体育教師として勤務後、理想の教育現場を作るため、「自ら学校を作ろう」と決意
「一人ひとりの子どもの可能性が最大限に生かされる社会の実現」をミッションとする認定NPO法人Teach For Japan。松田さんは、この団体を立ち上げ、教育格差の是正を実現するため、教師派遣事業を全国で展開している。
松田さんが教育に対する情熱を燃やすようになったのは、中学時代にいじめを経験し、体育教師に支えられたことがきっかけだったという。
「当時は体も小さく、体育も勉強もできず、いじめに苦しんでいた自分。その時、恩師である体育教師が『どうしたら強くなれるのかを一緒に考えよう』と向き合ってくれたんです。根気強くほめてくれて、期待される喜びを知ったことで体育の授業にも真剣に取り組むようになり、やがていじめも乗り越えることができました」
この出来事を経て、「何かの形で恩返しをしたい」と感じた松田さんは、1人でも多くの体育嫌いの生徒をなくしていこうと考え、体育教師の道を志す。大学時代には教職課程を取得するのみならず、自ら学習教室を作り、教育への思いをより強めていった。卒業後は、東京都内にある中高一貫校の中等部にて体育教師を務めるが、ここでも「いかに実社会で役立つような教育につなげるか」を考え、自分流の授業を展開していく。
「例えば、保健体育の授業でHIVについて教える場合でも、自らがHIV検査を受けに行き、そこにどんな人が来ていて、どんな場でどう結果を聞かされるのか、そして、東京におけるHIV感染の実態はどうなっているのかなど、実社会と教科書に書かれていることを接続していこうと意識していました。楽しく英語力を身につけさせるため、体育の授業をすべて英語で行う指導方法も考案しましたし、陸上部の顧問として、部員たちに毎日欠かさず日誌を書かせ、目標を立てさせ、それにフィードバックしていく仕組みも作りました」
また、日々、「日本の教育をこう変えていきたい」という自分の夢を語り、夢や目標を持つことの大切さを伝えながら、積極的に学ぶ環境を作っていったという。そんな中、ベテランの教師が、学級崩壊を引き起こしてしまった原因を生徒や親のせいにする姿を目の当たりにする。
「教育においては、絶対に子どもたちが悪いということはありません。大人がプロとしてどんな授業を展開するのかが重要ですし、自ら学び続け、努力している姿勢を見せることそのものが、子どもたちにとっての学びとなるのです。私は一部のベテラン教師の教育への姿勢に不満を感じましたが、先輩の教師から『あの人も昔は熱い先生だった』と聞き、ハッとしました。最初から思いのない人などいない。けれど、組織や仕組みの中で、熱い思いを削がれてしまうのだと。この時から、『一体、どうすれば、1人でも多くの教師が熱い思いを持ち続けられる仕組みを作ることができるのか』と考えるようになり、共感してくれる仲間を集めて学校を作りたいという結論に至りました」
松田さんは、学校を作るため、組織の運営やリーダーシップ、マネジメントを学ぼうと決意し、さまざまな大学機関のプログラムを調べていった。その結果、「海外の大学では、教授自身が現場の最前線で活躍し、自ら理論と実践を融合させている。なおかつ、最先端の教育論とリーダーシップ論を学ぶことができる!」という結論に。
「その中でも、リーダーシップやマネジメントを学べる環境があったハーバード教育大学院を目指そうと決意しました。そこからは、仕事を終えて帰宅した後、23時から深夜2時半まで受験勉強をし、翌朝は6時から陸上部の朝練指導に出かける日々。週末も30時間は学ぶという生活を1年半続け、それこそ血尿が出るまで勉強しましたね。結局、TOEFL(R)テストの点数は入学の最低条件をクリアできるまでには伸びなかった。それでも、『教育現場の現状に対する問題意識があり、それを変えていけるような学校を作りたい』という熱い思いを小論文で伝えた結果、合格を勝ち取ることができました」
2008年3月、ハーバード教育大学院への留学に向け、勤めていた学校を退職するが、入学時期の9月まではまだ余裕があった。そんな中、知人から千葉県市川市の教育委員会の手伝いをしてほしいと誘われ、教育政策課にて分析官を勤めることに。
「学力テストの結果や子どもの生活習慣状況などのデータをもとに、その相関性を分析することが私の仕事。食育や運動促進などの教育政策につながるようなデータ分析をしていましたね。ここで働いたのは、ほんの4〜5カ月程度でしたが、教育委員会の中に入り、現場を肌で知ることができたのは非常に貴重な経験となりました。一般的には、教育委員会に対しては“閉鎖的”などのマイナスイメージを抱くものですが、そこで出会う人々の多くは、『もっと教育を良くしていきたい』という熱い思いを持っていたんです。組織そのものが閉鎖的なだけで、そこには頑張っている人がたくさんいる。やはり、仕組みそのものに問題があるということを再確認することができました」
自分の専門知識を生かして協力したいと申し出る社会人ボランティア(プロボノ)と打ち合わせ。今後、どういった形で連携していくかを話し合う。
ハーバード教育大学院に留学後、コンサルタント経験を経て、2012年、Teach For Japanを設立
ハーバード教育大学院に留学した松田さんは、教育界の起業家やリーダーを養成するスクール・リーダーシップ・プログラムを受講。授業のない時間には図書館でひたすら文献や本を読み、朝から深夜まで学び続ける日々を過ごした。
「世界各国からいろんな経験をしている人々がやってくる大学なので、授業で議論を重ねる中、国の文化や背景、教育の仕組みの違いなども含め、いろんな角度の意見があると知った。非常に刺激的でしたね」
そして、この時期にたまたまTeach For America(TFA)の創業者であるウェンディ・コップ氏の講演会に参加したことで大きな衝撃を受ける。
「それまでは、自分で学校を作ることで教育の現場を変えていこうと考えていましたが、この組織は社会を巻き込んでそれを実現していました。それは、優秀で意欲的な人材を教師として教育困難校に2年間派遣するプログラムで、子どもたちはもちろん、教師となる人材も成長できる。プログラム修了後にはそれが一つのキャリアとして認められますし、何より、実社会に出て次のキャリアに向かう人々は、この経験を仕事に生かしながら世の中全体を良くしていこうとしていたのです」
自分一人で子どもたちに向き合うのでなく、また、1つの学校を作るだけでなく、学校の内側から教育を変え、社会全体を巻き込みながら新しいムーブメントを起こす。そうすれば、多くの子どもにいい影響を与えられ、社会変革のスピードを加速させることができる。
「その時、『これだ! この仕組みを日本でも実現させよう!』と決意したんです。修士論文のテーマを『日本の教育システムの中でTFAのモデルを展開することは可能か』とし、TFAの創業者にコンタクトを取りました。TFAのモデルをぜひ実現したい旨を伝えたところ、すぐに担当者を紹介してくれることになり、そこからは現場を見学したり、実際に派遣されている教師人材にインタビューを続けていきました」
約半年かけて分析を続けた結果、松田さんは「日本では、実現は難しい」という結論にたどり着く。
「まず、日本にはアメリカのように、NPOに継続的に寄付をするような土壌がないため、TFAのように収益事業を持たず、一般市民や企業から寄付を受けて運営をしていくことは難しい。さらに、アメリカと違って日本は新卒採用が基本であり、転職が当たり前という文化がないため、2年のプログラムに参加すれば転職先が限られてしまう状況がありました。また、教員免許がなければ教育の現場に立てないため、制度の面においても、実現は厳しいことがわかった。けれど、やれることをやり尽くさずにあきらめることはできない! 私にとって、Teach For Japanの設立は、具体的な目標となりました」
2009年、修士課程を修了し、日本に帰国した松田さんは、組織運営のためにビジネス経験を積もうと、世界最大級の外資系コンサルティング会社に入社する。
「コンサルタントとして、組織の人事制度の統合などを手がけていく一方、週末はTFA日本版設立に向かう準備会を開催していきました。私はそれまで自分の夢や目標をブログで発信し続けていたので、ブログを通じて知り合った仲間が集まってくれたんです。やがて、好きなものに打ち込む時間は楽しく、その方がよほど成長できることを実感。さらに、二足のわらじのままでは人はついてこないと気づいたのです。人生を懸けてチャレンジしようと考え、1年で会社を辞めて自分の夢に向かうことにしました」
松田さんが本気の姿勢を発信したことで、協力したいという人々が少しずつ現れる。
「大学教授や教育関係者をはじめ、いろんな人がコンタクトを取ってくれました。現在、理事やアドバイザーを務めてくれている方や初代事務局長としてフルタイムで設立に奔走してくれた仲間ともこの時期に出会えたんです。この後、実績作りのため、ボランティアを集め、学習困難な状況にある子どもたちに無償で教育を提供する学習支援事業をスタートしました」
この事業は東京から始まり、東日本大震災の被災地となった東北、福岡、大阪へと展開。教育委員会や学校関係者も見学に来るほどになった。
「ハーバード教育大学院の人脈ネットワークなども生かして文部科学省の担当者や100以上の市区町村の教育委員会を訪問。教員免許がなくても教壇に立てるという過去の制度を発見し、活用できるように働きかけました。また、クラウドファンディング(インターネットを通じて出資者を集める仕組み)の活用や口コミの紹介で寄付を集める一方、半年かけてビジネスプランを作成。そして、世界各国におけるTFAのモデル展開を統轄するTeach For Allという組織に加盟する条件をようやくクリアできたのです」
12年1月、 ついに松田さんはTeach For Japanを設立し、13年4月にプログラムを始動。現在までに全国の自治体を通じて、学校現場に教師として約40名の人材を送り込んでいる。
「16年にはさらに20〜30名を派遣する予定です。第1期の派遣教師卒業生からは、『素晴らしい体験だった』『当事者意識を持てるようになった』などの声をもらいましたし、教育機関との信頼関係も築くことができました。現場で、教師はもちろん、子どもたちがいい顔で学ぶ姿を見る瞬間に、大きなやりがいを実感しますね。今後も、いい先生がつぶされないコミュニティを作り、子どもたちのためになる環境と仕組み作りに貢献し、すべての子どもたちが教育を受けられる世界の実現を目指していきます」
スタッフとミーティング。今後のイベント準備や採用活動に向け、課題や必要事項をみんなで共有する。
松田さんのキャリアステップ
STEP1 2006年 体育教師時代(社会人1年目)
都内の中高一貫校にて体育教師を務める。陸上部の顧問も務め、部員自らが目標設定をし、そこに向かう行動をさせるような仕組み作りに尽力し、都大会の常連にまで導き、全国大会への出場も果たす。また、ハーバード教育大学院への留学を決意して以降は、有言実行に向かうため、あえてブログでその目標を発信。生徒たちの前でも「先生はハーバードに留学する!」と夢を語り続けた。「当時、受け持っていた生徒が講演を聴きに来てくれたり、インターンシップ生として入ってくることもあり、これまでに40名以上と再会しています。みんな『先生の言葉が支えになり、今、こんな目標を持って頑張っている』『先生がハーバードに本当に行くとは思っていなかったけど、それを実現した姿に大きな影響を受けた』などと言ってくれて、すごくうれしいですね。自分がどんなことを話したのか、一つひとつの言葉は覚えていませんが、やはり子どもたちは教師のことを見ているものなのだと強く感じます」
STEP2 2008年 ハーバード教育大学院時代(社会人3年目)
体育教師として働きながら勉強を続けた結果、コロンビア大学、ウィスコンシン大学マディソン校など、複数の大学院から合格通知をもらったが、授業のカリキュラム内容の魅力と、1年で修士課程を修了できることからハーバードを選択。「日本とアメリカの大学教育の違いに驚きました。アメリカの授業スタイルは、日本のように理論を学ぶ場ではなく、発表や議論を通じて知識や経験を共有する場。理論は各自が予習してきた上で、事前にインプットした内容を授業でアウトプットして初めて身につくものなんです。そこで相手にインパクトを与えると同時に、自らも積極的に意見を伝えなければ存在価値は認めてもらえません。もともと英語が得意だったわけでもなかったので、予習には苦労させられましたが、自分の考えを発表し、議論を交わしていく授業そのものは非常に楽しかったですね」
STEP3 2010年 外資系コンサルティング会社時代(社会人5年目)
帰国後、外資系コンサルティング会社に勤務し、人事関連のコンサルタントとして活躍。当初は3年かけて組織運営に役立つ経験を積もうと考えていたが、1年で退職。仲間と一緒に「Teach For Japan 準備会」を設立し、Teach For Allネットワークに加盟するため、団体の基盤作りとビジネスプラン設計に多くの準備の時間を費やす。「会社を辞めずに二足のわらじでやっていた間も、準備会で開催する勉強会を続けていましたが、メンバーとの意識の違いがどんどん大きくなっていきました。そんな中、メンバーの1人が『持てる時間と力をすべて注ぎ込むから、自分にTFJの立ち上げをやらせてほしい』と宣言し、それを支持する人たちもいた。ショックでしたが、人を巻き込んでいくリーダーとして信頼されるためには、退路を断ってすべてを懸けるほどの本気を見せなくてはならないのだと痛感。このおかげで、こちらの活動1本に絞ってやっていこうと決断することができましたし、人生を懸けてやっていく姿勢を示したことで、多くの人に協力してもらえるようになったと感じます」
STEP4 2012年1月 Teach For Japan時代(社会人7年目)
2010年8月より、学習支援事業Learning For Allをスタート。社会福祉士・ケースワーカー・教育委員会と連携し、まずは放課後を活用した学校外での学習支援プログラムを開始。生徒30名、教師10名からスタートしたプログラムは現在、年間40拠点、831名の児童生徒、298名の学生教師が参加するプログラムに成長している。11年、学校現場に2年間人材を派遣する「Next Teacher Program」のパイロット版プログラム(1年間)を、連携先の教育委員会と一緒に実現。12年1月、Teach for Allのネットワークに加入。資金調達、職員採用、フェロー(教育現場に送り込む教師人材)採用、研修開発など本格的に教師の紹介事業をスタートし、13年に11名のフェローを関東・関西の小中高校に送り込む。「フェローとしてこのプログラムに取り組んでいる人は、商社などの企業に勤務していた人、文部科学省の人、塾講師、アスリート、NPO団体の出身者などさまざまです。日本の現場では、中間層を支えるミドルエイジの人材が少ないので、フェローとして採用するのは若者だけでなく、幅広い年齢層としています」
ある日のスケジュール
プライベート
コンサルタント時代の同期とは、定期的に飲みに出かけている。写真は、2014年7月のもの。左から2番目が松田さん。「お互いの目標や、それに向かっていく進捗を共有しあってます。同期メンバーの半数はすでに会社を卒業していますが、それぞれが自分のフィールドで頑張っている姿はとても励みになります」。
高校時代の恩師や同級生との関係も大切にしている。写真は、2014年3月のもの。「勉強ではお互いに超劣等生だった同級生と一緒に、恩師に近況の報告をしました。同級生は20代で一部上場企業の部長になり、自分は起業家。『勉強ができなかった自分たちが社会で頑張り続けられるのはなぜだろうか』など、教育論を交えることもあります」。
起業家仲間やTFJ職員と一緒にバブルサッカー(空気で膨らんだ丸く筒状で透明なバブルの筒の部分に上半身を入れ、動きが不自由になった状態でサッカーをプレイするスポーツ)を楽しんでいる。「プライベートでは、新しいスポーツにチャレンジすることを大切にしています」。写真は2014年10月に撮影したもの。
取材・文/上野真理子 撮影/刑部友康