境を生き抜く危険察知能力が身についた

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Reported by しんのすけ
ロシアの首都モスクワにある日系販売会社の現地法人に勤務。モスクワには、思った以上にさまざまな種類の博物館があるので、休日は博物館や美術館を巡るのが楽しみ。仕事帰りに、コンサートやオペラ鑑賞に行くのも貴重な息抜きとなっている。

つぶしが利く言語としてロシア語を選んだ

こんにちは。しんのすけです。今回は、ロシア駐在で身についたスキルを中心にお話しします。

 

そもそもロシア駐在になったのは、今の会社に入った際に、会社がこれから力を入れるエリアがいくつか提示され、その中から選ぶように言われたから。フランス語やスペイン語よりも習得者が少ないであろうロシア語なら、身につけておくと、今後もつぶしが利くのではないかと考えたのです。また、ロシアは国土が広大なので、マーケットとしての可能性も計算に入れての選択でした。

 

会社から派遣される形でロシアに留学して、徹底的にロシア語を学び、1年間で日常会話とビジネスでのやりとりができるまでになりました。20代半ばの若さだったので、吸収も速かったのだと思います。ロシア駐在となり、仕事をするようになってからは、外回りの多い部署にいる間こそ、ロシア語が上手になった気がしましたが、今の部署はデスクワーク中心なので、語学力はやや衰えたかも。なんとか今の水準は維持したいと思い、現地スタッフや現地の人と話すときは、極力ロシア語で通すように心がけています。

 

「あのあたりはヤバそう」と勘が働くようになった

ロシアで仕事をすることで身についたのは、ハードな環境でサバイバルするために危険を察知する能力でしょうか。赴任当初は、今よりもさらに治安が悪かったのですが、歩いていても、「あのあたりはヤバそうだな」ということが、勘でわかるようになってきました。警察官に交通違反を見つかったときなども、こちらが外国人だと罰金をその場で徴収してポケットに入れてしまう警察官がいるので、毅然(きぜん)とした態度で「後から払うことになっているはずだ」と反論することができるようになりましたね。

 

また、外回りのときは、ビジネスの最前線で顧客とナマのやりとりができる醍醐味(だいごみ)を存分に味わうことができました。「うちの会社では、今度こういうことがやりたいんです」と売り込めば、すぐに反応があり、成果も出て、自分の力で交渉してマーケットを開拓していく手応えがありました。なかなか得難い経験だったと思っています。

 

日本は、サービスのレベルも高く、経済も安定していて、とても暮らしやすい国ですが、その一方で、少々、窮屈に感じることもしばしばあります。その点、海外、特に未開拓なマーケットは、何でもあり。もっと自由にいろいろなことにチャレンジできる魅力があります。年を取ってからだとなかなかしんどいので、若いうちにちょっとだけでもいいから海外に出て、日本の常識が通じない、まったく異なる文化の中に、身を置いてみることをお勧めします。

 

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ロシア語の教材。ロシア語の名詞には、男性名詞、中性名詞、女性名詞とがあり、動詞にも「完了体」「不完了体」があるなど、文法は、かなり英語とは異なっている。

 

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モスクワの赤の広場のすぐ外側に店を出している土産物店。観光客が鈴なりになってマトリョーシカなどの土産物を買っている。

 

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世界各国の歴代リーダーやアーティストが描かれたマトリョーシカ。ここには元野田総理の姿があるが、現安倍総理のマトリョーシカもあった。

 

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赤の広場にある百貨店「GUM」。帝政ロシア時代の1893年に完成した建物が今でも使われている。

 

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スーパーのウォッカ売り場。さすが本場だけあって、その種類の豊富さに圧倒される。

 

構成/日笠由紀

株式会社野村総合研究所

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かわべ・しゅんすけ●コンサルティング事業本部コンサルティング人材開発室。京都大学大学院工学研究科機械理工学専攻修了。2010年入社。リーマン・ショックの逆風の中、「個人として価値ある人材になりたい」と考え、就職活動に取り組む。業界を問わず適応できる能力が身につくこと、幅広い人脈を形成できること、スピーディーに成長できることを基準に、コンサルティング業界を選択。現社に入社した決め手は、「事業領域の広さ」と「個人の自由度の高さ」。

配属初日からお客さまとの打ち合わせに参加。常に期待+αの姿勢で挑み、まとまった仕事を任されるように

「スピーディーに成長しながら、どこの業界でも通用する能力を身につけたい」と考えて、現社に入社した河邊さん。入社後の新人研修を受けたのち、業務革新コンサルティング部に配属された。最初に経験したプロジェクトは、大手銀行の店舗業務の改善。オペレーションにおけるミスを防ぐため、マニュアル化されていない業務プロセスを洗い出し、リスクを減らすための改善策を提案する案件だった。
「まずはインストラクターとしてついてくれた先輩のプロジェクトに入り、打ち合わせへの参加や資料作成をしながら仕事を覚えていきました。配属初日でお客さまとの打ち合わせに参加しましたが、会話の中に出てくる単語もわからなければ、そもそもの課題が何なのか、何を改善していけばいいのかという方向性もつかめず、危機感を抱くことに。過去の資料や銀行業務についての本を読むなどして勉強し、先輩に自分の考えをぶつけながら知識を増やす努力をしていきました」

 

お客さまへのプレゼンテーションにも、ただ参加するのではなく、「自分自身で提案すべき内容を考えよう」と決意し、業務プロセスのどこにどのようなリスクがあるのかを自分なりに洗い出していったという。
「お客さまのリスクコントロールを行う部署との打ち合わせや、各支店の支店長から受付担当者まで集めるディスカッションの場に参加しました。しかし、最初のうちは一方的に弊社からの報告をするのみで、先輩のように議論に発展させることができなかった。これではダメだと思い、先輩がどう進行しているのかを真似し、日ごろ、友人とコミュニケーションするときに自分がどう対話しているのかを見つめ直すことにしました。とにかくチーム内の打ち合わせでは臆せず発言し、どのような内容なら筋が通っていると判断されるのかを見極め、支店のディスカッションでは発言内容だけでなく発言のタイミングまで考えていきましたね」

 

週に一度、リスクコントロールの部署と打ち合わせを行ううち、少しずつ相手の話を引き出せるようになっていく。また、各支店においては、1カ月間に100業務についてのディスカッションや書類のやりとりを行い、次第に議論の場を盛り上げていくことができるようになっていった。
「これらを踏まえた改善策をどんどん出し、先輩のサポートを受けながら自らお客さまにもプレゼンテーションするようになっていきました。このプロジェクトに携わったのは、異動するまでの5カ月間のみでしたが、仕事の全体像をつかみ、どう進めていくかという自分の計画を立て、実行に移す流れを学ぶことができたと思います。また、異動の際、先方の担当者から『短い間だったけれど、ありがとう』という言葉を頂いて、すごくうれしかった。リスクを減らすことが目的のプロジェクトでは、明確なゴールがなく、成果もすぐには出ないもの。だからこそ、目の前のお客さまに喜ばれることがやりがいになるのだと実感しました」

 

河邊さんは、常時2〜3件のプロジェクトを並行して担当していくが、この後、会社のジョブローテーション制度により、グローバル製造業コンサルティング部に異動。メーカーなどの製造系企業の戦略に携わった。
「最初は、水の再生システムに使う部材を生産する電機メーカーのプロジェクトに参画しました。水ビジネスのプロの先輩や都市設計に強い先輩など、7名のチームで取り組んだ大規模案件で、フィルターのみでなく、水システム全体に携わるようなビジネス戦略を考えることが命題。このメーカーの強みや市場ニーズを分析し、今後、どういった事業を手がけていくといいか、そのためにどの企業と提携すればいいかを考え、M&A(事業統合)に応じてくれそうな企業に交渉することまで手がけます。戦略のポイントは、『スマートシティ(ITや環境技術などの先端技術を駆使して省エネ化などを図る環境配慮型都市)』にどう絡めるかという点でした」

 

河邊さんは、会議の議事録作成とともに、「スマートシティで実際に行われていることとは一体何なのか」という事例分析を任される。さまざまな調査レポートや本を読み、世界における100の都市開発事例を調べ上げていった。
「そもそも“スマートシティ”というものの定義自体が曖昧で、太陽光発電や風力発電、水の再生、車の自動運転など、取り組んでいる内容はバラバラ。ですから、ただ単に調査するだけでなく、どの取り組みをクローズアップすべきかをわかりやすくしようと考えました。100の事例の中で、例えば太陽光発電に取り組んでいる事例がいくつあるのかなどを一覧化し、世にあるスマートシティがどのような技術・商品で構成されているのかわかるようにしたのです」

 

先輩から「一週間で事例集を作って」と言われていたが、河邊さんは、プログラミングなども活用し、指示された以上のものを1日で作成した。
「頼まれたことをやるだけでは自分がやる意味がありませんから、自分なりに効率化やわかりやすさを意識してまとめ上げるようにしていました。スピードと積極的な姿勢が先輩から評価され、以来、大まかな指示のみで、自分でやり方を考えるところから仕事を任せてもらえるようになりました」

 

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人事の責任者と打ち合わせ。学生向けのセミナーで、どんなことを話すのか、コンサルティングの仕事をどうわかりやすく紹介していくかを話し合う。

 

入社2年目にひとり立ちし、海外各地への出張も経験。入社3年目にはプロジェクトリーダーとして活躍

入社2年目、指導してくれたインストラクターの先輩のもとを離れ、ひとり立ちすることに。
「ところが、いきなり『とある電機部品メーカーが新たなビジネスで大きく成長するための戦略提案』について戦略仮説立案とプロジェクト設計を任され、自分でゼロから考える大変さを味わいました。そのメーカーの持つ強みを生かしてどのような事業を手がければいいのか、ほかに必要な部品があるのか、その場合、どの部品メーカーと提携すればいいのか、M&Aに応じてくれる可能性があるメーカーはどこなのか、などを考えるというミッション。『こういう課題と背景があり、こういうことをやればうまくいく』という仮説を、2週間で立てることが必要でした」

 

これまで携わったことのない業界だったため、何の知識もない上、何から手をつければいいのかもわからない状態。河邊さんは本を読んで知識を学ぶが、それだけでは業界知識のあるお客さまの期待を上回ることはできないと考えた。
「社内のいろんな人の力を借りようと考え、過去に電機関係のプロジェクトでチームを組んだ先輩をつかまえてアドバイスをもらうことにしました。また、部署内の先輩たちも『電機関連の会社で知っている人がいるから、ヒアリングできるか聞いてみる』など、親身に協力してくれましたし、お客さまと懇意にしていた役員がいろいろと相談に乗ってくれたおかげで無事提案できました。最終的に、この提案はお客さまの社内事情で実現に至らなかったけれど、人の力を借りることの大切さを学ぶ貴重な経験ができたと思います」

 

また、入社2年目の後半からは海外出張も数多く経験。海外での事業展開を検討している電機メーカーや医薬品メーカーのプロジェクトでは、提携先となりそうな現地企業へのヒアリングを行った。
「公にできない検討段階では、お客さまの代わりに僕たちが現地の候補企業を訪問し、市場状況やM&Aに対する考え方などを聞いて感触を探ります。医薬品メーカーのプロジェクトでは、中国・インドの担当となり、1カ月間でインド、中国、アメリカ、ヨーロッパの各地を回ることに。自分にとって1人で海外に行くのは初めてでしたし、英語も得意ではなかったので、当初は飛行機の乗り換えすらも不安でした(笑)。しかし、現地でコミュニケーションを重ねるうち、語学力よりも、どういった理論を持って話し合うのかが重要だと実感。世界に目を向けるようになると同時に、『短時間で相手の考えを引き出し、説得力ある展開でどのような落としどころに持って行くのか』がプロジェクトの成功を左右するということは、海外も日本も同じなのだと気づいた出来事でした」

 

入社3年目になると、プロジェクトリーダーとして、戦略の設計から全体のスケジュール管理、チームの運営管理までを任されるようになる。
「化学メーカーが環境エネルギーの分野で新規事業を生み出したいという案件で、社内で先輩・後輩合わせて5人のチームを組みました。しかし、先方からの期待に応えたい一心で、『それなら、可能性のある分野は全部調べよう!』と張り切った結果、検討すべき内容が膨大になり、メンバーに大きな負荷をかけてしまったのです」

 

結局、プロジェクトマネージャーから「この状態で続けるのは無理」とのアドバイスを受け、進め方を見直すことに。
「要は、このプロジェクトで何をやらねばならないかというポイントを絞れていなかったのです。そこで、先方の役員をはじめ、プロジェクトにかかわる一人ひとりにインタビューし、新規事業のゴールは一体何なのか、それによって会社の位置付けをどうしていきたいかなどをあらためてヒアリングすることにしました。そこから重視すべきことを取捨選択し、どういった業界のどんな技術領域に踏み込んでいけばいいのかを考え、抽象的な要望を徐々に具体的な提案に落とし込みました」

 

約4カ月間かけて取り組み、最終的なプレゼンテーションでは、先方の役員の方たちから拍手とともに『ありがとう』という言葉をもらった。
「お客さまから感謝してもらえたこと、そして、実際に新規事業化が決断されたことで2つの達成感を得ることができました! どんなにいい提案をしたところで、お客さまが動かなければ意味はない。初めて自分の案件が実現し、大きな手応えを実感しました」

 

コンサルタントとしてスピード感ある成長を続けてきた河邊さんは、入社6年目となる現在、コンサルティング事業本部の人事採用を担当。採用から募集告知、選考プロセスの設計から実行、さらには内定者のフォローまでを手がけている。
「コンサルタントの仕事では、提案した戦略を実行するのはお客さまですが、人事の仕事は“実行”そのもの。自分の立てた戦略を実行し、結果、どういった人材を何名採用できたのかという成果も目に見えてわかる。ただ戦略を立てるのではなく、実行フローや背景にどのような難しさがあるかまで想定しなくてはならないと肌で実感した経験は、今後の仕事に必ず生きると思っています」

 

河邊さんは、「コンサルタントの仕事は、クライアントがお金を払ってでも解決したいと考えるほど難しいテーマばかりだ」と話す。
「プレッシャーは大きいですが、自分自身に対して感謝の言葉をもらうことができる喜び、そして、企業から官公庁まで、幅広いお客さまを通じて世の中に影響を与えることができる大きなやりがいがあります。将来的には、お客さま自らが新規事業を生み出せるような仕組みを作っていきたい。1つのプロジェクトだけでなく、この先何十年も役立つ仕組みを作り上げ、世の中により大きなインパクトを与えていくことが目標です!」

 

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パワーポイントでプレゼンテーション資料を作成。ベースとなるデータ分析やグラフ作成なども自ら行う。打ち合わせ1回につき、40〜50枚程度の資料を、チームのメンバーと分担して作成する。

 

河邊さんのキャリアステップ

STEP1 2010年 新人研修でコンサルティングの基本スキルを学ぶ(入社1年目)

入社後、3週間の全社研修を受ける。グループ全体で約300名の新入社員と一緒に、ビジネスマナーやチームワークなど、社会人の基礎を学んだ。この後、コンサルティング事業部における1週間の基礎研修を受け、論理的思考や、問題発見、課題解決に向かうための思考の進め方、お客さまへのインタビューやそれをまとめるスキルなどについて学んだ。「学生時代と違い、誰かが手取り足取り教えてくれる世界ではないので、どれだけ学び取れるかは自分次第。受け身ではいけないと考え、毎朝、誰よりも早く研修ルームに行き、経済新聞を読んでいました。なるべく早く活躍できるだけの力を身につけたかったので、『ここで差をつけられなければ、今後の配属後にも差をつけることはできない』と思って、気を引き締めていきました」。

STEP2 2010年 ジョブローテーション制度で半年ずつ現場の仕事を経験(入社1年目)

社内の新人ローテーション制度により、業務革新コンサルティング部とグローバル製造業コンサルティング部を半年ずつ経験。主に、大手銀行の店舗業務改善と、投資ファンド・総合電機メーカー・総合商社の水ビジネス戦略立案に従事。常に2〜3案件を並行して担当していく。「推測のみで意見を述べれば、先輩から“なぜ?その根拠は?”と聞かれてしまいます。3回も4回も“なぜ?”と突っ込まれても耐えられるように調査や分析などの準備をするようになり、コンサルタントとしての基礎力を身につけることができました」。

STEP3 2011年 コンサルタントとしてひとり立ちし、海外出張も経験(入社2年目)

入社2年目、インストラクターの先輩がいなくなったことで、「これまで先輩が新人の自分にとってやりやすいように仕事を設計してくれていたのだ」と実感。この時期から、水に関連するビジネスを中心に、専門領域を都市開発(スマートシティ)に拡大。日系企業の海外におけるM&A交渉・案件獲得の支援に注力し、インド、中国、アメリカ、ベトナム、マレーシア、インドネシア、カンボジア、タイ、スイス、イギリス、スペインなど、海外各地への出張も経験。また、入社3年目以降は、プロジェクトリーダーとしてプロジェクト設計・運営を任されるようになる。さらに、入社4年目には、日本の材料・化学の技術差別性に着目し、さまざまな客先の企業に環境・エネルギー分野、医療・ヘルスケア分野における新規事業開発プロジェクトを経験。大型プロジェクトのリーダーも務め、お客さまの各事業部から選出された幹部候補10名と社内のコンサルタント5名とともに新規事業開発に取り組む。この時に提案した事業は、客先で事業化する決定が下されている。

STEP4 2014年 コンサルタントの採用・育成に従事する人事担当者に(入社5年目)

現部署に異動し、期間限定で、コンサルティング事業本部の人材戦略、採用支援、研修を担当。採用活動を通じ、長期の育成を含めた人材開発戦略の構築に取り組む。「全社内で採用を担当するのは8名のみ。うち、コンサルタントの採用を担当するのは2名です。期間限定とはいえ、異動が決まった時には驚きましたね。けれど、人材は企業における重要な資源であるため、その採用に携わることに大きな意義を感じています。僕たちの広報活動が、この会社の魅力を感じてもらえるかどうかに直結する責任の重さを感じると同時に、社内から各部署の人々の協力を得ながら頭の中で立てた戦略を実行に移すことの難しさも実感しますね」。
選考までの広報活動では、雑誌などの紙媒体ではインタビューで答えるべき内容を考え、パンフレット作成ではデザインにまでこだわり、セミナーではプレゼンの資料を作成すると同時に、そこで流す映像についてのコンセプトからストーリーまで考える。また、選考では評価項目を考え、自ら面接も行うという。「さまざまな局面の中、やってみたいことを企画するだけでなく、実行して試しながらその効果を測定することができます。2016年にはコンサルタントの仕事に戻るので、この経験を生かしていきたいと思っています」。

 

ある日のスケジュール

9:00 出社。メールチェックと電話対応。
10:00 社内ミーティングに参加。プロジェクトについて、チームのメンバーとディスカッション。
11:00 ディスカッションした内容を基に、次回のプレゼンテーションに向けた資料作成。
12:00 部署内のメンバーと丸の内のレストランでランチ。
13:00 外出。お客さまとの打ち合わせ。資料を見せてプレゼンテーションし、意見交換を行う。
16:00 帰社。社内ミーティングに参加し、本日の意見交換の内容について振り返りを行う。
17:00 ミーティングの内容を基に次回のプレゼンテーションに向けた資料作成。
19:00 退社。帰宅後、家族と食事。
21:00 残していたタスクの処理を自宅で1時間程度行う。メールチェックと翌日のタスクについてメモを作成。

プライベート

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平日はなるべく早く退社し、3歳になる息子との時間を楽しんでいる。「子どもができてからは、プライベートも子ども中心になりました。一緒に遊ぶだけでなく、お風呂や寝かしつけもしています。土日も家族で公園に出かけることが多いですね」。

 

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2015年の5月から、自宅の庭で家庭菜園をスタート。トマトやキュウリ、ゴーヤ、ナスなどを育てている。「子どもの情操教育にもいいと考え、植物を育て始めました。自然に触れてリラックスできますし、収穫の時期には、その成果に喜びを感じています」。

 

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現在の部署に異動してからは、新入社員、内定者などと飲みに出かける機会が増えた。写真は、2015年8月、京都へ帰省した際、内定者に誘われ京の夏の風物詩・鴨川の川床へ行ったときのもの。季節の料理やお酒を堪能した。「若い人たちの話を聞くと元気をもらえますし、自分も負けないように頑張ろうと思えますね」。

 

取材・文/上野真理子 撮影/刑部友康

スーパー内定 関西外国語大学 下野千夏さん

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就活データ
志望業界:メーカー、小売 説明会参加:60社以上(うち合同企業説明会10回) 先輩訪問:なし エントリーシート提出:30社 面接:15社 内定:1社 活動費用:約13万5000円(交通費8万円、スーツなど洋服代3万円、書籍代5000円、外食費1万円、雑費1万円。東京での会社説明会参加に新幹線を利用したので、交通費がかさんだ。バスの方が費用は安いけれど疲れるので、あえてお金より体がラクな方を優先した。飲食費は、カフェ利用やランチ代)

業界研究のために参加できる限りの会社説明会を活用

大学3年9月から12月まで、カナダに語学留学をしていました。周りの友人が夏のインターンシップに参加していたのであせる気持ちもあり、カナダ滞在中に冬のインターンシップの情報をリサーチ。業種、日程を問わず応募しました。

 

12月に帰国し、数日後に引っ越し会社、さらに機械商社とそれぞれ1dayインターンシップに参加。いずれも業界研究、会社研究についての講義とグループワークという内容でした。さらに、大学のキャリアセンターでインターンシップの募集情報をチェック。その中から、2月に銀行で5日間のインターンシップに参加しました。金融業界、銀行業務について理解を深める内容で、為替の仕組みやマーケットのとらえ方についての座学。そのあと、ある法人のお客さまに業務提案を行うグループワークなどを行いました。さらに、その銀行の取引先である音響メーカーの工場見学なども。このインターンシップを経験し、銀行とモノづくりに興味を持ちました。

 

3月はできるかぎり、合同企業説明会に参加しました。学生の参加者がものすごく多く、名前の知っている企業は話も聞けないほどの混雑でしたが、銀行とメーカーを中心に回りました。メーカーはベアリング、部品、モーターなどB to Bが多かったですね。

 

そのほか、合同企業説明会では商社や行政機関なども回りました。合同企業説明会には、人が多くて行かないという友人もいましたが、行かずに後悔するのは嫌だったんです。広く会社を知れるチャンスだし、行くことで得られる情報もあると思います。

 

大学4年生になると、個別の会社説明会、合間にエントリーシート提出と忙しくなりました。朝は会社説明会に行き、大学に戻り授業を受け、また会社説明会に向かい、大学に戻ってキャリアセンターで就活の相談にのってもらう、というハードな日々が続きました。

 

インターンシップに参加した銀行の会社説明会では、リテールや法人、外為など事業ごとの話を聞くことができ、銀行の事業が理解できました。メーカーの会社説明会にも参加。ベアリングメーカーでは、女性の先輩社員が登場し、男女差がなく働けること、産休・育休が整っていることなどをお聞きしました。

 

メーカーは全般的にグローバル展開している企業が多く、ダイナミックな仕事ができる点が魅力。そして、会社説明会を経てメーカーへの志望度がアップ。特に、事業内容のスケールの大きさに魅力を感じ、ベアリング企業2社を第1志望群にしました。

 

5月になると、ベアリング、部品などメーカーでエントリーシートの提出がピークに。機械メーカーの手書きエントリーシートを作成し、キャリアセンターの方に見てもらったんです。すると、文字の大きさがそろっていない、たくさん詰め込みすぎて読む気がしないといった初歩的なアドバイスから、会社に感じた魅力を並べるのはなく、その会社で自分をどう生かせるかを書く、といった具体的なアドバイスも。そして、修正したエントリーシートを持参し、再びアドバイスをもらうことを繰り返しました。

 

6月になると、いよいよ面接が始まりました。学生時代に頑張ったことや志望動機など一般的な質問に加えよく聞かれたのが、「外国語大学なのに、なぜメーカー志望なのか」「女性でメーカーに挑戦することに不安はないですか?」というもの。前者については、他業界よりも海外展開が進んでいるので語学を生かせる業務もあるという点、後者については知識がないからこそ違った視点で業務を見ることができる、ということを伝えました。

 

また、あるベアリングメーカーの最終面接では、「今からすべて、英語で受け答えをしてください」と言われました。突然、英語でと言われても、細かな表現を英語で伝えるのはとても難しく、不合格になりました。

 

自分では精一杯やっているつもりですが、思うような結果は得られませんでした。そして、7月中旬にベアリングメーカーのグループディスカッションで不合格になり、応募企業がなくなってしまったんです。と同時に、この先どうなるのかという不安に襲われました。気持ちが途切れてしまったこともあり、1週間、就活を休むことに。大学に行き授業を受け、友人と会話し、アルバイトに行くという普通の日々を過ごすことで、気持ちを切り換えることができました。

 

まったく思いもしなかった小売業に進もうと決意

そして、7月後半から就活を再開。合同企業説明会に参加したり、リクナビでメーカーに絞ってエントリーしたり。興味を感じていなくても、とりあえず応募企業を増やそうという一心なのですが、志望が明確になっていないので面接で不合格になるんです。

 

何をやってもうまくいかない、まるで暗闇の中にいるような気分で友人に相談にのってもらいました。すると、「アルバイトの接客も楽しそうだし、小売業に向いているんじゃないの?」と言われたんです。そして、軽い気持ちで企業をリサーチしていると、現在の内定先の会社説明会があったので参加することに。話を聞くうちに、売り場を作ることの楽しさ、評価制度が明確で再雇用制度なども整っていると知り、興味を持ちました。

 

数日後にグループディスカッションに参加。アボカドの売り上げを、メディアを使わずに2倍にするには、というテーマでした。6人のメンバーで、私はまとめ役のような役割で話題を進めていきました。

 

そして、面接へ。面接を受ける前に、実際に店舗を見に行くことに。客として利用しているのとは違い、働くという視点で見ると、こうしたらいいのにという部分が見えてくるんです。特に、おみやげコーナーを設置しているのに英語表記がないなど、外国人の利用を考えて売り場を作り変えるべきだと思いました。

 

面接ではまず、志望動機などを聞かれたあと、「なぜ外大なのに?英語を使う機会はないけれどいいのか?」と聞かれました。これだ!とばかりに、店舗を見に行ったこと、その時におみやげ売り場を見て思ったことを伝え、外国人利用を考えれば語学力を生かすことができるとアピールしました。

 

そして、8月初旬に念願の内定。その直後、参加している青年海外交流事業でモンゴルに10日間滞在。帰国後、メーカー2社の面接を控えていたのですが、滞在中にじっくり考えた結果、辞退することに。もともとはメーカー志望でしたが、企業規模や仕事内容を考えて、小売というのが自分に合っていると思ったからです。

 

エントリーシートは半数以上、通過したので、正直、どこかの会社で決まるだろうと思っていましたね。でも、面接で不合格が続き、応募企業がなくなってしまった時はものすごく不安でした。ただ、その時点からでもまだまだ会社説明会はあるし、やり直すことはできるもの。志望業界に固執せず、方向転換など柔軟に動くことが大切だと思います。

 

低学年のときに注力していたことは?

地元の自治体が主催する青年海外交流事業に応募。12人のメンバーに選ばれ、大学1年ではオーストラリアに10日間、滞在。現地では、先住民や少数民族と交流し刺激を受けました。大学2年は、個人で経済発展が進むベトナムに旅行。また、エントリーシートでのエピソードにも書いたのですが、テーマパークのクルーや飲食店、アパレル販売スタッフ、家庭教師などさまざまなアルバイトを経験。やりたいと思うことは、なんでもやるタイプだとアピールしました。

 

就活スケジュール

大学3年12~2月
2社の1dayインターンシップに参加
さまざまな業界を知るため、引っ越し会社、機械商社とそれぞれ1日のインターンシップに参加。大学のキャリアセンターでインターンシップの募集情報を探し、2月に銀行の5日間のインターンシップに参加。
大学3年3月
合同企業説明会に参加
銀行、ベアリングや部品などB to Bメーカー中心に参加。幅広く話を聞こうと、商社や行政機関なども回る。
大学4年4月
会社説明会参加とエトリーシート提出
メーカー、銀行の個別の会社説明会へ。エントリーシート提出もあり、大学の授業も忙しく、体力的にハードな日が続く。説明会を経て、ベアリング企業2社を第1志望群にする。
大学4年5月
エントリーシート提出のピーク
ベアリング、部品などメーカーでエントリーシート提出。キャリアセンターの方にアドバイスをもらい、ベースとなるエントリーシートを仕上げる。
大学4年6月
面接がスタート
メーカーへの強い志望度をアピール。最終面接に進む企業もあるが、不合格が続く。
大学4年7月
応募企業がなくなる
中旬にベアリングメーカーでグループディスカッション。結果は不合格で、その時点で応募企業がなくなる。不安はあったけれど1週間、就活を休むことで気持ちをリセット。後半から就活を再開し、合同企業説明会に参加。
大学4年8月
小売で内定をもらい就活を終了
友人から「接客が向いている」と言われ、思いもしなかった小売業に目を向ける。説明会、グループディスカッションを経て最終面接。実際の店舗を見て思ったことを伝えることで志望度をアピール。初旬に内定をもらい、就活を終える。

 

就活ファッション

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ボトムがスカートとパンツの2種類ついたものを選んだ。寒い日などは、パンツを着用。ブラウスは首もとをスッキリ見せたいので、スキッパータイプをチョイス。靴はプレーンな黒のパンプス、バッグも黒のレザータイプを選んだ。

 

取材・文/森下裕美子 撮影/島並ヒロミ

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