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上田大樹

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うえだたいき・1978年富山県出身。早稲田大学第一文学部中退。在学中から主宰していた劇団iNSTANT WiFEの活動の一環として映像制作を始める。2000年、第22回ぴあフィルムフェスティバルで準グランプリ受賞。03年、第25回ぴあフィルムフェスティバルでグランプリ受賞。09年、クリエイティブスタジオ「&FICTION」を設立。「ナイロン100℃」、「劇団☆新感線」、「大人計画」、「阿佐ヶ谷スパイダース」などの劇中映像や、ミュージックビデオおよびCMのディレクション、テレビや映画のタイトルバック、ライブの演出映像、ショートフィルム、グラフィックデザインなどを手がける。最近の仕事に映画『バクマン。』オープニング映像&プロジェクションマッピングの制作、スーパー歌舞伎II『ワンピース』の映像、宮本亜門氏演出の舞台『SUPERLOSERZ SAVE THE EARTH 負け犬は世界を救う』における映像・舞台美術のディレクションなど。

とがったことはひとりではできない。周りに理解してもらい、力を借りることが必要

映画『バクマン。』で「主人公ふたりが漫画の執筆に没頭する場面を、プロジェクションマッピング(現実の空間にコンピュータグラフィックスなどの映像を投影する映像技法)を使って演出したい」と大根仁監督からお話を頂き、渡された脚本を開くと、僕の担当シーンのト書(脚本において、俳優の動きや音楽・照明・効果などの指定を台詞の間に書き入れたもの)はわずか1、2行。どんな映像ができあがるのか、最初は見当もつきませんでした。これまで舞台の映像を中心に活動してきて、最終形がイメージできないまま仕事に取りかかるのはいつものことだったりはするんです。ただ、映画という物語性の高い表現の中で俳優さんの演技に絡めてプロジェクションマッピングを行うのは初めてでしたから、「本当にうまくいくのかな?」という不安はずっと感じていましたね。ショーなどの演出としては見慣れたものになっていますが、プロジェクションマッピングを映像作品として物語の中に違和感なく組み込んだ事例はほとんど見たことがないので。

 

僕が担当したシーンでは、白い紙に漫画が浮かび上がり、下書き、ペン入れ、ベタ塗り…と作品が仕上がっていく過程をアニメーションにして撮影セットに投影。その中で役者さんたちに演技をしてもらいました。映像自体はそれほど複雑なものではないのですが、映像を映し出すのは、主人公たちの仕事場のセット。広いスクリーンに映像を投影するのとはわけが違い、漫画がぎっしり詰まった本棚や机が並ぶごちゃごちゃした空間です。プロジェクタの位置や照明を細かく調整したり、映像をくっきりと見せるために床や壁を少し明るい色の素材に張り替えたりと、美術部・撮影部のスタッフと共に準備に丸一日かけました。

 

このシーンについては撮影のディレクションも任せていただいたのですが、もちろん大根監督もその場にいました。監督がいる横で演出をするのは緊張しましたが、役者さんもスタッフも雰囲気がよく、アイデアをたくさんもらって助けられました。完成した映像は僕自身のイメージを超えるものに仕上がったと思います。

 

映画にしても舞台にしても、大きなプロジェクトほど分業になり、監督も細部まではとても把握しきれません。担当する仕事に関して大まかな方向性は示してもらえても、「後は任せた」ということは多いです。物事は誰かにこうだとはっきりと決めてもらえると安心と言えば安心ですよね。でも、それでは個々のスタッフの力が十分に出ない気もするんです。「自分がなんとかしなきゃ」とちょっと不安な方が人って頑張る。みんなが「自分が何とかしなきゃ」と作品に自主的に貢献するような状況は活気があって、仕事をしていて楽しいです。

 

一方、映画や舞台はたくさんのスタッフで作るので、「自分だけで頑張らなくてもいい」という感覚も大事だと思っています。困ったときや行き詰まったときは、誰かが助け舟を出してくれたりする。みんな自分にはないものを持っているので、アドバイスをもらうと「面白いなあ」と感じます。

 

僕はもともとコミュニケーションがそれほど得意な方ではなくて、学生時代に映像の仕事を始めたころは相手に対して失礼なことをしてしまったこともあります。プロモーションビデオの制作を頼まれて、プロデューサーに「こんな普通の感じではやりたくない」と言ったりして…。お恥ずかしい話ではあるのですが、学生のころってそういうものだと思うんです。特に何かを作ろうとしている人にとっては、「世に認められたい」「できるだけとがったことをしたい」という気持ちも原動力になりますから。

 

ただし、とがったことってひとりではできないんですよね。とがったことだからこそ、たくさんの人に助けてもらわないと成し遂げられないし、みんなに伝わるよう説明しないと動いてもらえない。新しいことをやろうとするときほど、周りに理解をしてもらい、力を借りることが必要になると思います。

 

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どんな道を選んでも、続けてさえいれば、意外とモノになる

富山県ののどかな町で生まれ、実家は魚屋さん。エンタテインメントとは縁のない環境で育ちましたが、高校の決まりで何かの部活に所属しなければならず、入ったのが演劇部でした。演劇部には少し「帰宅部」的な雰囲気があり、「ユルそう」という消極的な理由だったんです。ところが、僕の脚本・演出で高校生演劇コンクールに出場したところ、県の代表に。ちょっとした成功体験になったんでしょうね。次第に演劇が大好きになって、大学入学後は演劇サークルの中でユニットを立ち上げました。サークルの中にユニットと呼ばれるいくつかの劇団が存在しているような状態だったんです。その劇団の演出のひとつとして映像を作っていたところ、大学の先輩たちが主宰する劇団からちょこちょこと映像制作を頼まれるようになりました。

 

本格的に映像の世界で仕事をするようになったのは、大学4年生の時に劇作家のケラリーノ・サンドロヴィッチ(KERA)さんが主宰する劇団「ナイロン100℃」から声をかけていただいたのがきっかけ。最初は舞台のオープニングで使う短い映像を作っていたのですが、次第に全体の映像を担当させてもらうようになりました。さらに、KERAさんの紹介で三谷幸喜さんから依頼が。テレビドラマのエンディングの映像を作ったことから仕事が増え、忙しくなって大学をやめました。

 

現在でこそプロジェクションマッピングをやったり、CGを作ったりしていますが、もともとは演劇が好きで、その一環として独学で映像を作っていただけなので、たいした技術は持っていなかったんですよ。「こんなことをやりたい」と依頼をされて、それに応えているうちに、自分では思いもよらない引き出しがたくさんできていった感じです。割と流れに身を任せて、流れの中でベストを尽くそうということでやってきたので、映像を作るだけでなく舞台美術を任されたり、観客が主人公と一緒に謎解きに参加する映画の監督をしたりと今も「え!?」と驚くような依頼があります。

 

舞台や映画の効果映像を作るときに強く意識しているのは、作品を壊さないこと。例えば、映画『バクマン。』にしても、プロジェクションマッピングをもっと派手に使うことはできます。でも、技術があまり前面に出ると、作品全体のバランスが崩れてしまう。効果映像は作品の世界観ありきだと思っています。消極的な意味ではなく、「物語の体験をさらに高める」という目的を忘れずに積極的に貢献するということが大事かなと考えています。

 

映像の技術はどんどん進み、観客はもうちょっとしたことでは驚かなくなっています。これから映像の世界で仕事をしていくには、単に映像を作るだけでなく、全体の演出を踏まえて「見せ方」の可能性を開拓していくことが重要でしょうね。僕ももっと演出に深くかかわる仕事をしていきたいと思っていますが、それが具体的にどんな形なのかはまだわかりません。いろいろやっていくうちにどこかにたどり着くのかなと考えています。

 

学生時代は将来自分が今のような仕事をしているとはまったく想像していませんでした。在学中に映像の仕事を始めたころだって、卒業後は会社員になろうと就職活動の情報を集めたりもしていたんですよ。演劇を続けている先輩たちを見て、正直なところ、「未来はないのでは!?」と思っていました。でも、30代後半の今、僕を含めてやりたいことを続けてきた人って、結局は何とかなっていたりするんです。学生時代に思い描いていた通りの仕事ではなくても、脚本家として活躍していたり、役者としてテレビに出ていたり…。その姿を見ると、「ああ、続けるって大事なんだな」と思います。どんな道を選んでも、続けてさえいれば、意外とモノになるもの。やりたいことがあるのなら、すぐに将来が見えないからといってあきらめる必要はないんじゃないかなと思います。

 

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INFORMATION

2016年1月8日(金)よりテレビ東京系で放映されるテレビドラマ『ウレロ☆無限大少女』(毎週金曜日 深夜0:52〜)。「在日ファンク」の曲に乗せて、ストップモーションの手法で制作したオープニング映像を上田さんが担当している。また、1月末からスタートするGLAYの全国ホールツアー『GLAY HIGHCOMMUNICATIONS TOUR 2016』の映像も担当。4代目市川猿之助さんによるスーパー歌舞伎Ⅱ『ワンピース』の映像も手がけ、2015年秋に新橋演舞場で行われた東京公演は大好評。2016年3月1日(火)〜25日(金)は大阪・松竹座、4月2日(土)〜26日(火)には福岡・博多座で公演が予定されている。

 

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取材・文/泉彩子 撮影/刑部友康


株式会社帝国データバンク

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まつもと・こたろう●東京支社調査第2部 第1課 主任。愛知大学経営学部経営学科卒業。2009年入社。大学で経営学を学ぶ中、企業経営や経営企画の仕事に興味を持ち、「より多くの経営者に出会える仕事がしたい」と考える。金融業界、コンサルティング業界を目指し、会社説明会や先輩訪問で銀行やコンサルティング会社の先輩社員から話を聞く中、「毎日いろんな経営者から話を聞く仕事のため、出会う機会が最も多い会社」として現社の名前が挙げられた。業務内容にひかれ、現社に入社。

人事部に配属され、新卒採用説明会や研修プログラム作成を担当。会社の根幹を成す「人材」に携わる責任を実感

経営企画に興味を持ち、やがて経営者の考え方そのものに触れたいと考えるようになった松本さん。現社に入社を決めたのは、「中小企業の経営者に企業信用調査を行う」という業務内容に強くひかれたからだという。
「日本の企業の約9割超を占めるのは中小企業です。しかし、そうした企業を取引相手とする際に問題がないかどうかを判断できる材料は少ないもの。そこで、取引を行う前の判断材料として活用されているのが企業信用調査なのです。お客さまから依頼を受け、取引先候補となる中小企業の経営者に対し、資金繰りや財務状況、今後の経営方針などを直接ヒアリング調査し、第三者の立場で調査報告書をまとめていくこの仕事は、まさに自分のやりたかったことだと感じました」

 

入社後、新人研修を受けたのちに配属されたのは、人事部人材開発課だった。
「調査会社において最も重要なのは、調査を行う“人材”です。その採用・育成を司る人事部門にいきなり配属されたので、当初はその責任の重さにプレッシャーを感じました。まずは先輩の下で雑務の手伝いからスタートし、会社説明会の資料作成などを手がけましたが、PCスキルがまったくなかったので参りましたね。自宅でタイピングソフトを使って早打ちの練習をしたり、エクセルの入門書を購入して計算式に取り組んだり、とにかく追いつこうと必死で努力しました」

 

最初に任されたのは、調査員の研修プログラムにおけるアンケートの集計。講義の理解度や各自の課題などを記入してもらったアンケート結果をレポートにまとめた。
「エクセルを使って集計を行い、自分なりにレイアウトを考え、上司に相談しながらまとめていくことに。項目の順序や色使いなども含め、見る相手のことを考えたレイアウトにすることが重要だと学びましたし、自分がいずれなりたいと思っていた調査員の生の声に触れることができ、おおいに刺激になりましたね!」

 

配属の半年後には、新卒採用の会社説明会を任される。実際に話す内容を決め、使用するパワーポイント資料の作成、さらには当日の司会進行まで行うことになった。
「これは大変なことになったぞと。自分が会社の顔となって話をすることで、会社がどう思われるかが決まり、いい人材が入社してくれるかどうかが決まってしまうわけですから、本当にプレッシャーを感じましたね。『松本の開催した説明会では、入社する人が少ない』なんて言われることがないようにしなくては、と焦りました」

 

しかし、そうは言っても、入社からわずか半年しかたっていない自分。会社のすべてを把握できているわけもなく、一生懸命に台本を作ったものの、会社の魅力が伝わるような話ができないことにジレンマを感じたという。
「先輩からは『丁寧に話そうとするあまり、内容が薄くなっている』と指摘され、落ち込みましたね。知識のみを詰め込んで話しても、結局、自分の言葉ではないから、思いをうまく伝えることができないんだと気づきました。そこで、先輩が資料作成の方針を決める際には、できるだけ自分の意見を取り入れてもらったり、資料そのものに手を加えたりすることに。僕はもともと人前で話すことが苦手で、硬い話し方になってしまいがちだったので、部活動の後輩に話すような気持ちを心がけようと。グループワークの進行などでも、その場を盛り上げるように努力していきました」

 

手応えを感じるようになったのは、入社3年目のころ。「松本さんのセミナーが印象的だったので、説明会に参加しました」と言ってくれる学生が増え、面接でも「松本さんの説明会を受けたことがきっかけになった」という学生まで現れるようになったのだ。
「この会社の面白さを知ってほしいという思いが伝わったと感じ、本当にうれしかったです! こうした経験を通して、帝国データバンクという会社がどんな会社であるのかという大枠の部分を、自分自身でもしっかり理解できたと思いますし、何より、度胸がついたと思いますね。口ベタだったはずの自分が、のちに調査員として経営層に取材を行う際、相手の懐に入って聞きにくいこともズバッと聞けるようになれたのは、この経験のおかげだと思います」

 

また、入社2年目以降には、「新卒入社社員に向けた3年間の研修プログラム」の企画プロジェクトにも携わった。上司、先輩と3名のチームを組み、入社3カ年の教育研修計画を一緒に作成していくことに。
「入社3年目となる社員が“あるべき姿”を描き、そこに向けてどんな研修が必要かをチームで考えていきました。まだ入社歴の浅い自分だからこそ、同じ立場になって考え、『過去にどんな研修を受けたいと思っていたか』を振り返り、アイデアを出していきました。それまで、調査員となるための研修では、実際に経営者にヒアリング取材を行うプログラムはなく、外に出てからギャップを感じる社員も多い状況でしたが、このプロジェクトによって、調査の実務体験研修がプログラムに加えられることになったんです。チームの一員として調査員としての心構えを実地で学ぶ機会を作ることができ、大きな達成感を得られました!」

 

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調査報告書の作成と、調査対象の企業に向けた調査依頼やアポ取りを行う。一社の調査報告書を作成するために、1〜2時間程度かけている。また、事前準備として、調査対象の企業についてのリサーチも行う。

 

入社4年目、念願の調査員に。夢見た調査業務で実績を積み重ね、1年後に「優秀調査・営業社員」として表彰される

入社4年目、松本さんは調査員のサポートを手がける部署に配属される。仕事内容は、東京支社の調査第5部に所属する約40名の調査員が担当しているお客さまからの電話問い合わせへの対応だ。
「調査報告書の内容について質問を受けることもあります。また、調査によって取得した情報は、お客さまによって異なる価値を持つデータとなりますから『あの企業についてどんなデータがあるか』『過去にさかのぼって、何年前のデータがあるのか』など、問い合わせ内容はさまざまです。」

 

調査員が担当するそれぞれの企業から、朝から晩まで毎日ひっきりなしにさまざまな問い合わせがあったという。
「人事部から異動してきた私にとっては、サービスをご利用いただくお客さまと直接触れ合うのは初めてのこと。自分のやりたい仕事に一歩近づくことができ、うれしく思う半面、『お客さまの求めるニーズに確実に応えられるか』と、不安もいっぱいでした」

 

最初の2カ月間は、お客さまの要望そのものが理解できなかったり、自社の保有する膨大な企業情報データベースの端末操作もままならなかったり、焦るばかりの毎日だったという。
「1件の問い合わせに対応する中、わからないことがあるたびに電話を保留にし、先輩に質問することもしょっちゅうでしたね。空き時間のたびに、先輩に『こんな問い合わせがあったけれど、どう対応するのがベストだったのか』と質問し、具体的なアドバイスをもらって自分の中に蓄積する努力を続けました」

 

お客さまと日々向き合いながら、相手が求めていることは何なのか、どんな対応をしたら喜んでもらえるのかを考えていくうち、自分なりに「こんな状況の時には、こういう対応をしよう」というイメージが持てるようになったという。
「配属4カ月を過ぎたころには、『松本さんいますか』と直接連絡が来るまでになり、自分の対応が認められた喜びを感じました。さらに、ある先輩から『このお客さまへの対応はすべて君に任せる』と言われ、調査報告書の問い合わせ対応を一手に引き受けることに。決算資料の数字や競合他社との比較まで、細かな質問がどんどん来ましたが、自分がすべて対応するのだという責任感のもと、決算資料の読み方を学ぶなど、徹底的に勉強しました。お客さまに寄り添うことで、報告書のさまざまなデータがどんな意味を持つのかを理解できたと感じます。この経験は、現在の調査に生きていますね」

 

その後、松本さんは東京支社調査第2部第1課の調査員となる。
「憧れの調査に携われると感じ、うれしさでいっぱいでした。最初に担当したのは、広告制作会社に対する調査依頼。本当にお客さまの手に渡る報告書を作るのはこれが初めて。とにかく緊張しました(笑)」

 

事業内容から社長の経歴、取引先や借り入れの金額、今後の経営方針まで、十数もの調査項目についてヒアリングを行う。
「業績や経営状況にかかわる数字など、踏み込んだ部分の話を聞かねばならず、個人で言えば、『あなたの年収はいくらですか? 住宅ローンや借金はありますか?』と初対面で聞くようなもの。ですから、話してもらいやすい環境を作ることがまず大事ですね。新卒採用説明会で学んだコミュニケーション能力を生かし、1つの質問から次の質問へとつないでいくようにしています」

 

また、新規の調査依頼の獲得や、調査データを提供する会員サービスの新規開拓営業も担当しているため、取材を行う際には、相手のニーズや課題を発見し、営業先や取引先などの選別に役立つような活用方法も提案する。
「当社の企業調査を新たに活用していただく提案につなげています。僕の場合、しっかり時間を割いてもらい、みっちりと取材することで、調査対象の会社自体に興味と信頼感を持ってもらうように心がけています。『こんなに深いところまで調査しているのか』と感じてもらうことはもちろん、調査やデータをどんなふうに役立てられるのかまでイメージできるような話をしています。そうした努力を重ねるうち、『こういう調査をしてくれるなら、うちもお願いしたい』というお客さまが増えていきました」

 

帝国データバンクには、半期に一度、調査報告書の品質とお客さまへの貢献度などを総合的に評価し、「優秀調査・営業社員」として表彰する制度があり、松本さんは配属1年目で、東京支社・大阪支社の調査員約250名からなるグループの第6位になったという。
「お客さまから感謝の言葉をもらえることが一番のやりがいですね。その会社のやりたいことや課題について聞きながら、営業ターゲットとして可能性のありそうな業界を提案したり、営業先のリストアップサービスを紹介したり。自分の力を役立ててもらえることがうれしいですし、実際、出合ったころには雑居ビルの一室にオフィスを構えていた会社が、立派なビルにオフィスを移転して成長していく姿も目の当たりにしてきました。『松本さんの提案やコンサルティングのおかげだよ』という言葉に、自分自身を認めてもらえる大きな喜びを実感しています」

 

現在、年間360社の調査を行い、そのうち自身が担当している200社への提案営業を手がけている松本さん。今後の目標は、「毎日出合う1社1社と真摯に向き合い、経営者と同じ視点を持って、会社の成長や売り上げ拡大につながる提案をしていくこと」だと笑顔で話してくれた。

 

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毎日、1〜2件の調査を行い、調査の対象の企業を訪問。また、新規会員開拓や、調査における新規開拓営業も1日1件程度行っている。調査の取材にかけている時間は、1件につき1時間〜1時間半で、じっくりと話を引き出している。

 

松本さんのキャリアステップ

STEP1 2009年4月 新人研修時代(入社1年目)

入社後、40名の同期と一緒に新人研修を受ける。ビジネスマナーや会社の事業内容、社会人としてのマインドなどを学ぶ。また、自社の新規事業について考えるグループワークでは、上司役となった人事担当者に向けてプレゼンテーションを行った。「学生気分が抜けないまま、小手先のアイデアでプレゼンテーションしたところ、『そんな甘い企画では事業にならない』と痛いところを指摘されてタジタジに(笑)。やっぱり社会は厳しいものだと感じ、気を引き締めようと思いましたね」。また、最初の1年間は育成担当の社員が全体的な取り組みの管理指導をしてくれたため、仕事のいろんな相談に乗ってもらえたという。

STEP2 2009年 人事部にて新卒採用・中途採用に携わる(入社1年目)

人事部人材開発課に配属。半年後には、新卒採用の説明会と中途採用の企画運営に携わることに。新卒採用の説明会では、50名の学生を前に司会進行を行った。また、中途採用については、どういった広告媒体に掲載するのが効果的なのかを考え、全国の事業所の欠員状況を把握し、募集エリアの策定から広告会社との連携までを行った。「採用活動で自社の魅力を伝えようとする中、自社の事業をしっかり把握し、調査データを生かしてどんなサービスにつなげているかを理解することができました。また、入社2年目以降には『新卒入社社員に向けた3年間の研修プログラム』の作成に携わりましたが、自分がチームの一員として考えた研修を、入社3年目の時、自ら受けることができ、誇らしい気分になりましたね!」。

STEP3 2012年 調査員のサポートを担当し、お客さま対応を手がける(入社4年目)

東京支社の調査第5部に配属され、調査員の担当するお客さまからの電話問い合わせに対応。ひっきりなしに電話がかかってくるため、問い合わせへの対応がどんどん後ろにずれていき、1件、うっかりと飛ばして対応してしまったことも。「数時間後、お客さまから『さっきの件、どうなっているの?』と再度のご連絡をいただき、平謝りして急いで対応することに。どんなに忙しくても、しっかりと対応せねば、と気を引き締めた出来事でした」。10カ月間、サポート対応で調査営業の仕事について学んだのち、2カ月間の調査員研修へ。報告書作成の基礎知識から、取材調査の実務研修、決算資料の読み方、不動産登記のチェック方法など、調査員の基本をしっかりと学んだ。

STEP4 2013年 調査員として活躍し、コンサルティング営業も行う(入社5年目)

東京支社調査第2部第1課に配属され、調査員となる。現在、IT、広告、輸送(陸運、空運、鉄道)業界を担当している。また、調査対象となる会社は300〜400社にのぼっており、そのうち自身が担当する200社の企業へ商品・サービスの提案営業を行うために訪問している。「社内における優秀調査・営業社員表彰制度にて表彰されるまでに成長できました! 自分の提案によって、多くの経営者の方々にうちの会社のファンになってもらえたことがうれしかったし、会社に貢献できたという充実感を得ましたね。今後は、より深いお付き合いができる企業を増やしていきたいですね。『松本の提案を聞いて良かった』と言ってもらえるように、しっかり調査し、その取り組みを見たうえで役立つ提案をし、長く深い関係構築をしていきたいと思います」。

ある日のスケジュール

8:00 出社。始業の9時までにメールチェックや本日予定している訪問先の確認を行う。
9:00 調査第2部のメンバー約80名による朝礼に参加。各自の進捗状況やスケジュールを共有。
10:00 外出。企業を訪問し、経営層に向けた取材調査を行う。
12:00 ランチタイム。外出先近辺のレストランで食事を取る。
13:00 次のアポイントメント先に移動。早めに現地に到着し、近場のカフェで次の訪問に備えて資料を読む。
14:00 企業を訪問し、会員サービスの新規開拓の営業を行う。
16:00 帰社。本日訪問した企業の調査報告書を作成。
17:00 調査報告書を提出。電話で翌日以降の調査・営業のアポイントメントを取り、お客さまへの情報提供や情報交換を行う。
18:30 退社。自宅に戻って家族と夕食を取る。

プライベート

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幼少期からサッカー少年だったという松本さん。現在はプレーするよりも観戦がメインに。写真は、大好きなジダン選手(元フランス代表)のユニフォーム。着用して試合観戦することも。「月に一度はJリーグの試合観戦に出かけています。自分の出身地のクラブチームが関東圏で試合する時にはスタジアムで応援し、リフレッシュしています」。

 

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現在、2歳と0歳の2人の子どもと遊ぶことに夢中。「子どもと遊ぶことが楽しみでしょうがなくて、毎日、家に早く帰りたいですね(笑)。自転車に子どもを乗せ、一緒にどこかに出かけることも多いです。最近では、遊園地まで自転車で出かけ、一緒に遊びました」。

 

取材・文/上野真理子 撮影/刑部友康

大学1年生に聞きました。大学に入って成長した?

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大学に入ってから成長したと思いますか?

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大学に入ってから半年強がたった大学1年生に、自分が成長したと思うかどうかを尋ねたところ、約6割が「はい」と回答し、半数を超える学生が自分の成長を実感していることがわかった。属性別に見ると、女子学生よりも男子学生、文系学生よりも理系学生の方が、成長を感じている学生の割合が高い傾向が見られ、特に理系学生の割合の高さが顕著に見られた。

 

どんな点で成長したと思いますか?(複数回答)

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次に、どんな点で成長したと思うかを尋ねたところ、「より幅広い角度から物事を考えられるようになった」と「一人暮らしや寮などで自立した生活を送れるようになった」が4割を超え、「勉強に主体的に取り組むことができるようになった」「サークルや部活で存在感を示せるようになった」も2割台で続いた。「その他」では、「コミュニケーション力がついた」という類いの答えが複数見られた。

 

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時間の使い方に無駄がなくなった。平日の空いている時間や土日に勉強の予定表を作ったら、ほとんどの場合、その予定表通りに進むようになって効率アップ。(理工学部・女子学生)

 

生活にどれだけお金が必要か、それを稼ぐにはどれだけ働かないといけないかが身に染みてわかった。(商学部・女子学生)

 

受験の失敗から立ち直ることができ、心が強くなったとともに、人の心の痛みにも敏感になった。(薬学部・男子学生)

 

行動力がアップしました。海外研修や学外のイベントなどに自ら足を運び、いろいろな経験ができました。アルバイトも始め、お金を稼ぐことの大変さやお金の価値をあらためて実感しました。(工学部・女子学生)

 

今までは自分と家族や友達だけの世界だったので、世界で起こっていることに無関心だったが、大学生になってから、日本だけでなく世界中の出来事に関心を持ち、ニュースを見るようになった。(法学部・女子学生)

 

ほとんどの支出を自分の財布から出すことになったため、今までの自分の金銭管理の甘さを痛感した。(国際食料情報学部・男子学生)

 

学園祭の実行委員をして、大勢の外部の大人に対応したので、マナーが身についた。(法文学部・女子学生)

 

話し合いの時に、自分の意見もはっきり示せるようになった。(家政学部・女子学生)

 

一人暮らしを始めたことで、自分の身の回りのことをすべて自分でできるようになった。また、自分の将来のための勉強に取り組めていることも、成長の証だと思う。(情報理工学部・男子学生)

 

今まで提出物は後回しにしてしまっていたが、さっさと処理するようになった。(看護学部・女子学生)

 

かなりの人見知りだったが、いろいろな人と仲良くなるにつれて、人見知りを少しずつ克服した。(政治経済学部・女子学生)

 

中学から6年間不登校だったのが、大学生として学生生活を送るようになったことで知り合いも増えた上、アルバイトまでするようになった。(文学部・女子学生)

 

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学業に対する姿勢や時間・お金の管理、視野の広さなど、いろいろな部分で、大学1年生は高校生の時とは違ってきているんだね。自分の成長を実感できているということも、成長の一つの形なのかも。さらに成長するためには、これから自分がどんな方向に伸びていきたいかを自問してみても良いかもしれないね。

 

文/日笠由紀 イラスト/中根ゆたか

株式会社リクルート住まいカンパニー

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ひぐち・けいこ●分譲マンション営業統括部 首都圏営業エリアマーケティング部2グループ グループマネジャー。京都府出身。35歳。大阪大学法学部卒業。2003年、株式会社リクルートに入社。以来、分譲マンション領域の営業一筋。2012年に分社化され、株式会社リクルート住まいカンパニーの在籍となる。現在、夫と5歳の息子と3歳の娘と4人暮らし。

マネジメントが人を変える。ある上司との出会いで、人材育成の大切さを実感

「ハイヒールを履いて、背筋を伸ばしてしゃんと働いているような女性になりたい」
それが、樋口さんが小学生のころ描いていた“将来の自分像”だった。たわいのない友達との会話で、「私は将来ケーキ屋さんになりたい」「私はお花屋さん」と、特定の職業を言い合っていた時から、“何に”なりたいかではなく、“どんなふうに”なっていたいかばかりイメージしていたという。
「就職活動では、マスコミから金融業界まで幅広く会社を回りながらも、何をしたいかわからないまま、会社に合わせて志望動機を考え、口にしている自分に強い違和感を抱いていました。そんな悶々(もんもん)としていた時に、なんとなく受けたのが株式会社リクルートでした。人材領域から住宅、結婚、旅行などあらゆる分野の情報誌を扱っていて、学生からすると、“何をしているかよくわからない会社”(笑)。それゆえ、志望動機を考えるのに苦戦していると、人事担当者から『志望動機よりも、まずはあなた自身について知りたい、今までどう生きてきたのかを聞かせてほしい』と言われたんです。それまで、選考のたびにがちがちに着ていた鎧(よろい)を、脱いでいいんだ、と初めて思えた衝撃的な出来事でした」

 

全国の不動産売買、住宅購入、賃貸情報ポータルサイト『SUUMO(スーモ)』を運営する株式会社リクルート住まいカンパニーは、2012年10月に分社化するまで、リクルートの住宅領域事業部だった。ほかにも、人材事業(現・リクルートキャリア)、じゃらんなどの旅行事業、ゼクシィなどの結婚情報事業(現・リクルートマーケティングパートナーズ)まで事業領域は幅広く、当時は、入社時にどの部署に配属されるかは未知数だった。何をするのかわからない中、樋口さんがリクルートに興味を抱いたのは、面接で『とらばーゆ』(主に女性を対象にした就職・転職情報誌)に関しての事業紹介VTRを見てからだった。
「30年ほど前まで、女性が会社を辞めることはあってもキャリアアップをするという発想は乏しかった。そこに“転職する”という新しい価値観を創り出したのが『とらばーゆ』だったんです。そんな事業の歴史を知り、世の中にない価値観を生み出せる、素敵な会社だなと思いました」

 

入社して配属されたのは、住宅情報名古屋営業部の分譲マンショングループ。市販情報誌『住宅情報スタイル』(当時。現在のフリーペーパー『SUUMO新築マンション』)の広告営業として、マンションデベロッパーを回るルートセールスを担当した。縁もゆかりもない土地で、マンションの事業モデルもわからない上、営業メンバー5人のうち2人のベテランの先輩が、樋口さんの入社半年後に退職し、独立していった。突然、地元の大手デベロッパーを担当することになり、「最初の2年間は大変だった思い出しかない」と笑う。
「営業歴20年の先輩から、突然入社1年目の新人が担当になったので、お客さまにとってはマイナス要因しかありませんよね。さらに当時は、インターネットが徐々に台頭していった時代で、『お金を出して情報を得る』ことに抵抗を感じる人が増え始めていました。市販誌の売れ行きも落ち始め、広告効果もなかなか出ないという非常につらい状況です。こうなったら、私自身の介在価値を高めるしかないと思い、デベロッパーのお客さまが手がける複数の物件を毎日のように回り、売れ行きをお客さま以上に把握しようと努めました。『この物件がある街の魅力を近隣住民に取材しましょうよ』『販売担当者向けに勉強会を実施してはどうですか』など現場の課題と向き合い提案していくことで、お客さまとの信頼関係を築いていきました」

 

ターニングポイントは入社3年目の時。樋口さんの成長を本気で考えてくれるマネージャーに出会い、仕事が圧倒的に面白くなった。
「それまで、ベテランの先輩や専属のマネージャーが不在の中、仕事を進めてきたので、具体的に何をすべきか指示してくれる存在がいませんでした。その上司は、インターネットの広告商品を強化するための商品開発の担当に私を任命し、新しい特集の起案から商品設計、その特集に掲載する顧客確保を任せるなど、明確な役割を与えてくれたんです。この仕事を通じて、特集のテーマ設定のため、市場ニーズや現状課題の分析力、商品企画担当者と協業しながら、商品化していく段取り力、スケジュール調整力、社内外の関係者を巻き込んでプロジェクトを動かしていく力など、仕事を動かす上で必要なあらゆる力が身につきました。それもすべて、私の課題を抽出し、何をやらせたら伸びるかを考えた上で具体的に指示を出してくれた上司のおかげ。人材育成の大切さを、身をもって感じましたね」

 

7年目に東京に転勤したのち、第1子出産で1年間、第2子出産で1年半、それぞれ産休・育休を取得した樋口さん。復帰後も、分譲マンション営業として15~30物件を担当してきた。9時から17時半の時短勤務を続けてきたというが、「業務量とライフスタイルに合わせた働き方ができないか」と会社と相談し、入社13年目の2015年7月からは在宅勤務をスタート。現在は、グループマネジャーとして4人の営業メンバーと3人のスタッフメンバーを持ち、在宅と出勤のバランスを取りながらマネジメント業務を担っている。
「マネージャーになってから、権限の大きさと責任の重さを日々感じています。メンバー一人ひとりの課題と強みを抽出し、何を伸ばすためにどんな仕事を与えるかを決めるのがマネージャーの仕事。私自身、マネージャーによって、仕事への姿勢が一変した経験をしているので、人材を生かすかどうかはマネージャー次第だと、本当にプレッシャーを感じます。また、営業上、お客さまの要望をどこまでくめるかなど、常にスピーディーな判断を求められ、事業全体への影響の大きさを実感しますね」
営業部門のマネージャー職と子育ての両立を、在宅勤務で行うことを、大変に感じることはないのだろうか。そんな疑問をぶつけると、「それは、業務設計能力で解決できるんです」という言葉がすぐに返ってきた。
「お客さまのスケジュールに合わせるのではなく、こちらの都合に合わせてもらえるようなタイミングで動くことが大切。直近のスケジュールを調整しようと思ったら『この日程しか空けられない』と言われるのは当然です。でも2週間先なら、希望した日程を押さえやすいですよね。これは子育ての有無にかかわらず誰でもできることで、要は『私は17時半までしか働かない』と決めるだけ。また、1回の打ち合わせや商談で伝えたいことを伝えきり、その後はメールや電話のフォローで対話できるようきちんとシナリオメイクすることも、業務設計能力の一つ。私は子育てとの両立により必要に迫られて力をつけましたが、業務効率は飛躍的に上がりましたね」

 

現在、会議があるときは出勤し、自宅でもできる資料作成は在宅で…など業務内容に応じて働き方を変えているという樋口さん。今後、「営業職でもマネジメントでも、育児との両立はできる」という例を自分が働くことで示していきたいと話す。
「入社以来、分譲マンション営業一筋でやってきましたが、いまだに“何をするか”より“どう働くか”にしか興味がありません。私が介在して発信したマンション情報が、消費者に届いて住まいを購入され、生活に大きな変化が生まれたのであれば、それは誰かに新しい価値を与えたことになる。そこに大きな意義を感じています。当社のミッションは、“未来にある普通のもの”を生み出すイノベーションを起こすこと。そのためにまず、会社そのものが魅力的であることが大前提。どんな職種、ライフスタイルでもイキイキと働けて初めて、世の中に新しい価値を問う企業になれると思います。私がその好例となれるよう、会社にも積極的に働きかけ、組織づくりに注力していきたいですね」

 

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グループメンバーとのミーティング。掲載した広告の効果状況、業界の景況などを共有する。

 

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メンバーの営業同行へ。移動中も、情報収集のための貴重な時間。お客さまの状況をメンバーから詳しく聞き、業務上の相談に乗りながらお客さま先に向かう。

 

樋口さんのキャリアステップ

STEP1 入社1年目、名古屋営業部の分譲マンショングループに配属される

名古屋営業部に配属され、新築マンションから戸建て・中古・土地などの情報を集めた市販誌『住宅情報スタイル』の新築マンション担当として広告営業を行う。マンションの事業モデルもわからず土地勘もなく、お客さまに教えてもらいながら成長していく。「メディアを『売るだけ』なら私がやる意味がない」という思いで、お客さまに自分の価値を感じてもらうために現場を回り、物件課題の解決のサポートを行ってきた。3年目になると、伴走して具体的なアドバイスをくれる上司に出会い、マネジメントの大切さを実感。「営業力がついてきた4年目には、メンバーに任せて自由にやらせてくれるマネージャーがつき、とても心地よく仕事をさせていただきました。メンバー一人ひとりの年次、実力に応じたマネジメントがいかに人を成長させるかを学びましたね」。

STEP2 入社7年目、東京の分譲マンション営業部に異動

市販誌からフリーペーパーへ、紙媒体からネットへとメディアが大きく転換したタイミングで、東京に異動。人の多さ、電車の路線の複雑さ、営業エリアの物理的な広さなど戸惑うことばかり。メディアの力が強く、広告効果も出ていたため、名古屋時代の“営業担当の介在価値”で売るスタイルから、“綿密な広告設計”をしていくスタイルへと変わっていった。「この物件にとって最適なメディアは何か、何を伝えるべきかの設計力を常に求められ、体を張って情報収集するよりも、頭を使った、スマートな営業担当になりました(笑)」。

STEP3 入社8年目、第1子出産のため1年間の産休、育休を取得

東京に異動後、半年後に結婚しすぐに妊娠。ワーキングマザーとして復帰している仲のいい後輩がいたため、子育てへの不安はあまりなかったという。「時短勤務で仕事をしている人もいましたし、子どもを持ちながら働いている人は、社会にはたくさんいるじゃないですか。今まで自分の人生を振り返ると、『周りの人が普通にできていて、自分はできなかったこと』があまりなかったので、(育児と仕事の)両立だって私にもできるんじゃないか、と気楽に考えていました」。その後、9時~16時の時短勤務で営業部に復帰し、さらに3カ月後には17時半までに業務時間を延長していった。

STEP4 入社12年目、第2子出産のため産休、育休を経て、入社13年目に現部署に復帰

保育園になかなか入れなかったため、1年半の産休・育休を取得。その間「フィトセラピー」(植物・自然療法)のセラピスト資格を取った。「仕事とは別に、自分のキャリアや成長につながるものを持っていたい」と考えたためだ。「リクルート住まいカンパニーが新しい価値を生み出す企業であるために、自分ができることをやっていきたい。そう思う一方、ここで力をつけてから会社を辞めるのも一つの道だと考えています。そのためには、辞めたときに自分に何があるのか、今の会社で培えるものは何かを日々考え吸収していかなくてはいけません。マネジメント能力はキャリア形成においてとても大切な要素だと思うので、まずは、マネージャーにしていただいたことを感謝しながら、人材育成力、状況把握能力、判断力など総合的な力をつけていきたいです」。

ある一日のスケジュール

5:00 起床し、在宅勤務の一環として資料作成など業務を進める。
7:00 家族全員で朝食。保育園の送りは夫が担当。出勤までに掃除、洗濯、夕食準備など。
10:00 メンバーの営業同行で、お客さま先に直行。
12:00 帰社し昼食をとりながら、社内会議に向けての資料作成。
13:00 広告制作のディレクターと打ち合わせ。
14:00 メンバーのタスク整理と業務指示をメールで配信。
15:00 営業部のマネージャーミーティング。グループの売り上げ状況、市況について情報共有。
17:30 退社。保育園に迎えに行く。
19:30 夕食。入浴、歯磨き、明日の荷物の準備を済ませる。
21:30 子どもと一緒に就寝。

 

樋口さんのプライベート

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2015年2月、家族でグアムに旅行。年に1回は海外旅行へ行くというのが入社したころから実行してきた自分との約束ごと。出産後も遠出は難しくなったが有休を活用して旅行へ。

 

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保育園のパパ・ママ友と地元イベントで出会ってワイワイ(写真右から2番目が樋口さん)。子どもを通じて地域の方と知り合うことも多く楽しみが増えた。気の合う仲間とのひとときはリフレッシュの大切な時間。

 

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育休中から1年間スクールに通い始め、試験を受けて取得したセラピストの資格。まずは自分や家族の体にとってよいことを、と精油の活用や食事の工夫を生活に取り入れている。

 

取材・文/田中瑠子 撮影/鈴木慶子

コンサルティング会社内定 上智大学大学院 佐藤智介(ともすけ)さん

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就活データ
志望業界:コンサルティング会社、人材サービス会社、商社、テレビ局など 説明会参加:25社(うち合同企業説明会2回) 先輩訪問:20人(人材サービス会社5人、コンサルティング会社2人、その他金融や商社など幅広く) エントリーシート提出:20社 面接:15社 内定:6社(コンサルティング会社4社、人材サービス会社1社、商社1社) 活動費用:約11万円(交通費3万円、スーツ3万円、靴1万円、外食費3万円、書籍代1万円。アルバイトで就活費用を工面。また、スーツに合うカバンは友人から譲り受けた)

先が見えない中で、ドキドキ・ワクワクしながら働きたいと思った

小学5年生のころから学校の先生になりたいと思っていました。でも、大学3年生の時に、本当に教師としてやっていくのかどうか迷い、決断を先延ばしにするために大学院に進学することに。もちろん大学では教職課程を受けて教員免許も取ったのですが、良くも悪くも「もし自分が教師になったらこうなるだろうな」というのが見えてしまい、本当にこれでいいのかなと思ってしまったんです。そして結局、企業でドキドキ・ワクワクしながら働くことにチャレンジしたい!と、民間企業への就職を決意しました。

 

就活スタート時のコンセプトは、雑食。見られる業界は全部見て、会える人には全員会って、それで最後は直感で決めようと思っていました。まずは大学院1年の6月に、夏のインターンシップに応募。しかし、申し込みをした3社すべて選考で落ちてしまい「あぁ、就活ってそんなにうまくはいかないんだなぁ…」と実感させられました。結局その夏は、海の家でアルバイトをすることに。家が海に近いですし、それまでずっと体育会でサッカーをしていたので、この夏は本気でアルバイトをしながら楽しもうと思ったからです。

 

そして秋になり、再び就活をスタート。就活に必要な知識やスキルを学ぶことができるセミナーに10回くらい参加しました。正直、面白そうだとは思いませんでしたが、ほかの就活生の様子を見てみたかったですし、企業の人事もどういう人たちなのか知っておきたくて。実際は、自分のアウトプットに対して鋭いフィードバックをくれる社会人と出会うことができたので、収穫はあったかなと思います。

 

それと並行して実施したのが先輩訪問です。体育会サッカー部の先輩、活動していたNPOの先輩、父親の友人など、複数のルートを使って20人の社会人に会いました。なぜこんなにも多くの先輩訪問をしたか。それは、実際に働いている人たちがどんなことを考えているのかを知りたいと思ったからです。そしてもう1つの目的は、社会人とのコミュニケーション力を鍛えるためです。自分が話したことがどれくらい年上の人に伝わるのかを確認し、フィードバックをもらいながら修正していきました。それに、いかに切り込んだ質問をして本音を引き出すのかも意識するように。結果的に、先輩訪問が一番の面接対策になったと思います。

 

年が明けてからは冬のインターンシップの申し込みがスタート。学部生の時は情報理工学科に所属していたので、友人はIT系の企業に入る人が多い。自分もIT業界のことを知っておこうと思い、1月にSIer(システムインテグレーター)とITコンサルティング会社のインターンシップに参加しました。結果、自分はプログラミングをしたりシステムを構築するためのハードウェアを製造しているメーカーと打ち合わせをしたりすることには興味を持てない、それよりも、やはり何かしら教育には携わりたい、他社の課題を解決するコンサルタントのような働き方をしたいという自分の軸が明確になっていきました。

 

さらに、1月から2月にかけてはベンチャー企業の本選考に参加。もともと、先が見えている状態で働きたくないという理由で学校の教員になることを辞めたため、民間就職をする場合でも安定していると言われていて終身雇用が見えている大企業ではなく、10年先のこともわからず、ある意味不安定だけど、自分の力をつけながら会社と一緒に成長していけるベンチャー企業で働きたいなと思っていました。

 

ベンチャー企業の選考情報が掲載されている就職情報サイトを見て、少しでも面白そうだなと思ったら説明会に行ってみて、そこで選考を受けるかどうか判断していました。「面白そう」と思えたのは、その会社独自の製品やサービスを提供している会社です。逆に、ほかの会社が代わりになれそうなところや、他社と同じようなビジネスモデルで事業をしている企業には興味を持てず。特に志望度が高かったのは、重要文化財などの事業再生を行うコンサルティング会社と、ベンチャー企業への人材紹介などを行っている会社です。どちらも3月末に内々定を頂きました。

 

どうしても入社先の企業を決められず、最後はノートとペンを持って海へ

コンサルティング会社は、ただ戦略をクライアントに提示して終わりではなく、その後の改善をするために現場のマネジメント業務まで責任を持って行う。そこに魅力を感じていたものの、明確にここで働きたいと思えるそれ以上のロジカルな理由があったわけではありません。ただ、とにかく心のどこかで「やってみたい」「自分の人生の5年か10年はこの会社で使いたい」という情熱が湧き出てくる会社でした。一方、人材サービス会社の方も、ただ人を紹介するだけでなく、その後の社員教育まで行っている。この会社では内々定を頂いた後に3日間だけ社員と一緒に働く機会を頂き、そこで営業同行したものの、自分が透明人間になったかのように何もできずに終わり、最終日には泣くくらい悔しい思いをしました。そして、「ここでもっと働きたい」「この会社の力になりたい」と心底思いました。

 

どうしても入りたい会社が2社。その後は、どちらの会社の内々定を承諾するのかをずっと考えていました。しかし、3週間たっても結論は出ず。いったん考えるのを止めようと思って、一週間くらいサッカーをすることにしました。そして、内々定を頂いてからおよそ1カ月が経過したころ、新しいノートを1冊、そしてペンを1本持って、海岸に行くことにしました。ノートに、これまで考えてきたこと、就活中に経験したこと、5年後や10年後どうなっていたいか、お世話になってきた人たちの想いを書きなぐっていき、最終ページに入社する企業名を記そうと思ったんです。

 

まだ新しいそのノートの1ページ目を開いた時、コンサルティング会社と人材サービス会社のどちらを選ぶのかは、まだ決めていませんでした。ただ、ひたすら自分の心の中にあるものを、すべてそのノートに吐き出していきました。途中で「むりだー!」とだけ書いたページもあります(笑)。そして、いよいよ最終ページに…。僕の手は、自然とコンサルティング会社の名前を書いていました。そして、この覚悟は絶対に忘れないという決意を残すための文章も。ロジックで考えると人材サービス会社の方が自分に合っていると思ったのですが、やっぱり心のどこかに「ここで5年か10年やってみたい」というマインドを持てたのがコンサルティング会社の方だったのです。

 

悩み続け、本当に苦しんだ1カ月間でしたが、今では100パーセント納得しています。そして、自分が入社を決めた会社で死ぬ気で働き、自分のためにも会社のためにも価値を出せる人間になっていくつもりです。

 

就活全体を通して、自分一人でやってこられたわけではなかったと実感。話を聞いてくれる人には話をすればいいし、話をしてくれる人がいるなら聞けばいい。友人も先輩も後輩も、頼れる人はすべて使い倒すつもりで頼ればいいと思います。そして、最後の最後は自分で決断すれば、納得のいく結果になるのではないでしょうか。

 

低学年のときに注力していたことは?

体育会のサッカー部と、高校生向けの教育ボランティアをしているNPOでの活動に注力していました。NPOで具体的に行っていたのは、体育館で将来のことを高校生と語り合う授業の運営、そしてその企画です。それまで、小・中・高一貫の男子校で育ってきたので、限られた人たちとしか接してこなかったのですが、そのNPOにはいろいろなバックグラウンドを持っている大学生が集まっており、自分にとっての当たり前が、ほかの人にとっては当たり前であるとは限らないということを実感しました。サッカーは「より多くの得点を入れて勝つ」という全員が目指す明確な目標があるのですが、NPOの活動には正解がない。気がついたら、「ほかのメンバーに歩み寄るためにはどうすればいいだろう?」「もっと良くするためにはどうしようか?」と考えるようになり、活動に引きこまれていました。この、いろいろな人とかかわり、その人たちとうまくコミュニケーションを取りながら理解し合おうという姿勢は、その後の就活でも生きたのではないかと思います。

 

就活スケジュール

大学院1年6月
夏のインターンシップに応募
広告系や人材系の企業のインターンシップに3社応募するものの、すべて選考で落ちてしまう。就活の厳しさを実感することに。
大学院1年10月
就活セミナーに参加、先輩訪問
学外で開催されている就活セミナーに参加して、面接やエントリーシートなどの対策を行う。並行して先輩訪問も。社会人の話を聞けて面接対策にもなるため、先輩訪問には力を入れていた。合計20人の社会人と会う。
大学院1年1月
冬のインターンシップに応募、ベンチャー企業の選考開始
自分の専攻に関係のあるIT系企業(2社)のインターンシップに参加した。またベンチャー企業の選考が始まったため、エントリーシートの提出や説明会への参加などに追われる。
大学院1年3月
内々定
どうしても行きたいと思える企業2社の両方から内々定を頂く。そこから1カ月はどちらに入社するかで悩むことに。
大学院2年4月
内々定承諾
悩んだ末に、コンサルティング会社への入社を決意。100パーセント納得した気持ちで就活を終える。

 

就活ファッション

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スーツは、パンツが2本セットになっているものを購入して、ヨレヨレにならないようにしていた。また、靴の手入れもするなど、身だしなみには気を配っていた。

 

取材・文/芳野真弥 撮影/鈴木慶子

トリンプ・インターナショナル・ジャパン株式会社

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よしだ・しゅうへい●リテール統括部Block 1 スーパーバイザー。京都産業大学経営学部会計ファイナンス学科卒業。2012年4月入社。実家が京都で商売をしていることから、形が目に見えるモノを介して会社と人をつなぐ仕事をしたいと考え、メーカーの営業職を志望。アパレル、食品、繊維メーカーなど、約30社の説明会に参加。5社から内定をもらったが、役員面接の気さくな雰囲気と若手に仕事を任せていく社風に魅力を感じ、現社への入社を決意。

数字分析を念頭に店舗訪問で現場を確認。目標達成につながる改善策を提案

インティメイトアパレル(下着の総称)の企画・製造・販売を行うトリンプは、1886年にドイツで誕生し、現在はスイスを本社に世界120カ国に拠点を構えるグローバル企業。トリンプ・インターナショナル・ジャパンは、その日本法人として1964年にスタートした。

 

吉田さんは、2012年の入社以来、路面店や商業施設、アウトレットなどに入っている直営店『AMO’S STYLE by Triumph』の営業を担当している。

「デパートやチェーンストアなどの売り場とは異なり、直営店は、自社が売りたい商品を好きなだけ入荷して販売できることが特徴。また、『AMO’S STYLE by Triumph』は10代から30代の女性がターゲットなので、ファッション・アドバイザー(販売員)もほかのトリンプの売り場に比べて若い女性を中心に運営しています」

 

営業職のミッションは、担当エリアの店舗が年間予算(売り上げ目標)を達成するために、課題を見いだし、改善策を提案・徹底すること。そのために活用しているのが、各店舗から日々上がってくる販売実績だ。社内の専用システムで必要なデータを抽出し、1日単位で数字をチェック。売上高はもちろん、前年の同日や同曜日との比較、レジから吸い上げた客数や客単価、メンバーズカードを持つリピーターと新規顧客との割合などを細かく分析する。

 

「そうすると、どのアイテムが売れているか、売れていないかが見えてきます。前年と同じ商品があれば、売れ行きの違いもわかるので、その理由――例えば、出しているカラーの違いやキャンペーン実施の有無といった要因――を探り、予算を達成するための対策を考えるのです」

 

抽出する数字や分析のポイントは、営業担当でそれぞれ微妙に異なる。吉田さんは、先輩の分析方法を参考に、自分がわかりやすい数字の出し方、担当店舗が知りたいデータを模索。試行錯誤の末に、自分なりの分析スタイルを確立した。

 

「とはいえ、数字の分析にも増して重要なのが、店舗訪問です。データをいくら分析しても、それはやはり数字でしかありません。大切なのは、分析結果を頭に入れて店舗を訪問し、自分の目で確認すること。売れないアイテムが、実は在庫が不足している、ディスプレーが目立たないなど、現場で見えてくることも多いからです」

 

1年目、上司から大阪の6店舗を引き継いで一人で活動するようになった吉田さんは、先輩からのアドバイスに従って、頻繁に店舗を訪問することを心がけた。

「ところが最初のころは、店舗側から問題点を聞くことはできても、自分から課題に気づくことができませんでした。店舗を訪問しても何もできない自分が情けなくて…。それに、『このブラジャーは、ワイヤーが内側に入りすぎていて、フィッティングがしっくりこない』とファッション・アドバイザーから言われても、正直ピンとこない。男性ゆえのハンディも感じていました」

 

そんな思いを払拭するために、吉田さんは商品知識を養い、店舗に通い、ファッション・アドバイザーの依頼や要望にすぐ応えることを実践。在庫の確保や補充などに即対応することで、店舗との信頼関係を深めていった。

「ファッション・アドバイザーから『吉田さんが担当で良かった』という言葉を聞けた時は、本当にうれしかった。ようやく信頼関係が築けた、成長できたと自信になりました」

 

吉田さんは、訪問した際には店舗を遠目から眺めたり、お客さま目線で歩きながら店舗を眺めたりすることも忘れない。そうすることで、マネキンと重なって商品がよく見えない、POPの文字が遠くからは読みにくい、などの新たな発見があるからだ。

 

「また、お客さまの流れを観察することで、ファッション感度の高い女性が多い、ファミリー層が多いといった商業施設の特性も見えてきます。客層によって売れ筋は変わってくるので、商品ラインナップを変えるという対策も打ち出せる。こうしたマーチャンダイジング(商品計画)ひとつでも、売り上げが変わってくるのが、この仕事の醍醐味(だいごみ)です」

 

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週3、4日は東北方面に出張しているので、本社内にいる月曜日に上司と打ち合わせ。数字分析と店舗訪問から見えてきた課題と改善策を相談。出張予定についても報告する。

 

商業施設との信頼関係を深め、セール売上高を3年で倍増させる

取引先との商談も、大切な仕事の一つ。代表的なのが、大幅な売り上げアップが見込めるセールなどの催事交渉だ。吉田さんが新人時代に、前任者だった課長が催事を受注。5日間のセール開催で250万円を売り上げた。引き継いだ吉田さんは、2年目の売り上げを300万円に伸ばし、3年目には日数を1週間に延長する交渉に成功し、500万円にまで売り上げを拡大した。

 

「施設内のエレベーターの電子掲示板に告知を流したり、チラシを配布したりと販促にも注力。ファッション・アドバーザーだけに頼らず、自分自身も声を枯らしながら駅の構内でビラをまきました。3年かけて施設担当者との信頼関係もでき、一緒にセールを盛り上げることができた結果です。上司から引き継いだ催事の売り上げを2倍にできた達成感は大きかったですね」

 

15年、東京本社のリテール統括部に異動した吉田さん。現在は、東北方面の直営店を担当している。

「仕事内容は変わりませんが、宮城県、山形県、福島県にある店舗を訪問するので、週3~4日は出張しています。リテール統括部のシニアマネージャーや、現在の上司も以前に東北地区を担当しており、社内でも重要な拠点のため、異動前はかなりプレッシャーでした。その後、前任の営業担当が回りきれていなかったこともあり、私が顔を出すようになって『こんなに頻繁に来てくれる担当者はいなかった』と歓迎され、すぐに関係構築ができました」

 

15年9月には、東北最大の仙台店の改装を経験。15年前に作った若い女性を意識したピンクやオレンジの内装を、ブル―やパープルを基調とした内装に一新。当時ファンだった女性たちの現在の年齢を想定したリニューアルだ。

「上司とストアデザイン担当者との3人で図面を見ながら話し合いを重ね、通路を広くとるために什器(じゅうき)の幅を変更したり、商品フックの長さを調整したり。改装の成果があって、売り上げは順調に伸びており、担当者からもお褒めの言葉を頂きました。店舗のデザインや商品の見せ方を変えることで、売り上げが伸びることをあらためて実感しています」

 

東京転勤を機にスーパーバイザーに昇進し、吉田さんはより大きな視点で改善点を求められるようになった。例えば、奥のレジで書類作業をしているファッション・アドバイザーの様子から、「その書類は本当に記入する必要があるのか」と作業自体を見直し、必須の作業であれば「可動式の小さいテーブルを用意すれば、すぐに接客できる位置で作業できるのではないか」など、日々課題と改善策に思いをめぐらす。

 

「スーパーバイザーは、いわば会社と店舗をつなぐ懸け橋。データ分析や商圏に基づく商品構成といったマーケティング力、店舗や商業施設に信頼されるためのコミュニケーション力、人件費や家賃などの経費と利益とのバランスを見る経理能力も要求される立場なので、多角的にスキルを高めていくつもりです」

 

直営店は、商品構成やキャンペーン施策などの自由度が高いことから、その面白さと裁量の大きさが、吉田さんの大きなやりがいになっている。

「目標は、直営店営業の中心的存在になること。今後は海外、特にアジアで直営店ビジネスが発展していくことが予想されるので、業績トップクラスにある日本で培った直営店ノウハウをアジアに輸出し、トリンプ全体を盛り上げていきたいと思っています。そのための海外転勤も、もちろん視野に入れています」

 

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月曜日は、集中的にデスクワークに充てる。担当店舗の先週の販売実績、昨年の同時期の実績などを社内の専用システムで抽出。データを比較しながら、販売の伸びなかった商品の原因を分析する。

 

吉田さんのキャリアステップ

STEP1 2012年 新入社員研修で仕事の基礎を学ぶ(入社1年目)

4月の入社式翌日から6日間、総合職と販売職全体の新入社員研修で、下着の基礎知識や接客スキルを学ぶ。その後、総合職8名と中途入社者1名で、物流を担うトリンプ静岡センターでの1週間の研修に参加。商品のタグ付けや物流ラインでの検品作業のほか、ブラジャーのパーツをミシンで縫製して完成させる体験も。ブラジャーがたくさんのパーツからできていることを知り、衝撃を受ける。物流の仕組みがわかっただけでなく、現場の人たちと顔見知りになったことで、営業担当としてイレギュラーな依頼をしやすくなった。その後、2つの部署で各2週間営業研修を経験。

STEP2 2012年 大阪営業所の直営店事業部にて営業経験を積む(入社1年目)

6月、大阪営業所の直営店事業部 Area3 1課に配属となる。1課は関西エリア担当だが、部署の都合で2カ月間、名古屋エリアを担当する2課の先輩の下で営業の基礎を学ぶ。販売実績数字の出し方、ファッション・アドバイザーとの付き合い方、商品知識など学ぶことは多かったが、わからないことは先輩が丁寧に教えてくれるので、不安はなかった。8月、1課の上司が担当していた大阪6店舗を引き継ぎ、本格的に営業活動を開始。2年目にはその6店に京都、奈良、和歌山の11店を加えた16店舗を担当するように。大型店には毎週顔を出し、2週間に1度は全店舗を訪問した。

STEP3 2014年 自分なりの数字分析、直営店や商業施設との信頼関係を確立(入社3年目)

試行錯誤しながら、自分なりの数字分析スタイルを確立。“依頼や要望には即対応”をモットーに、頻繁に店舗訪問を続けたことで、直営店のファッション・アドバイザーや直営店が入っている商業施設の担当者との信頼関係も深まり、仕事がスムーズに。一方で、3年間ほぼ同じエリアを担当してきたという慣れが、妥協につながるのではないかという危機感を感じ始めていたタイミングで、東京本社への異動の辞令が。心機一転のチャンスととらえ、東京に転勤。

STEP4 2015年 東京本社に転勤。リテール統括部にてスーパーバイザーとなる(入社4年目)

東京本社のリテール統括部 Block 1に異動し、東北エリアの直営店10店の営業を担当。スーパーバイザーに昇進したことで、店舗と会社との懸け橋役をより強く意識するように。後輩の育成にも力を入れ、後輩には「自分はこうしたいが、どう思うか」という主体的な質問をするようアドバイスしている。ときには後輩の担当店舗を訪問し、自分の目で見た良い点と改善点をフィードバックするなど、“気づきの種を与える指導”を心がけている。

 

ある日のスケジュール

9:20 出社して、先週の売り上げを確認。部の全体朝礼に続いて、課員8名で朝礼。
10:00 メール対応を済ませ、先週の店舗訪問で気づいた課題と改善点を上司に提案。
10:30 先週1週間分の販売実績の詳細を確認する。
11:45 ランチ。上司や同僚と近所のレストランへ。築地市場まで足を延ばすことも。
12:30 請求書の確認と処理。その後、数字を分析し、店舗に電話確認などを行う。
14:30 担当エリアの店舗に今週の実行方針(改善策)を配信する。
16:00 店舗間の商品移動の手配、商品の補充依頼、店舗の備品発注などを行う。
18:50 メール対応を済ませて、退社。

プライベート

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2015年1月、職場のメンバーと新橋で新年会をした時(左端が吉田さん)。「課長への“頑張りましょう”メッセージを入れたデザートは、メンバーから課長へのサプライズです」。

 

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総合職の同期入社8名とは、とても仲が良い。写真は2015年3月、結婚に伴い静岡に転勤する同期女性の送別会と結婚祝いを兼ねた飲み会(左から4人目が吉田さん)。

 

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海外旅行が趣味で、特に人間味あふれるアジアが好き。入社1年目は、1週間ラオスとカンボジアへ。写真はカンボジアへ行ったときのもの。「有給休暇を取りやすい会社なので、年2回は海外旅行を楽しんでいます」。

 

取材・文/笠井貞子 撮影/刑部友康

電力設備工事会社内定 東北学院大学 加藤 岬さん

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就活データ
志望業界:電力、電力設備工事、銀行、ガス、自動車メーカー、商社など 説明会参加:30社(うち合同企業説明会5回) 先輩訪問:4人(電力1人、銀行2人、商社1人) エントリーシート提出:20社 面接:10社 内定:7社(電力設備工事1社、建設2社、銀行1社、自動車メーカー1社、商社2社) 活動費用:約10万円(交通費5万円、外食費3万円、参考書代1万円、証明写真代7000円、郵送費3000円。説明会などで東京に行く時は、なるべく友人の家に泊まることで宿泊費を節約。また就活をすると外食する機会が増えるので、お金の節約と栄養バランスを考えて弁当を持参した)

なんとなくから始まった就活の軸。きちんと考えることで「自分の想い」が明らかに

就職するなら地元。それに、できれば有名で安定している企業がいい。最初はそんな軽い気持ちで就活を始めました。電力会社に就職したサークルの先輩の話を聞いていたこともあり、大学3年生の夏は電力会社のインターンシップに参加しようと思って、エントリーシートを提出しました。しかし結果は不合格。正直、このインターンシップに参加できると思ってほかの企業は見ていなかったため、結局、夏はどの会社のインターンシップにも参加せずに終わりました。

 

12月には、エントリーシートの添削や面接の練習をしてくれる就活セミナーに誘われて参加。そこから少しずつ就活に対する意識が変わっていき、2月には電力設備工事会社のインターンシップに参加することに。1泊2日で、電柱・配電装置・空調設備について、目の前で実物を使ったデモンストレーションをしながらの説明があり、さらに火力発電やソーラーパネルに関する施設を見学することもできました。

 

このインターンシップに参加し終わった時、あらためて「なぜ、自分は電力業界にこだわっているのだろう?」と考えてみました。そして思い出したのは、やはり東日本大震災のことです。あの時、実家は津波で流され、5日間くらい停電したままの状態で避難所で過ごしました。昼間は太陽があるから良いのですが、夜は真っ暗。電気が復旧して明かりがついた瞬間は、本当にホッとしました。やっぱり電気は生きていくために欠かせないものですし、今度また電気の供給が止まるようなことがあっても、しっかりと復旧させることで東北の暮らしを支えたい。そして、「東北の復興と発展のために貢献できる企業で働きたい」という、自分の就活の軸が明確になりました。

 

3月には合同企業説明会、4月と5月には個別の企業説明会に参加。この時期、電力以外にも魅力的に感じる業界を知ることになります。それは金融業界、特に銀行です。東北復興のためには、企業の成長が欠かせません。そして企業が成長していくためにはお金が必要です。お金をうまく貸し出すことで雇用が増えて、お金が回るようになり、経済が発展すると考えたのです。

 

5月には先輩訪問も開始。人事の方が説明会で話すこととは別に、実際に働いている人の話が聞きたかったからです。「この会社で働いたら、こんな仕事をするのかな? こんな雰囲気かな?」というイメージは持っていたのですが、実際はどうなのかを知りたくて。高校の野球部の先輩、大学のサークルの先輩、そして友人の親と、さまざまなルートを使って、会ってくれる方を探しました。良い情報も悪い情報も得ることができましたが、最終的に、電力、電力設備工事、そして銀行という3つの志望業界が変わることはなかったです。その後の選考では、電力設備工事会社と銀行から内々定を頂くことができ、より志望度の高かった電力設備工事会社への入社を決めました。

 

面接当日も電話で励まし合える仲間がいたから、最後まで頑張ることができた

自分で言うのも何ですが、SPI、エントリーシート、企業研究、自己分析など、すべてにおいて、ものすごく努力をしました。朝から晩まで図書館にこもって就活対策をするという日々が続くことおよそ3カ月。SPIは同じ問題集を30回くらい解きましたし、面接でうまく答えることができなかった質問は必ずノートにメモしておいて、次回までに答えを考えていました。

 

エントリーシートは、1週間で5社くらい書かなければいけないこともあり、本当は一番行きたい企業のエントリーシートに時間をかけたかったのですが、そうするとほかの企業のエントリーシートを書く時間がなくなるという状態に。同じ業界であれば、ある程度似たようなことを聞かれるので、内容が重なるところはゼロから考えないようにすることで効率化しましたが、それでも最後は気合いで乗り切ったところはあります。

 

そして、一番時間をかけたのが自己分析です。合同企業説明会が始まったころ、自分のことを考えてみたのですが、自分の良いところも悪いところも言えず…。そのときに、きちんと自己分析しなければ!と思ったんです。まずは自分史を書いて、自分が何をしてきたのかを整理するところから始めました。就活の時くらいしか「自分はどういう人間か」を考える機会なんてほとんどないので、ここでしっかりとやっておくことを後輩にもお勧めしたいですね。入社後の働きやすさにもかかわってくると思いますし。

 

就活全体を振り返ってみると、精神的にはかなりキツかった時期もありますが、同じゼミの同期3人でいつも一緒に頑張っていたから、なんとか乗り越えられたのだと思います。最初は一人で図書館に通っていたのですが、そこでいつもゼミの同期と会う(笑)。気がついたら、みんなでいつも一緒に就活対策をするようになり、お互いのエントリーシートを添削する、面接の練習をする、面接の前日には電話で話して緊張をほぐす、当日も朝から電話して励ます…と、とにかくお互いが支え合う関係になっていました。

 

3人とも、納得のいく形で就活を終えることができましたので、近々、打ち上げでもしたいなと思っています。僕も「東北の復興と発展に貢献できる仕事に就きたい」という想いを実現できた。入社後は、これは自分のやった仕事なんだ!と胸を張って言えるように、頑張っていきたいです。

 

低学年のときに注力していたことは?

高校生の時は甲子園を目指して本気で野球をしていたのですが、大学に入ってからはサークル活動として野球を続けていくことにしました。毎週木曜日が野球の日です。でも、サークルなので野球の未経験者もいますし、そもそも甲子園出場のようにわかりやすい目標もない。ですから、メンバーの一部が来なくなってしまうという状況が続き、なんとかしなければ、と思っていました。

 

そこで始めたのが野球以外のスポーツです。木曜日は野球をするけど、土日どちらかは野球以外のスポーツをして、みんなで楽しむ。これを始めてからは、サークルのメンバーが減ってしまうことがなくなり、野球をする木曜日の参加率まで高くなりました。

 

この新しい取り組みを実現するにあたって、「どうしたら自分の話を聞いてくれるのか」を考えるようになりましたので、就活では、面接やグループディスカッションに役立ったと思います。それに、メンバーが80人くらいいるサークルですので、いろいろな人に接して「こういう考え方もあるのか」「こういう人もいるのか」と感じることに面白さを見いだすようになっていました。それが、働くなら多くの人と接することができる営業職がいいと思うきっかけにもなったのだと思います。

 

就活スケジュール

大学3年7月
夏のインターンシップに応募

1社のみ電力会社のインターンシップに申し込んだものの、書類審査で不合格。夏はインターンシップに参加せずに過ごすことに。
大学3年12月
就活セミナーに参加

学外の就活セミナーに参加して、エントリーシート、グループディスカッション、面接などの対策を行う。徐々に就活に対する意識が高まっていく。電力設備工事会社の冬のインターンシップに申し込む。
大学3年2月
インターンシップに参加、志望動機の明確化

電力設備工事会社のインターンシップに参加。1泊2日で現場の技術を学び、関連施設を見学。その後、あらためて自分の東北に対する想いを整理し、仕事としてやりたいことが明確に。
大学3年3月
合同企業説明会に参加

「東北の復興と発展に貢献できる企業」という軸で、企業を見ることに。電力業界以外には、銀行にも興味を持つようになる。このころから、就活対策のために大学の図書館に通うようになっていった。
大学4年4月
個別の企業説明会がスタート

4、5月は、個別の企業説明会に参加。事務作業のような仕事よりは、人と会って話ができる営業職を志望するように。
大学4年5月
選考開始、先輩訪問

面接やグループディスカッションなどの選考が開始。多くの企業が知識を確認するような質問をしている中で、ある銀行は自分自身のことを深掘りする質問が多くて「自分のことをきちんと見てくれてるんだな」「こういう人たちと働いてみたいな」と思うように。
大学4年7月
内々定が出始める

志望したほぼすべての企業から内々定を頂くことに。当初の志望順位は変わらず、電力設備工事会社への入社を決意。

 

就活ファッション

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スーツは、冬用と夏用で2着用意。インフラ系や銀行系を受けようと思っていたので、「カッチリとしている」ように見える細身のスーツを選択。また、もともとファッションには興味があったため、ネクタイはこだわりを持ち、オシャレさも追求。5本用意し、受ける会社のカラーをイメージして使用していた。

取材・文/芳野真弥 撮影/佐藤 修

株式会社ソディック

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今回の訪問先 【ソディック アドバンスト研究センター】
私たちの身の回りにはさまざまな工業製品があります。それらを製造するのに欠かせないのが工作機械です。工作機械といってもさまざま。ワイヤ放電加工機(ワイヤを電極にして、放電現象により金属を加工する機械)やハイスピードミーリングセンタ(マシニングセンタ:フライス削り、中ぐり、穴あけ、ねじ立てなどの異種加工を1台で制御する工作機械)、射出成形機(プラスチックなどの熱可塑性樹脂を加工する機械)、食品機械のほか、最近、注目を集めている金属3Dプリンタなどもあります。このようなモノづくりの現場に欠かせない工作機械を開発し、国内外に提供しているのがソディックです。自動車業界やエレクトロニクス業界などの幅広い分野で評価を獲得している背景には、独創的な技術開発力があります。同社のほとんどの製品に採用されているリニアモータテクノロジー。この技術を採用するメリットは、加工の高精度、高効率を実現するだけではありません。部品の交換頻度を下げたり、機械の構成が単純化されるため省スペース化やメンテナンスの容易性も実現するのです。このような最先端技術を積極的に取り入れ、社名の由来であり社是でもある「創造(So)」「実行(di)」「苦労・克服(ck)」し、創業以来、培ってきたノウハウと経験を組み合わせ、お客さまのためにより良いモノを提供し、成長し続けているソディック。今回は次世代技術に関する研究に取り組むソディック アドバンスト研究センターを訪問しました。

 

高速・高精度、低価格を実現する最先端制御システムを開発

ソディック本社およびアドバンスト研究センターがあるのは神奈川県横浜市都筑区。最寄り駅は横浜市営地下鉄「仲町台駅」。そこから7分ほど線路沿いに歩くと、ソディック本社の入り口に着きます。周辺は一軒家やマンションなどが立ち並ぶ閑静な住宅街が広がっていました。
アドバンスト研究センターとはその名の通り、次世代のソフトウェアおよびハードウェアに関する研究開発に取り組む拠点です。グローバル化をいち早く志向してきたソディックでは、研究開発体制もグローバル。1991年に中国・上海にソディック上海、2000年にアメリカ・シリコンバレーにソディックアメリカを設立し、日本のアドバンスト研究センターおよび各事業部の研究開発部門と協力の下、3拠点体制により最新のNC(数値)制御装置の開発が行われています。
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アドバンスト研究センターのシゴトバをアドバンスト研究センター第1G グループマネージャーの林泰さんと同Gメンバーの濵田大樹さんが紹介してくれました。写真はアドバンスト研究センターの執務エリアです。
「アドバンスト研究センターでは、会社の将来に役立つと思われる、世に出ていない新しい技術の研究開発を行っています。5つのグループがあり、私がマネジメントしている第1Gの担当は主にモーションコントローラなど制御システムの開発です。私たちの部署は世に出ていない新しい技術の開発なので、『この機械をこのように制御する仕組みが欲しい』という具体的な課題が与えられるわけではありません。そのような製品よりの開発は、各事業部の開発部門が担当。私たちの部署では『より速度を上げたい』『精度を高めたい』『よりコストを下げたい』という抽象的な目標を達成する方法を、例えば電気的な仕組みを変えるのか、動きそのものを変えるのか、という何もないところからさまざまな視点で検討し、開発していくのです」(林さん)
モーションコントローラとは、ソディックの工作機械に搭載されているリニアモータを制御する装置。同社では加工する際によりスムーズに速く動作させるためにリニアモータ技術を採用。リニアモータおよびモーションコントーラは同社で独自開発されています。
一方、濵田さんが担当しているのはワイヤ放電加工機の機能開発。
「どういう機能を付加すればお客さまに喜ばれるモノが提供できるのか、チームのメンバーと話し合いながら機能開発に取り組んでいます」(濵田さん)
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「私が手がけた制御システムは、ほとんどの工作機械に応用されています」(林さん)
写真は金属3Dプリンタ「OPM250L」。金属粉末を均一に敷くリコーディング工程とその粉末をレーザー光でスキャンして溶融凝固させるレーザー加工工程を複数回繰り返し、高速の回転工具で切削加工(高速ミーリング加工)を行います。これらの工程を繰り返して積層させていくことで工作物ができあがります。もちろんOPM250Lにもリニアモータ技術が採用されています。OPM250Lは日刊工業新聞社主催「2014年十大新製品賞 本賞」および「第45回 機械工業デザイン賞 日本力(にっぽんぶらんど)賞」、日本デザイン振興会が運営する「2015年度 グッドデザイン賞」をトリプル受賞しました。十大新製品賞は優秀新製品の開発奨励と日本の技術水準の向上に資することを目的に創設された制度で、また機械工業デザイン賞は工業製品のデザイン振興と発展を目的としています。グッドデザイン賞はくらしや社会を豊かにする「よいデザイン」に対して贈られる賞です。これらの受賞からも、同社の技術、性能が高く評価されていることがわかります。
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こちらはソディックの主要機種、リニアモータ駆動を採用した超精密ワイヤ放電加工機「AP250L」。従来のボールネジ駆動方式を採用していたワイヤ放電加工機とは異なり、機械精度の低下が発生しないのが特徴です。同機種では機械精度10年を保証されています。
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「1日の大半はこの実験室で過ごしています」と林さんは言います。
実験室にはそれぞれの作業デスクがあり、パソコンも設置されています。
「ここでプログラミングをしたり、試験結果の解析などを行ったり、資料をまとめたりしています」(林さん)
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作成したプログラムがちゃんと動作するか、基板に入れて確認しているところです(写真は濵田さん)。
「テストするための電子回路基板も、自分たちで作成しています。このようなむき出しの基板で動かして、例えばモータの制御プログラムであれば回転の数値を取得し、細かく解析していきます。ここで調整できれば実際の機械に入れて動かしてみるんです」(林さん)
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はんだごてを使って、基板を作成しているところ。
「当社では製品化する場合、最初は部品などを専門メーカーから購入して作り上げていきます。その後、よりお客さまが求める機能やコストを実現するため、主要な部品を内製化していくんです。だからこそ、実際に手を動かして基板を作成するという作業も発生します。基板の作成は得手、不得手な人がいるので、わりと得意な人や好きな人が作ることが多いですね」(林さん)
「私もまだうまく作成できないので、必要なときはメンバーに作ってもらったりしています」(濵田さん)
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作成した制御プログラムを実際の機械に搭載し、正しく動くか確認するため、操作盤をいじっているところです(写真は林さん)。
「制御プログラムで難しいのは加減速制御のプログラムです。加減速とは加速と減速のことで、例えば車であればすーっと動き出してすーっと止まると乗っている人も安心ですよね。それと同じで機械も加減速がいかになだらかにできるかが大事になるんです。そのようなプログラムにするために、細かなデータを取得して解析し、調整していくわけです」(林さん)
写真は高性能ワイヤ放電加工機「SL400G」。要素技術をすべて自社開発しているモデルです。
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制御システムの開発は、拠点と連携して行われます。写真は石川県加賀市にある加賀事業所のメンバーとテレビ会議システムを使って会議をしているところ。
「最もひんぱんに会議をするのは、加賀事業所のメンバーです。加賀事業所は国内の生産拠点としても中核的な役割を担っています。ここにはアドバンスト研究に携わっているメンバーもいますし、その先進技術を製品に応用する事業部の研究開発部門もあります。そのようなメンバーとコミュニケーションして、次世代技術の開発に取り組んでいます。そのほかにも、ソディックアメリカ、ソディックタイランド、ソディックアモイ、蘇州ソディックなどの海外拠点のメンバーとも会議をすることがあります。まさにグローバル体制で開発が進められているんです」(林さん)
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ハタラクヒト 進化する技術にいかに対応していくか。大事なのは柔軟性

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引き続き林さん(写真左)と濵田さんに「ソディック アドバンスト研究センター」というシゴトバの魅力、やりがい、職場の雰囲気などについてうかがいました。

 

林さんは2001年岡山大学工学部機械工学科を卒業し、ソディックに入社しました。
「大学時代はある特殊な材料の新しい加工法に関する研究に従事していました。研究室にソディックの放電加工機があり、使っていたんです。調べてみたところ、グローバルでビジネスを展開している。ここなら海外で活躍するチャンスがあるのではと思い、選びました。モノづくりをしたいというよりも、海外で働きたいという気持ちがいちばん強かったですね」(林さん)

 

一方の濵田さんは東海大学大学院理学研究科物理学専攻を修了後、12年にソディックに入社。
「学生時代の専門は物理学。実は工作機械のことは、よく知りませんでした。地元の神奈川で就職を考えていたので、神奈川に本社のある会社を中心に就職活動をしていました。そんな時、横浜で開催された合同企業説明会に参加し、ソディックの持つ技術力の高さにひかれ、工作機械の開発に携わってみたいと思いました」(濵田さん)

 

濵田さんのように工作機械についてよく知らない人も「珍しくありません」と林さんは言います。
「技術は常に進化していきます。したがって数学など理系の知識がベースとしてあれば、あとはその進化する技術にいかに対応していくかです。つまりそういう柔軟性を持っていることがいちばん重要なんです。実際私たちのグループは機械のほか、電気、物理、情報系の出身というように学生時代の専門はバラバラです。新しい技術を獲得していくという前向きさがあれば、学生時代の専攻は関係ありません」(林さん)
「私はプログラミングの知識もありませんでしたし、工作機械のことも配属後に一から勉強しました。ただ日々、仕事をしながら勉強するので本当に大変。しかし自分の作ったモノがちゃんと動いたのを見ると、これまで苦労したことも忘れてしまうぐらい、うれしさに包まれるんです」(濵田さん)

 

林さんも「やはり大きな達成感が得られるのは、自分で設計したプログラムが動く瞬間です。私たちが開発しているのは先進技術。だから日々が新しいことへのチャレンジなんです。そのチャレンジがうまくいき、動くことが楽しい。それがやりがいになり、また次にチャレンジしようと思えるんです」と語ります。

 

濵田さんは「日々、仕事をしながら勉強しなければならないので、それが大変」だと教えてくれましたが、一方の林さんに苦労した経験を聞くと、「ソディックアメリカに赴任した時ですね。英語がそれほど堪能ではなかったので、生活面で少し苦労しました。でも文化の違いを経験する良い機会となりました」と笑いながら話します。勉強することはたくさんありますが、それが楽しいので、仕事では苦労を感じたことがないそうです。

 

最後にソディック アドバンスト研究センターというシゴトバの文化・風土について聞きました。
「当社は創業者の古川会長、そして金子社長というように経営トップが技術者だからか、技術へのこだわりが強い会社です。技術を探究したいという人には、働き心地がよいと思います」(林さん)
「アドバンスト研究センターの平均年齢は、30代半ば。年代の近い人が多く、楽しい雰囲気の中で仕事をしています。また意外に飲みニケーションも多いんです(笑)。だからみんなでストレスを発散して次の仕事に向き合うことができます。働きやすいシゴトバですよ」(濵田さん)

 

おいしいメニューが安価に食べられる食堂、先進技術をわかりやすく紹介するショールーム

食堂です。
「ほとんどの社員が利用しています。メニューもそれなりに選べますし、おいしくて人気なんですよ」(人事・コンプライアンス統括部 人事管理室室長 鎌田弘次さん)
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ある日のメニューです。日替わり定食(420円)のほか、カレー(380円)、麺(日替わり、330円)などのラインナップ。500円もかけずにおなかを満たすことができます。
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テニスコートです。主にテニスクラブのメンバーが使用。メンバーの中には毎日、昼休みに練習する人もいるそうです。ソディックにはテニスクラブのほか、フットサル、バドミントン、ゴルフ、自転車などのクラブがあり、社員交流の場になっています。
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カフェコーナーです。こちらは主に来客時に使うスペースとのこと。コーヒーなどが用意されており、リラックスした雰囲気の中でお客さまと打ち合わせができるようになっています。
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ショールームです。金属3Dプリンタ「OPM250L」をはじめとする主力機種を設置。ショールームに至る通路では、ソディックの精密技術が容易に伝わるように米粒に約100個の文字を彫ったものも展示されています。
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ソディックにまつわる3つの数字

NCワイヤ放電加工機や射出成形機、食品機械など、モノづくりの現場に欠かせない工作機械を開発し、国内外に提供しているソディック。以下の数字は何を表しているのでしょうか? 正解は、次回の記事で!

1. 1500アンペア

2. 100パーセント

3. 40

前回(Vol.143 国立研究開発法人 農業・食品産業技術総合研究機構)の解答はこちら

 

取材・文/中村仁美 撮影/臼田尚史


大学3年生~大学院2年生に聞きました。大学1~2年の過ごし方、後悔してる?

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大学1~2年の時の過ごし方で後悔していることはありますか?

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大学3年生~大学院2年生に、大学1~2年の時の過ごし方で後悔していることがあるかどうかを尋ねたところ、65.4%が「はい」と回答し、約3人に2人が、大学1~2年の時の過ごし方を後悔していることがわかった。属性別では、特に違いは見られなかった。

 

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専攻分野の理解をもっと深めておくべきだった。そしてもっとさまざまな本に触れ、活字に強くなっておくべきだった。(法文学部4年・男子学生)

 

ボランティアなど就活で役立ちそうなことをしておけばよかった。暇ならバイトをして貯金しておけばよかった。(大学院先進理工学研究科1年・女子学生)

 

空いている時間に資格取得にもっと前向きになるべきだったこと。今になって焦っている。(経済学部3年・男子学生)

 

長期休暇中に教習所に通ったりして有意義に過ごせばよかったと悔やんでいます。バイトもしておけばよかった。(経済情報学部4年・女子学生)

 

大学の夏休みと春休みを勉強の復習をせずすべてバイトに充てていたこと。(薬学部4年・男子学生)

 

サークル活動にほぼすべての空き時間を費やしたため、ボランティアやアルバイトなど、自分が興味を持っていたほかのことに挑戦できなかった。(人文学部4年・女子学生)

 

短期でもいいから海外留学しておきたかった。(大学院法学研究科2年・男子学生)

 

授業に出て単位を確実にとっておくべきだった。(総合政策学部3年・女子学生)

 

TOEIC(R)テストやそのほかの資格勉強について、全力を尽くして勉強したとは言えないため、遊びの時間を削ってでも行うべきだったと後悔している。また、学内サークルだけでなくインカレサークルにも参加して、人脈を広げておくべきだった。(総合情報学部4年・男子学生)

 

部活動に時間を割きすぎた。留学やインターンシップなど、将来を見据えた活動もすべきだった。(法学部4年・女子学生)

 

TOEIC(R)テストを受けておくべきだった。公務員講座も受けておくべきだった。(経済学部4年・男子学生)

 

2年生の時に新しいバイトを始めなかったことや、地域の行事やイベントに参加していなかったことが悔やまれます。そして、彼氏を作るために、積極的に新しい人に出会おうとしなかったことを全力で後悔しています。(経済学部3年・女子学生)

 

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先輩たちの実感のこもったリアルボイスからは、悔いのない大学生活とは、学業や資格などの勉強、サークルなどの課外活動、そしてアルバイトやボランティアなどの絶妙なバランスの上に成り立ってるってことが伝わってくるね。一方で、悔いが残らないほどに夢中で打ち込めることに出合えるのも素晴らしいことだと思うよ。みんなも先輩たちの声を参考に、これからの過ごし方を再考してみたらどうかな?

 

文/日笠由紀 イラスト/中根ゆたか

通信会社内定 神戸大学 白倉侑華さん

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就活データ
志望業界:IT業界 説明会参加:40社(うち合同会社説明会5回) 先輩訪問:5人(IT2人、海運1人、金融1人、食品メーカー1人) エントリーシート提出:28社 面接:19社 内定:4社(通信1社、物流1社、物販1社、美容機器メーカー1社) 活動費用:約17万円(交通費・宿泊費9万円、スーツなど洋服代5万円、書籍代5000円、外食費1万円、雑費1万5000円。先輩社員に会うために、自費で東京へ。会社説明会で東京に行くこともあり、日程を重ねて安く泊まれるところを探したり、夜行バスを利用するなどしたが、費用がかかった。スーツは秋冬用と夏用の2着を購入)

早く動かなければというあせりからやみくもに行動したことを反省

大学3年の約1年間、フランスに留学。就活を1年ずらして行いました。どちらかといえば要領よく動ける方ではないので、就活準備を早めに始めようと思い、大学3年10月に食品メーカーの1Dayインターンシップに参加。事業理解のワークショップと、講義形式でPDCA(Plan:計画、Do:実行、Check:評価、Action:改善の頭文字。業務を円滑に行う手法)や顧客サービスについての説明がありました。

 

その次に、業界研究セミナーや外資系企業の会社説明会などにも参加。どんな会社があるのかを知るために業界を限定せず話を聞く中で、コンサルティング会社に興味を持ちました。一歩ひいて客観的に全体を見ながら動くのが得意なので、事業の方向性を冷静に判断しアドバイスするコンサルティングの仕事に生かせると思ったし、いろいろな業界にかかわることができると思ったからです。

 

12月になると、外資系メーカーで選考がスタート。エントリーシートの提出もあり、「ある商品を10代に売るには、どうすればいいか」を400~500字でまとめる設問が4、5問ぐらいありました。こんなに早く選考が始まるとは思っていなかったので、自己PRなどをブラッシュアップできず、不合格。冬のインターンシップに向けた選考でもエントリーシートで通過できませんでした。

 

考えてみれば外資系への思いが強いわけではなく、インターンシップもとりあえず参加しなければとあせっていただけだと気づき、反省。やみくもに動いても良い結果にはつながらないと思い、もう一度、会社研究から始めることにしました。

 

ただ個別の会社説明会に出席していたコンサルティング会社で面接に呼ばれたので、ひとまず受けることにしました。業務を理解するためのワークショップ、その後、エントリーシート提出とWebテストのあとに1次面接。面接では、学生時代に頑張ったことや自己PRなどを聞かれました。3月に2次面接があり、1次と同様の質疑応答。自己PRでは、大学の音楽サークルに加わり、カントリーミュージックのバンドでギターを担当。さらに、イベントの企画や集客に主体的にかかわったことをアピールしましたが、不合格になりました。

 

3月は、合同企業説明会にもできる限り参加。学生の参加者も多く思うように動けなかったのですが、商社や食品メーカー、金融、インフラなどの話を聞けました。さらに、個別の会社説明会では貿易会社や専門商社、食品メーカーなど大手企業を中心にチェック。大手企業を志望したのは、フランスに留学した時に、海外では個性を大切にできることを実感し、また、海外で暮らしたいと思ったから。大手企業であれば、海外勤務の可能性が高いと思ったんです。

 

ただ、就活は始まったばかりで、大手企業だけに絞るには時期的に早いと思い、中堅・中小のメーカーも回りました。ある精密機器メーカーではワークショップを経て面接へ。さらに、物流会社でも面接を受けました。物流を受けたのは、海外にも支店があり、語学力を生かすことができると説明会で知ったからです。そして、大学4年4月に物流会社から内々定。もちろん、まだ大手企業の選考は始まっていないので、就活は続けました。

 

次にお茶の専門店を展開する企業で、選考へと進みました。面接は4月から5月にかけて2回。志望動機を聞かれた時に、お茶は和食ブームの海外で必ず人気が出るので、進出していないパリにも支店を出すべきだということ、その時には、語学力でサポートできますとアピール。人事の反応もよく、数日後に内々定をもらいましたが、1週間で結論を出さねばならず辞退しました。

 

本当に行きたい会社を8社に絞って、集中して8月からの選考に臨む

じっくり会社選びや志望業界を考えようと思ったにもかかわらず、どんどん選考が進むことに。さらに、内々定を頂くのはありがたいですが、自分が何をやりたいのか、どんな会社で働きたいのかが明確になっていないことに不安が大きくなりました。大手も中小もと幅広い軸で活動していると、時間が足りなくなると思い、自己分析をやり直すことに。ある就活支援団体で、自己分析のやり方をアドバイスしてもらっていたので、それを参考に時間軸で過去を振り返ってみました。すると、私は自分のやりたいことよりも周りから期待され求められる行動を選ぶ優等生タイプだということ、自分よりも相手がどう思っているのかを常に意識しながら動いていたことなど、自分というものが明確に。ただ、その自己分析からどうやって志望業界を絞っていくのかがわからず、悩みました。そんな時、ある中小企業の人事の方から、「あなたは我慢するタイプだから、その時の自分の気持ちに正直になった方がいい」と言われたことを思い出したんです。

 

まずは、自分が面白い、チャレンジしてみたいと思った企業を挙げてみると、「大手」「地元ではなく全国転勤」「若いうちに海外に行ける」という3つのキーワードに気づきました。そこで業界は限定せず、この3つに該当する企業に挑戦しようと、6月から7月にかけて会社を洗い出し、エントリーシートを提出。さらに、本当に自分がやりたいと思う仕事なのかを確認するために、先輩社員の話を聞こうと思いました。

 

先輩社員は、大学のキャリアセンターからの紹介と、同級生で先に就職した友人、企業からの紹介で探しました。食品メーカーや海運、損保で1人ずつお会いし、1人目は自己PRや志望動機を聞いてもらったり、仕事内容や職場の雰囲気について質問。2人目以降は質問内容を変え「自分はこういうタイプなのですが、御社に合うと思いますか?」とストレートに質問。社風に合っていると思うか、私が働く姿を想像できるかをお聞きしたかったんです。働く姿が想像できると言われた場合は、面接で先輩社員からこう言われ志望度が高まったとアピールすることもありました。

 

さらに、現在の内定先に就職した大学の友人には、会社や業務内容について詳しく聞きました。将来的に営業に変わるかもしれないが、まずSEとして技術やサービスの特徴を理解することから始めるという会社の考えに共感。さらに個人の成長を考えて、まずは考えさせてやらせてみるという社風も素晴らしいと思いました。

 

7月に入ると、空調機メーカーや美容機器メーカーなど中堅企業で選考が開始。空調機メーカーは先輩社員との面談に呼ばれて行くと、それが本選考だったんです。数日後に役員面談に呼ばれたのですが、結果は不合格。美容機器メーカーは4月から4回、面接というスローペースなスケジュール。そして、内々定をもらいました。

 

そして、いよいよ8月を迎え、大手企業の選考が開始。これまで会社説明会に参加したり先輩社員から聞いた話を基に、この時点で、現在の内定先を含め情報システム会社、電機や食品などのメーカー、総合商社など8社に絞りました。この8社でどこか決まれば良いな、という思いでしたが、その中でもSE職に就ける現在の内定先と情報システム会社が第1志望でした。

 

面接が終わるたびに人事から聞かれたこと、それに対して自分が答えた内容をノートに記録し、見直しながら、今ならこんなふうに答えると反省。特に、不合格になった面接については何がいけなかったのか徹底的に振り返る作業をしました。

 

電機メーカーのSE職の2次面接で、自分ではうまく話せていると思っていたのですが、面接後半に説明会に行っていないこと、先輩社員の訪問もしていないことを指摘されました。「SE職といっても会社によってまったく業務が異なるので、会社説明会や先輩社員から聞いて理解しておくべき。入社してから、自分のやりたいことと違っていたというのは双方にとってマイナスだ」と。本当にその通りだと思い、今までの行動を反省しました。

 

そして、翌日に現在の内定先の面接を控え、少しでもできることをやろうと内定先に勤務する友人に連絡。より詳しく担当する仕事や具体的な業務の中身、同僚のタイプや社風について聞かせてもらいました。さらに、友人にも私が現在の内定先で働いて大丈夫かと質問したら、「合っていると思う」と答えてもらえ、少し自信が持てました。

 

次の日、現在の内定先の面接へ。それまでグループディスカッションと面接を経て、人事2人の個人面接。「これまで苦しんだことや困ったことに対して、どのように対処したか」、さらに「留学時は、どんな苦しいことがあったか」など、苦労した経験についての掘り下げ質問が多かったと思います。前日に友人から話を聞き、具体的な業務を聞いたことはもちろん役立ちましたし、別の会社での不合格で振り返りをしてきたことも功を奏しました。何より、この時点では現在の内定先に入りたいという自分の志望が強くなっていたことも面接で伝わったのだと思います。そして、8月下旬に内定の連絡をいただきました。

 

就活を終えて感じたことは、人にかかわっていくことの大切さ。私は引っ込み思案なタイプなのですが、働く以上、それを乗り越えて進まなければなりません。就活でも頭で考えるより、人に会って話を聞いた方がより具体的な情報が聞けると思います。人前に出て、失敗してもいいから進むべきだと反省。面接もコミュニケーション。いろいろな方とかかわることで会話のバリエーションも広がり、いい雰囲気で面接を進めることができると思います。

 

低学年のときに注力していたことは?

人見知りで引っ込み思案な自分を変えたいと、さまざまな接客業やサービス業でアルバイトを経験しました。コンビニ店のスタッフ、高級和食店のホール、百貨店の販売員、個別指導塾の講師、薬局の受付など。また、小さいころからピアノをやっていて音楽が好きなのですが、大学ではみんなで演奏することをやりたいと音楽サークルに入会。仲間とカントリーミュージックのバンドを組み、その中で私はアコースティックギターの一種で「リゾネーター・ギター」を演奏。大学2年の終わりにはライブイベントを企画し、主要スタッフとして成功へと導きました。

 

就活スケジュール

大学3年10月
1Dayインターンシップと就活セミナー
早めに就活準備を始めようと、リクナビなどの就活準備サイトで探した食品メーカーでの1Dayインターンシップに参加。さらに、外資系企業の会社説明会や就活セミナーにも参加する。
大学3年12月
外資系企業の選考を受けたが不合格
外資系メーカー2社で本選考が始まる。エントリーシートを提出し たが2社とも不合格。また、冬のインターンシップの選考でエントリーシートを提出したが思うように通らず、自己分析と業界研究に時間を割く。
大学3年2月
コンサルティング会社で面接
個別の会社説明会に出席したコンサルティング会社から面接の連絡。業務理解のためのワークショップ、エントリーシート提出とWebテストを経て1次面接に臨む。
大学3年3月
コンサルティング会社の2次面接と合同企業説明会
自己PRや志望動機など、一般的な質問が多かった。2次面接まで進んだが不合格に。業界研究のため、合同企業説明会にできる限り参加。さらに、個別の会社説明会は大手企業を中心に回る。
大学4年4月
中堅の物流会社から内々定
大手企業だけに絞るには時期が早いと中堅・中小メーカーも回る。物流会社でワークショップ、2回の面接を経て内々定。ただ、大手企業の選考が始まっていないので、就活を続行。
大学4年5月
自己分析と業界研究を行う
志望業界を絞るため、自己分析をやり直す。が、自己分析の結果をどのように志望業界と結びつけるのかわからず悩む。そんな時、ある人事の方から言われた「自分の気持ちに正直になる」という言葉を思い出し、「大手」「全国転勤」「若いうちに海外に行ける」という3つのキーワードを見つける。お茶の専門店を展開する企業から内々定をもらう。
大学4年6月
エントリーシートを提出
会社説明会でチェックした会社や就職情報サイトなどで調べて興味を持った大手企業にエントリーシートを提出。
大学4年7月
先輩社員訪問と1社から内々定
大学のキャリアセンターからの紹介、すでに就職している大学の友人など、先輩社員の訪問を行う。現在の内定先は、大学の同期が就職しているので、その友人からSEの仕事内容を聞き、社風や業務内容に興味を持つ。エントリーシート提出もピークを迎える。美容機器メーカーは、4回の面接を経て内々定。
大学4年8月
現在の内定先から内々定をもらい、就活を終了
現在の内定先のほか、情報システム会社、電機や食品などのメーカー、総合商社など8社に絞って選考に臨む。現在の内定先は中旬に最終面接を受け、下旬に内定をもらう。その時点で、就活を終了する。

就活ファッション

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最初は友人に似合うと言われたパンツスーツを着用。夏になる前に、夏用の薄い生地のスカートスーツを購入。ブラウスも長袖を合わせていたが、暑くなってからは半袖にチェンジ。靴は、足の甲の幅が広いので、サイズや種類が豊富な靴の専門店で幅広タイプのパンプス購入。カバンはポケットが少なく、物が入らなかったので使いづらかった。

 

取材・文/森下裕美子 撮影/島並ヒロミ

日清食品グループ(日清食品株式会社)

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せき・まさゆき●マーケティング部 第2グループ マネージャー。大阪市立大学大学院工学研究科修了。2003年入社。就職活動時、「研究職の道だけでなく、ほかの可能性も見てみたい」と考え、業種を絞らず、興味を持った会社を見て回った。現社の会社説明会で人事担当者が仕事について語る姿を見て、「なんてアツくて面白そうな会社なんだ!」と感じる。ほかの会社と比べても、働く人たちの仕事への熱気が違うことを実感し、入社を決意。

入社後、食品開発部に配属。スープの開発を担当し、配属2年目には看板商品のカップヌ−ドルに携わる

理系出身ながら、研究職の道を選ばず、「夢中になれる面白い仕事がしたい」と考えて現社に入社した関さん。

入社後の新人研修や製造の現場を学ぶ工場研修を経たのち、食品開発部にて商品開発に携わることに。

「開発チームの編成は、商品ごとではなく、麺・具材・包材・スープなどの各部門に分かれています。僕が配属されたのはスープのチーム。モノ作りに携わり、人を喜ばせるおいしいものを作りたいという気持ちがあったので、すごくうれしかったですね。配属直後、ある袋麺商品の開発案件の担当者となり、先輩に教えてもらいながら仕事を覚えていくことになりました」

 

関さんのミッションは、「ヘルシーな素材が麺に練り込まれている」という特徴を持つラーメンのみそ・しょうゆ味のスープ開発。商品企画を行うマーケティング担当者から「こんなイメージの商品にしたい」という開発依頼書をもらい、方向性のヒアリングとゴールの設定をしたのち、1カ月間の開発期間でレシピを考えていった。

「スープに使われる素材は1000種もあります。塩や砂糖などの基本調味料だけでなく、みそ味のパウダー素材だけでも何十種もある。社内の商品開発室で、0.1グラム単位で配合の実験をしていきました。過去のレシピの中から、ゴール設定の味わいに近そうなものを探し、参考にしながらアレンジしましたが、使用する麺が違うため、スープの味わいも違ってしまう。『何かが違う』の『何か』がわからず、どう修正していけばいいのか悩みました」

 

手探り状態の中、先輩からアドバイスをもらったおかげで、意外性のある調味料によって劇的に味わいが変化することを学んだという。

「例えば、ふわっと華やかなみそ味にする場合、果物のオレンジを使うという先輩もいましたね。配合次第でまったく違うスープを作れることに面白さを感じました。ようやく社内でOKが出て、製品として発売された時は、『この商品のスープを自分が作ったんだ』と感慨深かったです」

 

配属から2年目、関さんは会社の看板商品であるカップヌードルの新商品、キムチ味の開発に携わることになる。

「少し前にキムチ味のスープ開発を経験していたことで、任せてもらえることになりました。それまで手がけてきた商品とは販売数規模のケタが違うため、求められるクオリティーの高さも違う。うれしい半面、大きなプレッシャーを感じました」

 

そして、実際に開発に入ってみると、以前に手がけたキムチ味の開発プロセスがまったく応用できず、がくぜんとすることに。

「たくさん試行錯誤した経験があったから、キムチ味の配合についてはある程度予測がつくと思っていましたが、それをカップヌードルのスープに合わせるとまったくおいしくなかったんです。開発期間は3カ月。食べられるレベルのものはできても、納得いく味わいには到達できない。期限が近づく中、ゼロからスタートせねばならず、またしても悩みましたね」

 

「カップヌードルらしさ」とは一体何なのか、独特の世界観を大切にしながら、オリジナリティーのある味にするにはどうすればいいのか。悩みながらも、本格キムチなどの食品からレストランの辛い鍋まで、いろんなものを食べて研究を続けた結果、意外にも「スナック菓子」がヒントになり、突破口を発見できたという。

「揚げてあるフライ麺を使用するため、辛いスナック菓子の調味レシピを応用できるんじゃないかと考えました。スナック菓子に使われる、ある調味料を試してみたところ、キムチ味にぴったりで、なおかつカップヌードルらしい雰囲気も出せた。先輩や上司からも『面白くて、おいしい!』と太鼓判を押してもらい、マーケティング担当者からも味の方向性に一発OKをもらうことができたんです」

 

味の微調整などを経た3カ月後、いよいよ商品発売へ。テレビでCMが流れ、コンビニに商品が並ぶ様子に感慨もひとしおだった。

「週末の昼時にはコンビニに出かけ、商品の棚の前に待機していました(笑)。2人連れの若者が、『これ食べた?』『うん、おいしかったよ』『じゃあ買ってみる』と会話するシーンを見て、自分の手がけた商品が世に広まる喜びを実感! この経験から、『どんなことにおいても、あきらめずに悩み続けることが大事だ』と学びました。思考のプロセスを柔軟にし、煮詰まったら違うことをしながら考え続ける。現在のマーケティングの仕事にも、その方法論は役立っていますね」

 

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「どん兵衛」のマーケティング担当者として、新たな商品企画の資料を作成。商品開発チームに向けた企画依頼書を作成したり、自ら商品コピーの原案やPR戦略を考えることも。広告会社や印刷会社に依頼した制作物のチェックなども行う。

 

入社4年目、マーケティング部で商品企画を担当し、一から十まで商品に携わる。8年目にはインド市場を開拓

入社4年目、マーケティング部に異動し、商品企画に携わることに。コンセプト作りから味やパッケージ・デザインの決定、さらに販売方針や生産計画、広告戦略まで、すべてを取りまとめていく仕事だ。

「大手コンビニ会社と共同開発を行うグループの配属になり、2〜3カ月おきに新商品を提案することに。最初に手がけたのは、当時話題になっていたホワイトカレー(白いカレー)をコンセプトにしたカップラーメンでした」

 

企画内容を考え、開発部門に依頼を行うと同時に、生産部署には工場のライン工程を確認し、一食あたりの原価も算出してもらった。これをもとに、営業企画の担当者と「どのタイミングでどれくらいの数量を販売するか」という計画を立てていく。

「当社では、リニューアルも含め、年間で約300もの新商品を発売しているので、価格やターゲットが近いほかの商品と競合しない時期を選ぶことも重要。各部門から具体的な数字をもらったら、製造量や販売価格、販売数量の予測を立て、その商品でどのくらいの利益が出るのかを算出します」

 

ここでようやく、社長や関係部署のトップに向けたプレゼンテーションを行い、企画が通るかどうかが決まるのだ。

「たくさんの関係部署に動いてもらってきたので、ここでNGが出たらみんなの苦労が泡と消える。その責任の重さをひしひしと感じ、多くの人の力があって商品が成り立つことを強く実感しました。OKをもらえた瞬間、『やった!』と思いましたね」

 

商品化に向かう過程では、デザイン担当とパッケージ・デザインを考えたり、資材を扱う部署に必要なものと手配してほしい期間を伝えたり、生産部署に依頼して生産計画を組んでもらったり、あらゆる部署と連携を取る。

「最も苦労したのはパッケージ・デザイン。初めての経験なので、『このデザインは違う』と思ってもどうすればいいのかわからなくて。先輩に教えてもらいながら『何を伝えたいか、どう思ってほしいのか、商品の内容が伝わっているか』を考え、どんな写真を撮影するのか、どんな色や書体を使うのかまで煮詰めていきました」

 

さらに、営業部に向けて、商品の企画意図や背景、特徴などをまとめた概略資料も作成。営業企画の担当者とは、プロモーションの時期や仕掛けを一緒に考えていった。

「企画立案から発売まで6カ月かかりましたね。開発のみを手がけていたころは、携わるのは商品の一部分でしたから『自分が作った』という感覚は薄かった。しかし、マーケティングの仕事は1つの商品に最初から最後まで責任を持つため、自分の思った通りのものを作り上げる大きな達成感がありましたね! こののち、チキンラーメンや、カップヌードルなどの商品企画を手がけ、チキンラーメンの50周年記念商品も企画。さまざまな商品に携わり、経験を積んでいきました」

 

そして入社8年目、インド日清に異動が決まり、現地のマーケティングと開発の責任者を任されることになる。

「インドは市場が小さく、新商品が出るのも1年に1回。日本とは規模も違いますし、流通・販売の経路も確立されていません。どう売ってもらうのか、実際にちゃんと商品を並べてもらえるのかまで、すべて自分で働きかけないと動いてもらえないという状況でした」

 

現地のブランドであるトップラーメンと、カップヌードルの商品企画を手がけることになるが、文化や味覚の違いに苦戦することに。

「『もっとスパイシーに』『味が薄い』という意見をもらっても、感覚そのものが日本人と違うわけです。そこで、アンケートを取ろうと考えました。インドでは、袋麺やカップ麺を買うのは母親で、子どもに食べさせるケースが多いので、現地の小学校の子どもたちに実食してもらい、意見を集めていくことに。これを参考に試行錯誤を続け、商品をリニューアルしていきましたが、なかなかヒットしませんでしたね。ヒントも何もない中、『日清は、即席麺を世に誕生させた会社! その知見を生かせば、できることがきっとある』と自分を奮い立たせていました」

 

現地で奮闘を続けた5年目、インド市場におけるカップヌードルの初リニューアルを任され、シンガポール日清と日本のチームと一緒に開発を進めることになる。

「まずは、インド人の味覚で味をジャッジできる体制を作ることに。現地のフードコンサルタントやシェフ経験者を採用し、5つ星ホテルの料理長とも提携して開発組織を強化しました。さらに、容器のデザイン性をアップするために、プラスチックよりも発色のいい紙容器を使用することにし、工場に新たな機械まで導入しましたね」

 

都市部の各地を巡り、大学生にアンケートを取って好まれる味をリサーチし、6つの味の候補を考えたのち、再度アンケートを取って4つの味に絞り込んで発売へ。企画スタートから発売までに1年半かかったという。

「発売後、店で商品を購入する人々の姿を見た時、あきらめずに頑張って良かったなとしみじみ。現地で積み重ねてきた経験値がようやく生きたと実感した瞬間でしたね」

 

入社12年目、関さんは日本に戻り、再びマーケティング部に配属され、「どん兵衛」の担当となる。

「この仕事では、おいしい商品を開発するのは当然。しかし、どんなにおいしくても売れるとは限りません。手に取ってもらうためには、秀逸な商品名や商品コピーの考案からCMや販促プロモーションの展開まで、いろんな仕掛けが必要です。販売数量やお客さまの声、Web上の反応などでその効果を検証していますが、いい意味、悪い意味を含め、予想とは反響が異なることもしばしば。日夜、ああでもない、こうでもないと考えていますが、『お客さまに喜んでもらえる』というゴールに向かう大きなやりがいを感じています」

 

現在、2016年の「どん兵衛誕生40周年」に向け、節目の年を盛り上げる企画を進めている真っ最中。目標は「どん兵衛の魅力を世に伝えていくこと」と笑顔で語ってくれた。

 

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社内の宣伝部署と打ち合わせ。新商品の企画について、今後の広告PR展開を話し合う。このほかにも、商品開発部署、営業部署、資材担当部署、生産部署、広報部署など、社内の関係各所と連携している。

 

関さんのキャリアステップ

STEP1 2003年4月 新人研修時代(入社1年目)

入社後、会社の事業概要やビジネスマナーを学ぶ合宿研修を受けたのち、1カ月の営業研修へ。営業の先輩に同行し、一日の仕事の流れを学んだ。その後、約10カ月間の工場研修を受ける。カップヌードルを製造する芝工場にて、製造の現場で働きながらモノを作る工程を理解する。材料となる砂糖の袋4トン分を運ぶ作業から、製造ラインで材料のブレンドを行う工程、麺を揚げる工程、商品の包装を行う工程など、最初から最後まですべてを経験。「オートメーション化された工場で製造する様子は、入社前の想像を超えていましたね。100円ちょっとで買える商品が、こんなにもたくさんの大きな機械を使って作られているのかと。また、現場の人たちが毎日のようにでき上がったものをチェックし、麺の食感から具材のタマゴの数まで細かくチェックしている姿を見て、『学生時代には何も考えずに食べていたけれど、こんなにもしっかりと管理しているのか』とビックリ。この会社のモノ作りに取り組む真摯な姿勢をあらためて認識できました」。

STEP2 2004年 開発部門でスープ開発に携わる(入社2年目)

中央研究所(当時は滋賀県、現在は東京都に所在)の食品開発部に配属され、スープの開発を担当。約2年間で何十件ものスープ開発を手がけた。最初に手がけた「ヘルシーな素材を練り込んだ麺を使ったカップ麺」の企画では、スープの配合レシピが決まったのちに、思わぬ問題が発生したという。「麺に練り込まれていた『ヘルシーな素材』の味がスープに溶け出し、数分後に酸味の強い味に変わってしまったんです。食べ終わるまでの数分間は持つような味の設計にしなくてはならず、悩みました。最終的には、先輩のアドバイスによって、アルカリ性の高い素材を配合することによって酸味を中和することに成功しました!」。こののち、2006年に東京本社のマーケティング部に異動。「2008年のチキンラーメン誕生50周年の記念として、詰め替えタイプのチキンラーメンを企画し、電子レンジに対応するガラス容器とセットで販売しました」。

STEP3 2010年 インド市場の開拓を担当し、現地に駐在(入社8年目)

インド日清に配属され、市場開拓の責任者として営業からマーケティング、マネジメントなど、すべてに携わった。現地と日本の食文化の違いだけでなく、企業風土の違いにも悩まされた。「開発に必要な調味料などの材料を集めるだけでも一苦労でした。日本なら材料を扱う会社に連絡すればすぐにサンプルをもらえますが、インドではすべて有償なので気軽に試すようなことができない。また、必要な分量を発注しても、1カ月たっても持ってきてくれないことがザラにある。開発そのものは、シンガポールにいる日本人開発チームがサポートしてくれたので、どこの国にどんな材料があるのかを教えてもらいながら、代替えできる材料を使って開発を進めていきましたね。また、現地の小学校で実食アンケートを取る際には、現地の営業担当者を通じて学校サイドにアポを取ってもらい、当日には袋麺や調理器具を持参して自ら調理したものを食べてもらいました。日本だったら、授業を中断してアンケート調査に応じてもらうことなんてあり得ませんよね。こうしたところでも文化・風土がずいぶん違うものだと実感しました(笑)」。

STEP4 2014年9月 「どん兵衛」のマーケティング担当として商品企画を行う(入社12年目)

日本に戻り、東京本社のマーケティング部の配属に。「どん兵衛」の担当者となり、これまで、きつねうどん、天ぷらそばなどの商品における七味のリニューアル、かき揚げうどんのリニューアルなどを手がけている。

ある日のスケジュール

8:30 出社。メールチェックと返信を行う。
9:30 生産状況と販売状況を確認するため、製造部署や営業部署と打ち合わせを行う。
11:30 関係各所からの問い合わせに対応しながら企画資料を作成。
14:00 マーケティングチームのメンバーと昼食。デスクで簡単に済ませることも多いが、最近人気のラーメン店などに出かけることも。
15:00 販促POPのデザインなど、制作物をチェック。関係各所からの問い合わせ対応も続ける。
17:00 新商品の企画についてアイデアを練る。
19:30 資料を作成したのち、退社。マーケティング部や他部署メンバーと一緒に飲みに行くこともしばしば。

プライベート

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食べることが大好きで、好き嫌いなくいろんなものにトライすることを楽しんでいる。写真は、2015年に同僚とラーメンを食べに出かけた時のもの。「食品会社で働いているからなのか、食べるのが好きだから食品会社で働いているのか、いずれにしても食べることは大好き。日本でも、どこの国に行っても、何でも果敢にチャレンジします。ただ、蛇や虫はまだ無理ですね(笑)」。

 

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ストレス発散とおいしいもの探訪を兼ねて、国内外問わず、さまざまな地域に旅行に出かけている。写真は2014年にフィンランドで撮影。「もともと食べることが好きなので、いろんな国や地域の食べ物に興味がありますね。特にインド駐在時は、しょっちゅう旅行に出かけていました」。

 

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食べることが好きなため、体調管理や体重調整もしっかりと意識し、体を動かすことも心がけている。写真は2012年にインドと日本の文化交流の駅伝大会に参加した時のもの。「自然と体重が増えやすくなってしまうので、ランニングやゴルフなどで定期的に運動するように気をつけています」。

 

取材・文/上野真理子 撮影/鈴木慶子

 

医薬品卸編

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薬価引き下げが業績に大きな影響。調剤薬局向け施策の強化とIT化による業務効率化が加速

医薬品卸が手がけているのは、病院などで使われたり、病院や調剤薬局などで処方箋に基づき供給されたりしている「医療用医薬品」と、ドラッグストアなどで販売される「一般用医薬品」に大別できる。実は医療用医薬品の割合が圧倒的に大きく、総販売額の約96パーセントを占める。

 

経済産業省の「商業動態統計調査」によれば、過去5年間における医薬品・化粧品卸売業の市場規模は25兆4140億円(2010年)→26兆860億円(11年)→24兆4200億円(12年)→25兆300億円(13年)→24兆3900億円(14年)と推移。1年ごとに市場が増減を繰り返しているのは、2年に1回行われる「薬価改定」の影響が大きい。国は高齢化によってふくれあがる医療費を抑制するため、繰り返し薬価引き下げを行っているのだ。医薬品卸業界にとって薬価変更の影響は大きく、各社は動向を注視している。

 

この業界では1990年代以降、業界再編が進んだ。社団法人日本医薬品卸業連合会によると、1992年に351社あった医薬品卸は、2002年に175社、12年に92社と激減。その結果、大手はメディパルホールディングス、アルフレッサホールディングス、スズケン、東邦ホールディングスの「4メガ」に集約された。今後も、大手を中心とした買収・提携の可能性は小さくない。また、アルフレッサホールディングスが14年12月、食品スーパー大手であるヤオコーの調剤薬局事業を買収すると発表。15年12月には、医薬品メーカーであるエーザイの医薬品製造子会社を買収すると発表した。このように、「川上」(開発・製造)や「川下」(調剤・小売)に進出するケースもあり得るだろう。

 

医薬品卸の営業先は、薬局や病院・診療所だ。社団法人日本医薬品卸売業連合会によれば、1992年度当時、薬局に供給されていた医療用医薬品は全体の5.2パーセントに過ぎず、大半は病院・診療所に供給されていた。しかし、薬局向け販売額の割合は年々拡大し、2013年度には53.7パーセントを占めている。背景には、政府が「医薬分業」(キーワード参照)の方針を掲げ、医療機関以外での薬の処方を奨励したこと。そして、医療モール(キーワード参照)や小規模なクリニックが増え、これに伴って周辺の調剤薬局も増加したことなどが影響している。そこで各社は、調剤薬局に医薬品情報を提供する人材を強化したり、地域に密着した卸会社を買収したりして、調剤薬局とのつながりを強化する動きを強めているところだ。

 

政府の方針や経営環境の変化にいち早く対応することは、業界にとって重要な課題。そこで各社は、IT化などによって業務のスピードアップを目指している。例えば、膨大な販売データから顧客ニーズを分析し、タイムリーな営業提案につなげるなどが代表的な取り組みだ。また、医薬品の情報をITで管理し、安全性の向上や、物流の省力化・効率化を実現するなどの取り組みも進行中。これらを加速するため、大型の物流センターを新設する動きも活発化している(下記ニュース参照)。

 

ジェネリック医薬品(キーワード参照)の普及にも注目しておきたい。現時点で、ジェネリック医薬品の数量ベースのシェアは50パーセント強。しかし、政府は医療費抑制のため、早い段階で80パーセントにまで引き上げることを目標に掲げている。こうした動きへの対応も、各社にとって重要な課題だ。

 

医薬品卸業界志望者が知っておきたいキーワード

医薬分業

医療機関の処方箋に基づき、外部の薬局が薬を出す考え方。医師と薬剤師が協力しながら診療や調剤を行う環境を整えたり、医師が利益追求のため必要以上の薬を処方するのを防いだりすることが目的。

医療モール

いくつかの診療所、薬局が集まった施設のこと。複数の診療科が一つの場所にあるため、患者側にとって利便性が高い。また、認知度や集客力を高めやすいため、診療側にとってもメリットがある。

ジェネリック医薬品

後発医薬品、ゾロ薬とも呼ばれる。特許期間が終了した医薬品を、他社が製造・販売するもの。研究開発費があまりかからないため一般の医薬品より安く、医療費抑制を目指す国によって普及が進められている。

薬価改定

診療行為に使える医薬品の範囲と、使った医薬品の医療保険における支払い価格を定めた「薬価基準」を調整すること。一般的に、新たに開発・発売された医薬品ほど価格が高く設定される。

トレーサビリティ

traceability。直訳すると「追跡できる」という意味。医薬品の流通・販売までの流れをさかのぼって確かめられることを指す。医薬品に不備があったり誤配送などが起きたりした場合に備え、トレーサビリティの仕組みを整備する動きが活発化している。

このニュースだけは要チェック <IT化を進めた物流センターの整備は各社にとっての課題>

・東邦ホールディングスが、広島に物流センターを建設すると発表。医薬品のロット番号や使用期限などを管理することで、医薬品物流の安全・安心を実現することに加え、仕分け作業を自動化するなど業務のスピードアップや効率化を図る。(2015年9月4日)

 

・アルフレッサホールディングスが建設を進めていた大阪物流センターが完成。高機能な庫内管理システムやトレーサビリティ機能を備えており、医薬品の安全・安心を守るだけでなく、効率的な物流も実現するとしている。(2015年8月18日)

この業界とも深いつながりが<医薬品メーカーとは切っても切れない関係>

IT(情報システム系)
ITを活用し、物流センターでの医薬品管理などを進めるケースが増加

専門商社
医薬品卸は専門商社の一種。他業界の専門商社と似た施策を医薬品卸が行う場合も

医薬品メーカー
商品の仕入れ先として深い関係。医薬品メーカーを買収した医薬品卸もある

 

この業界の指南役

日本総合研究所 シニアマネジャー 吉田賢哉氏

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東京工業大学大学院社会理工学研究科修士課程修了。専門は、新規事業戦略やマーケティング戦略、企業のビジョンづくり・組織戦略など。製造・情報通信分野などの業界動向調査や商品需要予測も手がける。

 

取材・文/白谷輝英 イラスト/坂谷はるか

食品メーカー内定 東京農工大学大学院 大貫美季さん

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就活データ
志望業界:食品メーカー、外食、化粧品メーカー、日用品メーカーなど 説明会参加:29社(うち合同企業説明会7回) 先輩訪問:2人(食品メーカー1人、外食1人) エントリーシート提出:20社 面接:7社 内定:2社(食品メーカー1社、外食1社) 活動費用:約9万5000円(スーツ・コート・靴など4万円、交通費4万円、書籍代3000円、食費1万2000円。スーツは、お正月のセール時に夏用と冬用の両方をまとめて購入。書籍は先輩から譲り受けた)

基礎研究よりも製品開発。インターンシップに参加したから見えてきたことがある

大学院での研究生活が始まった1年目の夏、遺伝子解析サービスを提供している会社でインターンシップをすることに。あるイベントで知り合った、他社の研究支援などをしている会社の社長さんから、インターンシップにお勧めの企業を紹介してもらったんです。そして、紹介先の企業では、遺伝子解析サービスで調べられる遺伝子の種類を増やすための情報収集をすることになりました。目の前に論文を山積みにして、「どの遺伝子がどういった病気に関係しているのか」をひたすら調べる毎日。もちろんその関係する病気についてもかなり勉強しました。

 

このインターンシップを、週に3回、1カ月半にわたって続けて感じたのは、「アカデミックな研究よりも、私はもう少しお客さんに近いところで仕事をしたいな」「研究開発の仕事はしたいけど、基礎研究よりも製品開発の方がいいな」ということです。決してそのインターンシップの内容に不満があったわけではないのですが、研究室でも論文、インターンシップ先でも論文という日々でしたので、ちょっと飽きがきてしまっていたのだと思います。

 

9月にそのインターンシップが終わり、そこから年明けまでは研究に集中していました。単純に研究が忙しかったというのもありますが、就活が本格的に始まる前に実験データを出しておかないと後で苦しむことになると思ったので。

 

年が明けて少し研究が落ち着いてからは、業界研究セミナーに行ってみたり、インターネット上で会社の人事担当者が学生に向けて話をしている動画を見たりしていました。その時、ある人事の方の「あなたは、あなたであっていいんだよ」というお話を聞いてハッとしたことが。それまでは、どんな会社が良い会社かという視点でしか企業のことを考えていませんでしたが、この話を聞いたことがきっかけで、自分に合う会社、自分の個性と向き合ってくれる会社を見つけようと考えるようになりました。

 

そして当時もう1つ考えていたのは、「人が毎日かかわるもの」を扱う仕事がしたいということです。せっかく自分が製品づくりに携わったのなら、それをできるだけ多くの人に使ってほしい。多くの人に影響を与えたい。インターンシップでの気づきを踏まえて、そんなことを考えるようになっていきました。

 

1月後半には、インターネット広告会社とITシステム開発を行っている企業のインターンシップに参加。どちらも正直、業界に興味があったというわけではなく、就活のトレーニングとして何か学べたらいいなというのが動機でした。特にIT系の企業のインターンシップでは、ブレインストーミングのやり方などグループワークで役に立つスキルを教えていただき、とても感謝しています。その後も、同じように就活対策をするために、2月にはエントリーシートの書き方や自己分析のやり方を教えてもらえるセミナーに参加するようになりました。

 

そして3月になると合同企業説明会がスタート。自分が専攻している分野に関係があり、かつ基礎研究ではなく製品開発ができること。さらに、できるだけ多くの人に使ってもらえる製品を扱っている。そんな軸で、食品や日用品、化粧品などに業界を絞り、あらかじめどの会社が出展しているかを調べて、ピンポイントで話を聞くために合同企業説明会に行っていました。ただし、あまり早い時期に「ここが第1志望!」という企業を決めてしまうと、落ちた時にショックが大きいと思ったので、できるだけ冷静に企業の情報収集をすることを意識。一方で、ここは合わないかなと思って、選考を受けるのをやめた企業はあります。例えば、製品づくりというよりは何かを実験することが主な仕事になっている会社や、実力主義で女性もバリバリ働いて海外勤務もあるような会社です。

 

4月になると個別の会社説明会も増えていき、次々とエントリーシートも締め切りが迫ってくる毎日。特に苦労したのは自己PRの作成です。研究開発の仕事を志望しているのに、最初は研究とは関係ないことばかりを書いていて、ほとんどエントリーシートが通過しませんでした。それに、自分で読んでも「いかにも就活生!」と感じるくらい型にはまった文章を書いていて…。後になって、もっと自分の言葉で素直に書けばいいんだ、ということに気がつきましたね。

 

やっぱりこれがしたい!この仲間と働きたい!…最後に見えてきた大切な価値観

面接に進んだのは7社。うち、1社だけ外食で、ほかはすべて食品メーカーでした。外食は業界自体に興味を持っていたわけではないのですが、自分がお客さんとしてよく行っていたカフェを経営している会社でしたので、軽い気持ちで説明会に行ってみたのが最初のきっかけです。しかし、その説明会で「ただおいしいものを提供するだけでなく、日々の生活に潤いを与えたい」といったお話をされていて、私自身も食品や日用品で人々の生活を豊かにしたいと考えていましたので、価値観がピタッと一致したように感じたんです。結局、この会社はグループディスカッションと集団面接を経て、6月に内々定を頂くことができました。

 

そしてもう1社内々定を頂いたのが、業務用の調味料などを開発・製造している食品メーカーです。業務用ですので直接私たちが手にとって製品を購入することは少ないですが、飲食店やほかの食品メーカーが作ったものを通じて、人々の生活に溶け込んでいる。それに、この会社にひかれた一番の理由は、技術職としての泥臭さを買ってくれると感じたからです。大学院で研究をしていると、頑張ってもなかなか報われないことが多いのですが、この会社のキャッチフレーズには、むしろそういった泥臭いことをどんどんやってほしいといった想いが込められていたんです。さらに、説明会もどこよりも丁寧で詳しい。この会社で働きたいなという気持ちがどんどん強くなっていきました。そしてこちらもグループディスカッションやグループ面接、そして個人面接を経て、7月上旬に内々定を頂くことができました。

 

どちらかと言うと、やりたいことがあるのは食品メーカーの方でしたが、ある自己分析テストを受けてみたところ、外食の方が自分には合っているという結果が出て驚きました。「やりたい」と「合っている」のどちらを選ぶか。相当迷ったのですが、結局私が選んだのは「やりたい」、つまり食品メーカーの方です。

 

その理由は2つあって、まずは、自分はやはり理系として開発職に携わっていきたいと思ったからです。一度は外食に決めようかなと思った時期もあったのですが、大学院の研究室で実験をしていると「あれ、私もう、こういう実験とかできなくなるのかな…」という想いが駆け巡ってきて、ちょっと寂しい気持ちになったんです。外食の企業に就職したら、きっともうメーカーなどの開発職にはなれないですから。

 

そしてもう1つの理由は、同期になるメンバーでした。どちらも内々定をもらった学生の懇親会のようなものがあったのですが、外食の方はそもそも院生が少ないですし、研究のことを話してもわかってくれる人はほとんどいない。一方で、食品メーカーは同じような分野の研究をしている人も多く、単に分野が同じというだけでなく、新しいものを作り出す大変さを共感し合うことができましたし、人々の生活を豊かにしていきたいという目指す夢が似ている人も多くて、素直に「この人たちと一緒にいると頑張れる」と思いました。

 

就活を通して、何がしたいのか、そこにどうかかわっていきたいのか、私はどういう人と一緒に働きたいのかが明らかになっていきました。一番大切なのは価値観、つまり自分のやりたいこと。これからも自分の気持ちには素直に、そして泥臭く頑張ることも忘れないようにしたいと思います。

 

低学年のときに注力していたことは?

大学の学部2年生から4年生までの間、学園祭の実行委員をしていました。その中でも一番力を入れて取り組んでいたのはパンフレット制作です。パンフレットには、ステージでの催し物や屋台の案内、協賛企業の紹介、クーポンや地図、そして緊急時の対応まであらゆることを掲載します。このミッションを完遂するために、制作に必要なパソコンソフトの使い方を後輩に教える勉強会を開催したり、ほかのメンバーが作った原稿を何度も何度も添削したりしていました。作業できる時間はみんなバラバラなので、作ったものを私に送ってもらい、私が添削したものをまたみんなに戻すという運営方法を考案。なんとか最後まで作り上げました。とにかく締め切りに追われる業務でしたので、いつも「これを完成させるためには、あとこれくらい時間がかかるかな?」と考えるようになり、これは就活でエントリーシートを作成する時にも、とても役に立ちました。

 

就活スケジュール

大学院1年8月
インターンシップに参加
イベントで知り合ったある会社の社長に紹介してもらい、遺伝子解析サービスのアップデートをするインターンシップを9月まで行った。
大学院1年10月
研究に集中
本格的に就活が始まった時に困らないよう、早めに研究を進めておくことに。
大学院1年1月
インターンシップに参加
興味のある業界や企業ではなく、就活のために自分が成長できそうなインターンシップに参加。
大学院1年2月
就活セミナーに参加
エントリーシートの書き方や自己分析の方法を学ぶ。
大学院1年3月
合同企業説明会に参加
食品や日用品など、ある程度興味のある業界を絞り、どの会社の話を聞くのか決めて当日を迎えるようにしていた。
大学院2年4月
個別の企業説明会に参加、エントリーシートの提出
エントリーシートの自己PR作成に苦労する。志望する仕事の内容とアピールする内容につながりを持たせた方がいいこと、型にはまらず自分の言葉で素直に書けばいいことに気づく。
大学院2年6月
内々定
自分に「合っている」と感じる外食サービス企業から内々定。
大学院2年7月
内々定承諾、就活終了
食品メーカーから内々定。自分はやっぱり技術に関係する仕事がしたい、そして共感し合える仲間と働きたいということから、食品メーカーへの入社を決意。最後は迷いのない状態で就活を終える。

 

就活ファッション

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スーツは、夏用と冬用のものを用意し、どちらもベーシックに黒で統一。バッグは床に置いても倒れないものを選んだ。また、就活用のバッグは容量が少ないので、持ち歩く化粧品を減らすなど、なるべく荷物を少なくするよう工夫していた。

 

取材・文/芳野真弥 撮影/鈴木慶子

【オーストラリア編】決定スピードが速いオーストラリアのビジネス

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Reported by 豪太
オーストラリアのシドニーにある日系企業の現地法人に勤務。現地での楽しみは、3000円前後(2015年12月時点)とリーズナブルな値段でコースを回ることができるゴルフ。暇さえあれば練習場に行くほどゴルフライフをエンジョイしている。

決定権者がその場で決める

はじめまして。豪太です。オーストラリアのシドニーにある日系企業の現地法人に勤務しています。

 

職場にいる同僚は、過半が日本人で、残りがオーストラリア人です。また、社外で仕事上かかわりのある人間の約9割はオーストラリア人。残り約1割が日本人ですが、そのほとんどが他企業の駐在員で、直接取引があるというよりは、ビジネスのための情報交換をする間柄と言った方が近いかと思います。

 

仕事で使う言語は約9割が英語ですが、現地の人たちの英語は、オーストラリア的な発音がきつい方もおられるので苦労することもあります。残りの約1割が日本語ですが、東京本社と協議事項が多いため、文書に関しては5割くらいは日本語を使っているかもしれません。

 

海外で仕事をしていて如実に感じるのは、日本との決定スピードの違いです。日本企業では、担当者が裁量を持たされていないために、常に上司に報告したり相談しながら決定しなければならないことが多く、実際、当社でもその都度、日本の本社に報告して判断を仰がなければなりません。そのため、日本の本社から答えが返ってきて何かを決定するのに大体1週間はかかってしまいます。一方、オーストラリアの企業は、裁量を持っている人間が直接、業務を担当しているケースが多いので、その場で判断が下され、意思決定が成されます。当然、当社が判断を保留していったん社に持ち帰ることに関しては理解に苦しむようで、中には「なぜそんなに時間がかかるんだ!」と怒り出す担当者もいるほどです。

 

そこでよくある手ですが、あらかじめ日本の本社に、当社が取ることのできる選択肢を4案ほど用意し、相手の出方に応じたフローを3段階分くらい示した上で、ある程度、本社の了承を取り付けておくようにしています。そうすることで、スピードアップが図れているわけです。現地の企業とのやりとりも大変ですが、現場の事情を知らない、そして知ろうともしない本社とのやりとりの方に、取引相手などの“敵”との攻防よりはるかに消耗を強いられているというのが私の実感です。

 

一般的に、オーストラリアの会議においてはすべての出席者が発言するように議事進行を行う点も特徴的です。他方、部下が上司に対して徹底して気をつかうことにおいても、今の日系企業の傾向との違いを感じますね。自分が「黒」だと思ったものでも、上司が「赤」と言えば、「赤にしか見えない」と言い出しかねないほど、上司に追従する傾向が見られます。一見、仕事と関係のないような上司宅でのバーベキューパーティーも、誘われたら断らないのが普通。なぜなら、断ると「チームプレーができない」という評価が下される可能性があるからです。断れるとしたら、「妻や子どもの誕生日」など、外せない予定がある場合くらいですが、その代わり、参加したところで日本のように延々と長時間拘束されることはなく、1時間ほど顔を出せばOKのようです。

 

これほどまでに上司に気をつかうのは、海外では、直属の上司が人事権を持っていることが圧倒的に多いため。自分の将来のためには、なかなか気が抜けないようです。欧米では、独身の上司に週末旅行に誘われたりすることがあり、逆に誘われないと、「自分だけ誘われていない。嫌われているのだろうか」と悩む人もいると言いますから、オーストラリアの企業はまだ自由な方かもしれません。業務範囲に関しても、「これは自分の仕事ではない」と担当業務範囲を主張する社員は業界大手企業においてもかなりおり、うわさに聞く米系の業界大手企業との違いはあるようです。

 

論理的であることが最優先

多くの企業が利益至上主義であり、また同時に常に論理が重視されます。論理的であれば、いかなる意見も無視してはならないと思われているフシがあり、職級がどんなに下でも、業務改善の提案や、仕事上のアイデアなどを出して「一理ある」と思われれば、きちんと吸い上げられて採用されます。逆に、こういうとき、聞く耳を持たなかったりすると「ちゃんとしたことを言っているのに、なぜ取り入れてくれないのか?」と思われて「できない上司」のレッテルを貼られることもあります。最終判断に服従する部下と、それまでの過程でしっかりとした議論をする上司。厳しい世界でありますが、見習う部分もあります。

 

同じ文脈ですが、議論の過程に重きを置き、必ず本人が納得した上で動くことを業務の大前提としています。そのため、上司が部下を説得することから仕事が始まると言っていいほどです。当社でも、日本の本社の決定は、過程が見えづらく、往々にして結果だけ見ると非論理的であることが多いため、間に入っている私が対応する必要があります。非論理的な本社の言い分を、論理的に分解する。あるいは最悪「論理的にはおかしいんだけど、日本企業にはこういうことはよくあるんだ。だからこうしていこうか」と最初から手の内を明かして共に対応を考えようと呼びかけてみたり…。

 

私自身、一般論として日本企業の海外事業のあり方には、かねがね疑問を感じている部分もあります。本気で海外に進出しようと考えているのであれば、海外でも通用する人材を育成するところから腰を据えて取り組まなければならないと思うのですが、そういうところにリソース(経営資源。人材や資金、情報や技術など)は割かれていないように感じます。また、現地の慣習や文化を尊重しない企業もあるようですね。

 

次回は、私のシドニーでの生活についてお話しします。

 

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食料自給率が世界一高いと言われるオーストラリア(平成26年「食糧自給表」農林水産省試算より)。広大な土地から収穫できる農産物の豊富さが、その理由の一つと言えそうだ。

 

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特にリンゴの種類は多く、バラエティーに富んでいる。この「ピンクレディー」という品種は、オーストラリアで生まれたもの。

 

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最近、大改装が行われた鉄道駅のChatswood station。オーストラリアには珍しい「駅ビル」には、日系のチェーン店をはじめとした多くの店舗が入っている。

 

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シドニー名物のオペラハウス(左)とハーバーブリッジ。オペラハウスはシドニーだけでなく、オーストラリアを代表する建造物として有名だ。

 

 

構成/日笠由紀

竹内海南江

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たけうちかなえ・1964年群馬県生まれ。群馬県立高崎商業高校卒業。83年、モデルとしてデビュー。85年、トーク番組『YOU』(NHK教育テレビ)の司会としてテレビでの活動をスタート。87年11月より『日立 世界ふしぎ発見!』(TBS系)のミステリーハンター(取材レポーター)を務める。2016年1月現在272回同番組に出演し、100カ国以上の国をレポートしている。数多くのCMに出演するほか、講演会、執筆活動でも活躍。著書に『アフリカの女』(幻冬舎)、『グリオの唄』(ブルースインターアクションズ)、『おしりのしっぽ~旅する私のふしぎな生活』(集英社be文庫)など。

公式ホームページ:http://www.kanana.com

一度仕事を受けたからには、「できない」では済まされない

『世界ふしぎ発見!』のミステリーハンター(取材レポーター)として世界中を旅して約30年。訪れた国はどうも100カ国を超えているようです。もう、自分では数えていなくて(笑)。最近はよく「子どものころから観ていました」「竹内さんの仕事に憧れていました」と言われてうれしいのですが、なんだか不思議な感じもします。私自身はもともとレポーターを目指していたわけではないし、海外に行きたいという願望もなかった。そもそもこんなに長く仕事を続けるとは想像していなかったんですよ。

 

高校卒業後、「2年くらい遊んだら、群馬に帰って嫁に行こう」と上京し、モデルの仕事を始めました。ところが、所属していた事務所が「こいつはしゃべらせた方が面白い」と判断したんでしょうね。若者向けトーク番組の司会やラジオの仕事が来るようになり、「レポーターもやってみませんか」と声をかけられたのが、番組開始2年目だった『世界ふしぎ発見!』でした。

 

『世界ふしぎ発見!』での初仕事は、忘れもしません。「パリ万博」をテーマとした回と「小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)」をテーマとした回の2本の依頼が一度に来たんです。毎週日曜日に担当していたラジオの仕事の合間を縫って、八雲の暮らした島根県・出雲市と八雲のゆかりの地・ニューオリンズ(アメリカ)、パリを1カ月足らずで取材するというスケジュール。のちに聞いた話では、番組史上でも異例の強行軍だったそうです。今ならひるむかもしれませんが、当時は何も知りませんでしたから、そういうものだと思っていました。

 

初めてのことばかりで、冷や汗をかくことも多かったです。「パリ万博」と「小泉八雲」の回はそれぞれ担当ディレクターがいたのですが、ふたりは仕事のやり方が極端に違いました。ひとりは台本らしいものを用意せず、大まかなイメージだけを伝えて、現場で「こう言って」と指示するタイプ。もうひとりは丁寧な台本を書き、レポーターには一字一句間違いなくセリフを言うことを求めるタイプでした。最初の撮影で出会ったのが前者だったので、ろくに台本も見ず後者の現場に入ったら、さあ大変。その場で覚え、何とか撮影を乗り切りました。まさに「火事場の馬鹿力」でしたね。

 

以来、『世界ふしぎ発見!』には約270回出演してきましたが、いまだに「慣れる」ことはありません。さまざまな国に行きますし、毎回異なるテーマでスタッフと一緒に番組を作り上げていくので、同じ国に何度行っても新鮮な発見があります。一緒に旅をするチームはたいてい5人ほどですが、ディレクターもメンバーの顔ぶれも毎回変わります。

 

会社でも上司と部下には相性があると思いますが、ディレクターの指示によっては「合理的ではないな」「もっとこうしたらいいのに」と感じることもあります。でも、一度仕事を受けたからには、「できない」では済まされない。だから、私の場合、まずはやってみます。その上で、「やっぱり、これは変えた方がいい」ということを提案するようにしています。判断基準は、周りの人がより良く、気持ち良く仕事ができるかどうか。自分が楽しく仕事をするためには相手にも楽しんでもらうことが大切なので、我を通すようなことはしませんが、チームの環境をより良くするための主張はあの手この手を使ってやっちゃったりしますね。

 

「ミステリーハンター」の仕事で大切にしてきたのは、訪れた国の人たちへの敬意でしょうか。よその国にお邪魔して、そこの情報や文化、風景を取材させていただくことで番組を作ることができて、そのおかげで私自身も生活ができている。その感謝を忘れないようにという思いが根底にあります。

 

例えば、「僕はアメリカ人だから」と日本で畳の上をドカドカと靴で歩かれたら、イヤな気持ちになりますよね。そんな失礼なことはしたくないから、「郷に入れば、郷に従え」。その国の文化や習慣をありのままに受け入れちゃうんです。いろいろな国を旅すると、ホテルの蛇口から茶色い水が出たり、山中のロケ地に毒を持った虫がいたり、山賊がいたりもする。日本とは勝手の違うことばかりです。そこで怒ったり、怖がるだけでは、その土地について知ることはできないし、現地の人も困惑してしまいます。でも、「そうか。茶色い水が出るのね」と受け入れて、「どうすればいい?」と素直にホテルのスタッフに聞けば、対応策を教えてくれたり、事情の説明があってその国の生活を知ることができるかもしれません。

 

だから、先入観を持たないようにして、いつもありのままの自分で、どこへでも行く。そして、その土地に入るときには「お邪魔します」、去るときには「ありがとうございました」という気持ちを忘れない。そこだけは30年間、まったく変わっていないんじゃないかなと思います。

 

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考え方をちょっと変えるだけで、仕事への向き合い方がラクになる

海外でのロケは月に1度くらいのペースで、1回の滞在期間は2週間ほど。長い場合は、1カ月に及ぶこともあります。「オフはどちらに行かれるんですか?」とよく聞かれますが、どこにも行かず、何もしません。自宅でたっぷり眠って、起きたら、本を読んだり、テレビを見て怠惰に過ごします(笑)。休むというより、緩むという感覚ですね。仕事をしていると、朝起きて、電車に乗るだけで、知らず知らずのうちに身も心も張り詰めているもの。楽しく働き続けるには、オフの日に自分をしっかり緩ませ、心身の健康を保つことも大事だと思います。

 

労働意欲がないときは「この期間は仕事をしません」と休んでしまうこともあります。そうすると、何もしないことに飽きるんです。何かしたくなる。会社員だとなかなかそうはいきませんが、やる気が出ないときは無理にモチベーションを上げようとせず、「やりたい」という気持ちが自然に出てくるのを待つのもひとつの手段ですよ。

 

仕事仲間からよく「いつも元気で、楽しそうだね」と言われますが、その通りで、「つまらない」と思いながら何かをやることはないですね。もちろん、生きていると、日々大変なことや、やっかいなことはあります。でも、仕事って「対価」をもらうもの。「食べるために、作物を収穫する」というのが仕事の基本形で、目の前の仕事をすることでごはんを食べていけるわけでしょう。それだけでも「ありがたいじゃん」って思うんです。

 

だから、私は仕事のことを「換金作物」って呼ぶことにしているんです。農家の方たちはお米や野菜など食べるものを直接的に収穫するけれど、私たちは働くことでお金に換えた作物を手にするから、「換金作物」。そうすると、気が進まない仕事でも、「これはお米5キロ分かな」「牛肉200グラム分かな」と換算したりして、意外とすんなり乗り切れたりするんですよ。

 

イヤだと思って仕事をすると働く時間が長く感じられるけれど、「よし、やろう」と思って仕事をするとあっという間に終わったりする。やらなければいけない仕事そのものは同じでも、考え方をちょっと変えるだけで、仕事への向き合い方はラクになります。楽しく仕事をするためのストーリーを自分で練る。それも、社会人のたしなみのひとつかもしれません。社会に出たら、ぜひ楽しんで仕事をしてくださいね。

 

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INFORMATION

竹内さんがプロデュースしたバッグシリーズ「Kanana project(カナナプロジェクト)」。「女性の旅を心地よく」をコンセプトに、スーツケース、リュック、トートバッグなど、世界100カ国以上の旅の経験を生かした機能的で使い勝手の良いアイテムをそろえている。

 

カナナプロジェクト https://www.ace.jp/kanana/

 

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取材・文/泉彩子 撮影/鈴木慶子


大学3年生~大学院2年生に聞きました。貯金、いくらある?

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あなた自身の貯金は、今いくらありますか?

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大学3年生~大学院2年生に、今現在の自分自身の貯蓄額を尋ねたところ、27.2%が「10万円以上30万円未満」と回答し、「貯蓄ゼロ」は約1割、「300万円以上」は1.5%で、平均額は54.1万円となった。属性別に見ると、女子学生よりも男子学生、学部生よりも大学院生、文系学生よりも理系学生の方が平均貯蓄額が高い傾向が見られ、特に長期にわたって貯蓄が可能だった大学院生には、平均102.3万円の貯蓄があることがわかった。

 

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塾講師のバイトや学校のイベントバイト、記事を書いたりする内職でためました。卒業旅行と自分の娯楽、来年の引っ越し費用に使う予定。親のお金を借りずに自分の力でやりたいので頑張ります。(貯蓄額24万円/総合科学部4年/女子学生)

 

アルバイトと奨学金でコツコツとためた。教習所の費用や大学院進学の学費に充てる予定。(貯蓄額52万円/国際学部4年/男子学生)

 

幼少期からのお小遣い、お年玉を使わずにためた分と、4年間空いた時間に入った短期のアルバイトで稼いだ分を足した総額が80万円となった。車の購入に充てる予定。(貯蓄額80万円/人文学部4年/女子学生)

 

バイト代の半分を月の初めに天引きしてためた。株式の購入のために使う予定。(貯蓄額10万円/法学部4年/男子学生)

 

アルバイトでためた。今までにも留学や海外旅行に行ったが、今の貯蓄は3月に予定しているヨーロッパへの卒業旅行で使うつもり。(貯蓄額100万円/法学部4年/女子学生)

 

飲食や授業補佐のアルバイトに加え、日々の生活を切り詰めることで2年間かけて貯蓄した。二輪車の大掛かりな整備にほぼ全額使う予定にしている。(貯蓄額40万円/大学院工学研究科1年/男子学生)

 

警備員のアルバイトを2年続けてためました。奨学金を返すのに使います。(貯蓄額80万円/人文学部4年/女子学生)

 

アルバイトをしてためた。就職へ向けての軍資金にしたい。(貯蓄額75万円/文系学部3年/男子学生)

 

大学からの奨学金やアルバイトでためた。書籍や学会の交通費など研究費として使いたい。(貯蓄額110万円/大学院人文科学府2年/女子学生)

 

主にイベントスタッフのバイトで稼ぎました。友人との国内旅行、温泉地への一人旅、オーストラリア旅行などに使う予定。(貯蓄額20万円/都市教養学部4年/男子学生)

 

500円玉貯金でこつこつと。卒業旅行に使うつもり。(貯蓄額3万円/人文・文化学群4年/女子学生)

 

短期のバイトで100万円以上ためました。友達との交際費と結婚資金に使う予定。(貯蓄額100万円/栄養学部3年/女子学生)

 

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なんと、大学院生の平均貯蓄額って100万円を超えているのね! アルバイトのお給料を天引きでためたり、500円玉貯金をしたりと、こつこつ頑張っている先輩も多いことがわかって、ボーナスをバーゲンで使い切りがちな私も反省した次第。先輩たちみたいにきちんと計画的にためて使わないとだめよね。そして、大学3年生で結婚資金をため始めている女子がいることにはオドロキ。私も負けちゃいられないわ!

 

文/日笠由紀 イラスト/中根ゆたか

情報システム会社内定 北九州市立大学 屋原佑香(おくはらゆか)さん

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就活データ
志望業界:IT、金融 説明会参加:40社(うち合同企業説明会で10社) 先輩訪問:なし エントリーシート提出:20社 面接:15社 内定:3社(いずれもIT) 活動費用:約11万5000円(交通費7万8000円、スーツ2万5000円、ブラウス3000円、カバン5000円、靴4000円。負担が大きかったのは東京・大阪への交通費。新幹線の格安チケットを活用するなど、節約を心がけた)

自己分析より、身近な大人からの客観的な評価が自信になった

就活を始める前の私は、かなりの心配性でした。私は学内サークルに所属していないのですが、「面接ではサークル活動について聞かれるらしい」と、何気ない噂を聞いただけで焦ってしまうことも。大学2年の12月には、せめて就活の雰囲気だけでも早めに体感しようと、3年生向けの合同企業説明会にも足を運びました。それくらい就活に対して、漠然とではあっても、小さくない不安を感じていたのです。

 

実際の就活につながったのは、大学3年の前期に履修した「業界研究」の授業。これはキャリアセンター主催の授業で、OB・OGの方からいろいろな業界の動向や所属企業について話を聞くうちに、もともと関心があったIT業界と金融業界にリアルな興味がわきました。

 

私は子どものころから、世の中のお金の流れはどうなっているんだろう?と考えるのが好きで、パソコンの授業も好きだったので、高校時代には「将来はコンピュータ関係か銀行の仕事に就けたらいいな」と考えていました。そして「業界研究」の授業で聞いたお話から、融資を通じて産業を支える金融業は社会に不可欠だし、携帯からスマホへの変遷に代表されるように、システム開発の技術で時代を切りひらいていくITも面白そうだと、志望業界が自然と絞られました。子どものころからの憧れめいた気持ちが、より現実的な目標に変わったといってもいいかもしれません。

 

3年の8月にはキャリアセンターが募集していた、公共系システムに強いIT企業のインターンシップに参加。営業社員の方に同行したり、サーバーのメンテナンス業務の見学を通して「ITの現場」の空気に触れ、こういう現場で働きたいという気持ちが高まりました。また、この会社は女性社員の比率が高く、20代の若手社員もたくさん活躍していて、とても身近に感じました。

 

私はのちに3社から内々定を頂き、最終的に選んだのが実はこの会社だったのですが、この段階ではまだITに絞り切れず、2月には生保と病院のインターンシップにも参加。生保は金融系だからという理由、病院は医療系のシステム会社も志望していたので、システム開発の前提となる関連業務の知識を得たいという狙いがありました。

 

3月になると、合同企業説明会に積極的に参加。志望業界はITと金融、そう心に決めてはいましたが、この段階ではより広い可能性を追求した方がいいと思い、小売業、建設業、サービス業など、幅広い業種の企業のブースを回りました。けれども結局、新たな魅力を発見するような機会はなく、この時点で志望業界をITと金融の2つに絞り込みました。

 

この時期、志望業界は決まっていても、就活に対する不安はまだ消えてはいませんでした。自己分析や先輩訪問も、やるべきだとは思っていても、どうすればいいかわからないというのが正直なところ。ただ、バイト先のスーパーの社員の方が、就活中の私を気にかけてくれて、「屋原さんは真面目だし、責任感がある」「安心て任せられるよ」と、ことあるごとにほめてくれたんです。サークルのことに加え、海外留学や学会発表といった目立つ実績もなく、面接担当者に自分の何をアピールすればいいのか…と、考え込んでいた私には、バイト先の身近な大人の方々の客観的なプラス評価は意外でもあり、大いに励まされました。おかげで、「不安があるのはしょうがない、とにかく今やるべきことに集中しよう」と、落ち着いた気持ちを保つことができましたね。

 

面接のやりとりを「反省ノート」に書き出し、次に生かした

大学4年の4月~5月は面接などで会社訪問ラッシュでした。ITや金融系を中心に、地元福岡はもちろん、関西や首都圏の企業へも。連日びっしりと組んだ予定をこなすうちに、気持ちが大きく変わりつつあることに気づきました。

 

私は自己分析をあまり行わなかったかわりに、業界研究や企業研究にはことのほか力を入れました。会社の基本データはもちろん、ホームページや会社四季報までしっかり読み込んで、エントリーシートも1枚1枚、面接の流れや質問を想像しながら記入。それだけの準備を何社分も行うとなると、不安を感じている余裕がなかったというのが本当のところかもしれません。

 

不安どころか、面接を重ねるごとに、前日に「今回はどんなことを聞かれるだろう」「こんな質問にはこう答えよう」と想像したり、面接の場では予想外の質問に臨機応変に対応することが楽しいと思えるように。準備を含めて面接そのものに前向きに取り組めるようになってからは、迷ったり悩んだりする場面はほぼなくなったと思います。

 

5月ごろからは、面接でうまく答えられたのに不合格になったり、ああ今日はダメだったと思った会社で次の面接に進めたりと、想定外の展開が続いたのを機に、その日の面接内容を細かく書きとめる「反省ノート」を作成。質問と答えを振り返って分析し、次回に備えるようにしてからは、面接の自己評価と結果が一致するようになり、より自信を持って面接に臨めました。

 

そして6月には医療系のシステム会社から初めての内々定を頂き、ホッとひと安心。とはいえ志望度が高い企業ではなかったので活動を継続し、7月に入って、やはりIT系の2社から内々定を頂き、就活を終えました。

 

その2社のうちの1社が、インターンシップに参加した会社で、迷わずそちらを選びました。1次面接の面接担当者に女性がいて、インターンシップで感じた「女性も男性も、同じように活躍できそうな会社」という直感が間違っていなかったと思えたことも、選んだ理由のひとつです。実際、IT系だけでも20社以上を訪問しましたが、女性の面接担当者はこの会社だけでした。入社後はしっかり仕事に取り組み、就活生からも目標とされるような存在になれたらいいな、と思っています。

 

不安いっぱいでスタートした就活でしたが、振り返れば「楽しかった」という思いばかりがわいてきます。なぜ楽しいのかと言えば、人間的に成長できたからだと思います。以前の私は、どちらかといえば引っ込み思案な方。就活初期の面接のグループワークでも「何か発言しなきゃ」と思ってもなかなか手を挙げられませんでしたが、後半になると物おじせずに質問や意見を言えるようになっていました。これは私にとっては結構大きな、うれしい変化です。

 

これから就活に臨む皆さんに私からアドバイスできることがあるとすれば「行動することの大切さ」でしょうか。自己分析を徹底することも必要でしょうが、悩んだり迷ったりすることがあったら、まずは行動すること。そこから意外な可能性が開けることもあるかもしれないし。面接で失敗したら次に生かせばいい、というくらいの気持ちでちょうどいいと思います!

 

低学年のときに注力していたことは?

大学1年のころから、スーパーでのアルバイトを経験。レジで常連のお客さまとあいさつを交わしたり、ちょっとした世間話をするのが楽しくて、多いときには週5日のシフトを組んでもらっていました。接客が楽しいだけでなく、売れ筋の商品を目の高さに置く…というように、商品の並べ方にも法則があること、消費者心理を読んで見切り(値引き)のタイミングを計るノウハウなど、店舗オペレーションの奥の深さに、経営学科生の知的好奇心が刺激されっぱなしでしたね。また高3のときに届かなかった英検2級の試験に大学入学早々にリベンジを果たすなど、英語の勉強にも力を入れました。

 

就活スケジュール

大学2年12月
合同企業説明会を“見学”
就活の空気にいち早く慣れようと、3年生向けの合同企業説明会に参加。
大学3年4月
「業界研究」の授業を履修
就活支援を主眼とした授業「業界研究」を履修。さまざまな業界に進んだOB・OGのナマの声に刺激を受ける。
大学3年8月
IT企業のインターンシップに参加
IT企業の5日間のインターンシップに参加。営業同行やサーバー見学を通じて「ITの現場」で働きたいという思いが募る。
大学3年2月
2社のインターンシップに参加
金融系(生保)と病院のインターンシップに参加。生保では営業スタイルが自分とあまり合わないのではと感じ、ITへの志望度が相対的に高まる。
大学3年3月
合同企業説明会で志望業種以外もチェック
学生による就活支援団体主催の合同企業説明会に積極的に参加。小売、建設、サービスなど、IT・金融以外の企業のブースを意識的に回る。
大学4年5月
「反省ノート」で面接の精度を高める
会社訪問ピーク。面接内容を記録する「反省ノート」を作成し、答えられなかった質問への対策などを徹底して、次の面接に生かす。
大学4年6月
最初の内々定
医療系システム会社から内々定。志望度が高くない企業だったため、活動を継続。
大学4年7月
志望企業から内々定、就活終了
地場IT企業と東京本社のIT企業の2社から内々定を得る。女性社員の活躍ぶりにひかれていた前者を選び、就活を終える。

 

就活ファッション

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大学3年の2月に黒のプレーンなスーツと、シンプルなブラウスを購入。これに入学式の時に買っていたパンツタイプのスーツやブラウスを上手に着回して、会社訪問ピークのハードスケジュールを乗り切った。交通費に予算の多くを割くことが予想されたので、靴やカバンは安くて使いやすいものを厳選。靴は試着を重ね、カバンは何度も手に持って、納得いくものを選んだ。

 

取材・文/金丸正文 撮影/二島淳次

メルセデス・ベンツ日本株式会社

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まつうら・ゆか●販売企画室 プロセス・予算管理課。大阪府出身。34歳。関西学院大学総合政策学部総合政策学科卒業。新聞社、PR会社を経て、2011年にメルセデス・ベンツ日本株式会社入社。現在、夫と7カ月の息子と3人暮らし。

誇りを持てる商品・サービスを、世に伝えていく喜びがある

ドイツ、ダイムラー社の100パーセント子会社として、1986年に設立されたメルセデス・ベンツ日本株式会社。最上の安全性と品質を誇る自動車を、より多くの人に親しんでもらいたいという思いから、2011年7月に、“車を売らないショールーム”『Mercedes-Benz Connection』を東京・六本木にオープン。高級車というブランドイメージに、いかに親近感を持ってもらうか。そのためのマーケティング戦略に力を入れてきた。
松浦さんが入社したのは、マーケティング戦略の転換時期となった2011年。企業広報担当として、企業・ブランド戦略に新しい風を吹き込む役割を任された。
「従来のメルセデス・ベンツの広告は、“雄大な景色や街中を疾走する車”が中心でした。小型車の強化が始まり、日本のアニメーションとのコラボレーション広告やイベントの企画実施など、新しいチャレンジをどんどんするようになったタイミングが、私の入社時期。ガソリン自動車誕生から130年(2016年時点)という歴史を大切にしながらも、いかに新鮮さをもたらし、新たな顧客層を広げるか。会社の変革期に、企業・ブランド広報として入社できたことは非常に幸運でした」

 

大学卒業後のファーストキャリアは、大手新聞社の記者だった松浦さん。記者という仕事に興味を抱いたきっかけは、学生時代に留学していたカナダ・トロントで、地元の雑誌記者に取材を受けたことだった。留学中に9.11(アメリカ同時多発テロ)が発生し、少しでも自分が貢献したいと献血に行った先で、自分の話を聞いてくれる記者に出会った。「小さな声を拾って、世に伝えていく」という仕事に、自分も就きたいと思ったという。
入社してから4年間は、千葉支局、柏支局で、事件、事故、裁判、行政、スポーツ、街ネタなど、担当エリアで生じたあらゆる事象の取材に行く毎日。「事件の関係者を待つため、エンジンを止めた車内でじっとしていたら職務質問されたこともあります」と当時を振り返る。
「大変なことばかりだったのに、今思い出すのは、取材先で『いつもご苦労さま』と温かい缶コーヒーをもらったり、ご飯を食べさせてもらったりと、人の温かさに触れた出来事ばかり。学校でいじめに遭った女の子の記事を書いたら、『学校の教材に使いたい』と中学校の校長先生から問い合わせを頂いたこともありました」

 

刺激に満ちた4年間だった一方、不規則な生活に体力の限界を感じたことから、広報へとキャリアチェンジを決めた松浦さん。社会人5年目から外資系PR会社に転職し、3年半、外資系医薬品メーカー担当として広報を経験。その後、「魅力ある商品を持つ事業会社で、広報をやりたい」という思いでメルセデス・ベンツ日本株式会社への転職を決めた。
『Mercedes-Benz Connection』がオープンして2カ月後に入社し、企業広報として、テレビや新聞の報道対応を担当。メディアの取材依頼が次々と舞い込む状況で、毎日が目まぐるしく過ぎていったという。
「取材対応に追われながらも、メルセデス・ベンツ日本の取り組みやアピールしたいことをどうメディアに取り上げてもらうか、記者とコミュニケーションを取りながら伝えていく“提案型広報”を心がけました。例えば新聞の経済面担当の記者から、メルセデス・ベンツ日本の業績好調の理由について取材したい、と依頼が入ったとします。記者は『株価の影響』などと仮説を持って取材に来るので、ただ質問に答えているだけでは、こちらが取り上げてほしい内容は記事に盛り込まれません。そこで、メルセデス・ベンツ日本が行っているマーケティング手法や広告戦略について、相手に面白いと思ってもらえるようなデータや資料を作成したり、話をさせてもらったり。そんなやりとりによって、記事が『メルセデス・ベンツの斬新なマーケティング戦略』という方向性に大きく変わることもあります。取材内容によっては『ただひと言コメントが欲しい』といった要望もありますので、相手の求めるもの、変更の入る余地などを見極めることが大切ですが、どの情報をどのタイミングでどの程度開示すべきか、常に考えながら対応していました」

 

2015年8月には、3カ月間の産前産後休暇から復帰。1カ月間の時短勤務を経て、現在はフルタイム勤務で、正規販売店と一緒に、お客さま向けの展示会や商談会、自動車ショーなどのイベントを企画、運営している。イベントへの来場者数や成約件数など、結果が数字で明確に出ることが新鮮だと話す。
「記者も広報も数字で評価されることがほとんどなかったので、いいモチベーションになっています。メルセデス・ベンツを実際に売るのは販売店なので、当社の社員が、ユーザーであるお客さまと直接コミュニケーションを取ることはほとんどありません。でもイベントは、生の声を聞ける貴重な機会。お客さまがメルセデス・ベンツにどんな印象を持っているのか、何か要望はないかなど、少しでもヒントを得たくて、イベントに行くのは毎回とても楽しみです。また、お客さまへのホスピタリティなど、イベントでの当社の対応もメルセデス・ベンツの印象を決めますので、動線などにも細心の注意を払っています」

 

ワークライフバランスを考え、記者から広報へのキャリアチェンジをしてきた松浦さんだが、「想像以上にいいバランスで仕事と育児を両立できている」と話す。
「私が育休を取得せずにフルタイム復帰できたのは、会社と自宅が近く、夫や義理の母が育児に協力的であるから。そして、長時間労働を是としない会社の風土と、フレックスタイム、在宅勤務などの制度の充実があります。育休は子どもが2歳になるまで取得できるので、どのような働き方、生き方をするかによって、復帰の仕方もさまざま。『明日は午前中出勤しないので、違う曜日の夜にその分2時間多く勤務します』といった調整は個人の裁量に任され、周りも当たり前のこととして理解してくれます。約40人のワーキングマザーの先輩がいるのも心強いですね。これからも、メルセデス・ベンツをもっと多くの人に親しんでもらうため、新しいチャレンジに貪欲でいたいと思います」

 

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次回出展する自動車ショーに向け、社内で打ち合わせ。出展ブースをどんなレイアウトにするかによってお客さまの反応が異なるため、密な事前準備は必須だ。

 

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イベントに出す車種は何にすべきか、来場するお客さま層を考えながらチェックしていく。

 

松浦さんのキャリアステップ

STEP1 社会人1年目、大手新聞社(全国紙)の千葉支局で記者になる

1年目に千葉支局、2年目に柏支局(千葉県)に配属になり、そのエリアで起きたさまざまな事件、事故や行政を担当。事件関係者の顔写真を探し、情報を得るべく歩き回ったことも多々。「事件や事故の取材を通して、人の醜いところもたくさん見ましたが、それよりも、人の優しさに触れた経験の方が印象的でした。不規則な生活を案じて地元の方がご飯をごちそうしてくださったり、寒い日にはあたたかい缶コーヒーを頂きました」。ただ、求めたい仕事のレベルとプライベートの両立を、自分の体力で実現するのは難しいと感じ、広報の道へ転換を決める。

STEP2 社会人5年目、外資系PR会社に転職

外資系PR会社に転職し、外資系医薬品メーカー担当として、広報のキャリアをスタート。「それまで記者だった私にとって、広報は取材対象者でした。その“表裏”を見てきた経験を生かし、企業幹部向けに『模擬取材を受けるメディアトレーニング』研修をサービスとして提案。取材でどう受け答えをすべきか、何をどう話すと、相手が記事として取り上げてくれるかをレクチャーしていきました。企業倒産やM&Aにかかわったこともあり、情報をどのタイミングで誰に伝えるべきか、メディア報道の前に社員に情報を伝達するために企業幹部はどう動くべきかといった、コンサルタントとしての仕事も担当。一つの事業会社にいては経験できないことばかりでしたね」。

STEP3 社会人8年目、メルセデス・ベンツ日本株式会社に広報として入社

広報として、テレビや新聞などの報道対応を担当した。転職先として選ぶ際、「世の中に自信を持ってPRできる商品やサービスを持っている企業」であることを重視。また、前職の外資系PR会社で多くのヨーロッパ系企業を見てきた中、どこもワークライフバランスが充実していると感じ、長く働きやすいだろうと考えた。「安全性、品質ともに絶対の信頼を置ける商品を扱っているので、広報としてとてもやりがいがあります。また、直属の上司・同僚の理解だけではなく、長時間労働を是としない風土が社員一人ひとりに浸透しており、想像以上に働きやすい環境でした」。

STEP4 社会人12年目、3カ月間の産休取得後、販売企画室に復帰

育休を取得せずに1カ月間の時短勤務を経てフルタイム復帰し、フレックスタイム制度や在宅勤務制度などを利用しながら育児と仕事との両立を進めている。「母親になってから、仕事の優先順位づけと、先回りした動きにはこれまで以上に注意するようになりました。子どもの熱など突発的な用事ができれば、次の日に出勤できるとは限りません。そこで、常に周りのメンバーと共有できるようなフォルダにデータを保存し、仕事がどこまで進んだのかがわかるようにしたり、『そろそろイベントの資料が必要だろう』と先を見越して作成したり。仕事の生産性が上がっているのを感じます」。

ある一日のスケジュール

6:30 起床、長男の世話。
7:30 夫と長男を送り出す(保育園の送りは夫が担当)。自分の朝食、家事をすませる。
9:30 出社、優先度の高いものからメールを返信。
10:00 イベントへの展示車両を決めるため、社内で打ち合わせ。
12:00 先輩ママ社員とランチ(フレックス勤務の日はデスクランチ)。
13:00 イベントについて、広告会社と打ち合わせ。
14:00 イベント参加者用の資料作成、印刷物の校正。
18:00 退社。長男を保育園に迎えに行く。
19:00 帰宅し、長男に夕食を食べさせ、お風呂に入れる。絵本の読みきかせ、寝かしつけ。
21:00 自分の夕食、家事(保育園で汚した洋服の洗濯など)。ドラマ鑑賞。
23:00 就寝。

 

松浦さんのプライベート

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2012年秋にモルディブへ。ダイビング好きの夫に影響され、自身も上級ライセンスを取得。モルディブの海を潜った。

 

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2015年8月のお宮参り。子どものドレスはすべて手作り。ミシンを購入し、丸3日かけて靴下まで作った。「初めての洋服作りでしたが、やりはじめたら細部までこだわってしまいました」。

 

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2013年夏、沖縄の海を潜りに行った。お盆やゴールデンウィークは、社員のほとんどが1週間ほどの長期休暇を取得する。その休みを使って、バリ島やサイパンの海にも潜りに行った。

 

取材・文/田中瑠子 撮影/鈴木慶子

株式会社商船三井

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くわはら・かずき●鉄鋼原料船部鉄鋼原料グループアシスタントマネージャー。同志社大学工学部機械システム工学科卒業。2005年4月入社。大学1年生の時に父がフランス・パリに赴任し、現地に住む家族の元を訪れるついでにバックパッカーとして欧州を中心に旅をして回る。この経験から「将来は世界を舞台に働きたい」と考えるようになり、海運、商社を中心に10社程度に応募。うち7社ほどの面接を受け、志望度が高くかつ一番初めに内定を得た商船三井に入社を決める。

どんな仕事に対しても前向きに、全力で取り組む。その姿勢が評価され、入社5年目に海外赴任を経験

「世界を舞台に活躍できるビジネスパーソンになりたい」という思いで、2005年に商船三井に入社した桑原さん。初めに配属されたのは、LNG船部という液化天然ガス(LNG)を積載し運ぶ船を扱う部署だった。担当したのは、商船三井を含め数社が参加しているジョイント・ベンチャー(合弁会社)のインドネシア・プロジェクト。LNGの産出国であるインドネシアから、日本や台湾の企業にLNGを運ぶプロジェクトだ。

 

「その中での私のミッションは、ジョイント・ベンチャーの損益管理。予算やコスト、実績などを見ながら財務諸表を確認し、関係者に共有して了解を得るのが主な仕事ですが、それまで財務諸表など見たことがないし、知識もなかったのでとにかく数字に触れて知識を深める努力をしました。またインドネシアの傭船者(ようせんしゃ:商船三井の保有船をレンタルする依頼主)との折衝も担当しました」

 

このプロジェクトには5年間かかわったが、傭船者との費用精算に関するやりとりなどでインドネシアへ出張する機会が多かった。入社1年目の2月には初海外出張を経験。

 

「それまでメールや電話で頻繁にやり取りしていた相手でしたが、実際に顔を突き合わせて話をする大切さを学びましたね。直接会って話せば、表情などから細かいニーズや感情の動きもつかめますし、意見の行き違いが生じても“理解し合おう”という気持ちになれます。帰国後も顔を思い浮かべながらメールや電話でのやり取りができるので、コミュニケーションの質が高まりましたね」

 

1年目のころは、上司が客先に提出する資料の作成なども引き受けた。上司の指示通りにデータを集めてそれを構成して…という、いわゆる“下っ端の仕事”だが、桑原さんは「どんな仕事も前向きに捉えて全力を注ぐ」ことを意識した。

 

「新人研修の最後に、人事担当者に言われた『初めはイエスマンであれ。どんな仕事を指示されてもまずは前向きに取り組むことで、自分の身になるし次のチャンスにもつながる』との言葉が心に響いたんです。新人時代は、すべての業務がスキルアップのチャンス。たとえ雑務であっても、ただ『こなす』のではなく『意識して意欲的に取り組む』ことで得るものは大きく変わると思っています。このプロジェクトの後、米国に赴任することになりますが、どんな仕事にも前向きに取り組む姿を上司が見て、抜擢(ばってき)してくれたのではないかと思っています」

 

5年後の10年4月、米・コネチカット州にあるLNG船関連子会社に赴任。同社はインドネシアから日本へのLNG輸送を担う船舶を保有する会社。同年12月末で受注しているプロジェクトの契約が切れるため、顧客となり得る企業にアプローチして新規プロジェクトの受注を獲得する、というのが桑原さんのミッションだった。

 

「結論から言えば、11年にその子会社を畳むことになりました。保有していたLNG船はどれも竣工(しゅんこう)後30年以上の老齢船。最新型のものに比べると燃費が悪く、安全面でのリスクも高いと判断されがちなので、新たな傭船者を見つけるのは非常に難易度が高いのです。米国でのマーケットニーズを調べる一方で、世界中の拠点とも連携を取ってギリギリまでアプローチ先を探し続けましたが、経営継続を断念。保有船は商船三井の英・ロンドン拠点に移すことになり、それに伴って私もロンドンに赴任することになりました」

 

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所有、傭船する全船の運行状況が見られるモニター室で、担当者に船の状況を確認。気象・海象のほか、海賊情報なども見られるので、それらの情報を船長に送り、航路を変更するか否かの判断を促すのも桑原さんの仕事だ。

 

フリー船の放置は莫大なコストにつながる。プロジェクトの間を空けない、長期契約を見つける努力が重要

米国子会社の閉鎖にかかる業務を終えてから、11年6月にロンドンに赴任。LNGの老齢船、および傭船者が決まっていないフリーLNG船の営業活動が主なミッション。社内外での人脈や、専門ブローカーなどと連携を取って、フリー船を使ってくれそうな顧客を探してアプローチを続けた。また、現地のジョイント・ベンチャーの会社管理・損益管理なども担当。15年7月に帰国するまでの4年間で、多種多様な業務を経験した。

 

「思い出深いのは、05年に竣工したフリー船で3年間のプロジェクトを受注できたこと。船舶技術の世界は日進月歩で、特にここ数年で飛躍的に進歩したため、竣工後10年といっても老齢船と見なされてしまい、新規受注が難しいのです。新たな傭船者になってくれたのは、UAE(アラブ首長国連邦)の会社。その会社のクライアント(LNGの供給先)が日本企業だったため、本社と連携を取ってその日本企業にも働きかけ、受注につなげました」

 

フリー船の新規プロジェクトが決まらない状態が続くと、会社の収益を著しく圧迫する。船のサイズにもよるが、船を1隻保有しているだけでも、資本費(主に船舶建造費)、船費(主に船員給与、修繕費)、燃料費などで1カ月に1億8000万円ものコストがかかるという。だからこそフリーの期間を極力短くする、できるだけ長期間のプロジェクトを獲得する努力が重要だ。難易度が高い案件だっただけに、「この受注が決まった時は心からほっとした。肩の荷が下りた」と振り返る。

 

ロンドンでの4年間では、この老齢船のように条件の悪い船を担当したり、担当船においてトラブルが頻発したり、海運市況の波をダイレクトに受けて見込んでいた案件がなくなったりと、試練も多かった。しかし、新人時代に意識して培った「物事に前向きに取り組む姿勢」で乗り切ることができたという。

 

「マーケットに波があるのは当然のことで、自分の力ではどうしようもない。それに、自社でたくさんの船を保有している以上、採算が悪い船を担当する機会だって当然ある。その中で、どれだけ前向きに、意欲を持って目の前の仕事にがむしゃらに取り組めるのかが大事だと、あらためて実感しました。私が意欲を失えば、フリー船のブランク期間が増え、何億円ものコストを生んでしまい会社の収益をも圧迫する。どんな環境下でももうひと頑張り!と粘れたからこそ、難しい案件の受注も実現できたのだと感じています」

 

15年7月に帰国。入社以来10年間所属したLNG船部を離れ、鉄鋼原料船部に所属している。現在のミッションは、日本の製鉄会社向けに、原料である鉄鉱石、石灰を運搬する船のオペレーション管理。2隻の鉄鋼原料船を担当し、顧客のニーズを踏まえてスケジュールや積み付け(形や重さの違うものを効率的に載せること)プランを組み、1隻ごとの損益を管理するのが主な仕事だ。アシスタントマネージャーに昇格したことで、グループの統括やトラブル対応なども行っている。

 

「LNG船は、プロジェクトあたりの投資規模が大きく、期間も長期にわたるのが特徴。ダイナミックなビジネスを動かす醍醐味(だいごみ)を感じることができましたが、だからこそ事業方針ややるべき業務はある程度事前に決まっていて、個人が裁量を発揮するチャンスはそれほど多くはありませんでした。一方で鉄鋼原料船は、自分の裁量が生かせる場面が多く、前部署とはまた違ったやりがいを感じています。例えば、クライアントに指定された期日までに鉄鋼原料を輸送するのですが、燃料費の動向を見ながら、スピードアップして現地に到着するまでの期間を縮めた方がいいのか、それともスピードを落として燃料をセーブしながら時間をかけて着いた方がいいのかなど、損益を考慮しながらスケジュール調整することも可能。責任は重いですが、その分やりがいも大きいですね」

 

現在、入社11年目。「世界を舞台に活躍するビジネスパーソンになる」という目標に向けて、これからも走り続けるつもりだ。

 

「米国と英国への赴任を経験し、どんな国の、どんな立場の人とも対等に渡り合い、折衝ができる力を磨き続けたいと思うようになりました。そのためには、言語力、コミュニケーション力だけでなく、専門知識や市況を読む力などが重要になります。どの部署においても目の前の仕事に全力で取り組むことで総合力を磨き、ステップアップし続けたいですね」

 

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担当するクライアントにメール。希望期日や積み荷の量などを確認し、損益を計算してスケジュールを組む。海外のクライアントとの英文メールのやり取りも多い。

 

桑原さんのキャリアステップ

STEP1 2005年 LNG船部に配属、インドネシア・プロジェクトの損益管理を担当(入社1年目)

自社が参加するジョイント・ベンチャーのプロジェクトを担当し、主に損益管理を手がける。1年目の2月には初めてのインドネシア出張も発生。傭船者との費用精算のやり取りのために向かったが、ほかの議題が押してしまい、スケジュールの都合上、先方担当者と顔を合わせるだけで終わってしまった。しかし、短い時間ながら直接会って言葉を交わせたことで、お互いを理解しようとする思いが強まり、その後のやり取りがぐんとスムーズになったという。

STEP2 2010年 米国子会社に赴任、LNG船の新規プロジェクト獲得のために奔走(入社6年目)

商船三井では、若手のうちに海外赴任を経験させる文化がある。世界各国の拠点に「若手のための枠」が設けられており、桑原さんは入社6年目に海外武者修行に出ることになった。日本では詳細な報告が求められ、マネージャーから部長へと報告が上がっていくが、赴任先は自分以外すべて米国人。口頭で報告が行われ、その場で物事が完結してしまうことが多く、ビジネススタイルの違いに驚かされた。現地のやり方に合わせながら相手の懐に入り込み、コミュニケーションを取ることの大切さも学んだという。

STEP3 2011年 英国ロンドンの拠点に配属、フリーのLNG船の新規プロジェクト開拓に注力(入社7年目)

ロンドンではナショナルスタッフ5人のマネジメントも担当。思うように動いてくれないスタッフもおり、コミュニケーションに悩んだこともあったという。試行錯誤の末、働きや成果に対する感謝の気持ちを伝えることでモチベーションを上げることが、チーム力の最大化につながると気づく。自分ならではのマネジメントを磨くことができた。

STEP4 2015年 帰国し鉄鋼原料船部に異動。保有する鉄鋼原料船のオペレーションを担当(入社11年目)

入社11年目にして、初めての部門異動。液体を運ぶLNG船とは船の形状が異なり、積み付けの工夫も求められる。積み地から降ろし地まで一貫して管理する必要があるため、クライアントである鉄鋼会社の工場がある全国の降ろし地まで出向く機会も多く、配属後半年間ですでに8回の出張があった。

 

ある日のスケジュール

9:00 出社。メールをチェックし、船の動静確認を行う。担当する船がどこにいるか、積み地、降ろし地や到着日時に変更はないか確認する。
10:30 クライアント企業の担当者によるグループ会議。運行中の船のオペレーションに問題がないか、メンバー全員の目で確認し、意見交換を行う。
12:00 会議のメンバーと昼食。社員食堂で日替わり定食やカレー、ラーメンを食べることが多い。
14:00 部内会議。鉄鋼原料船部は4つのグループに分かれており、各代表者が出席してグループごとの状況を報告し、共有する。
15:00 クライアント訪問。週1回のペースで訪問し、担当船の動静報告を行い、先方の要望をヒアリングする。
17:00 業界紙の記事などをチェックし、市況を確認。クライアント企業に関する情報もこまめに確認する。つかんだ情報によっては本船集荷プランや航路の見直しなども検討する。
18:30 仕事のめどがついたところで退社。11カ月の息子と遊び、風呂に入れるのが帰宅後の日課。

プライベート

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2013年12月、ロンドン赴任時代にオフィス近くのレストランで開催したクリスマスパーティー。ナショナルスタッフも皆パートナーを連れて参加し、大いに盛り上がった。

 

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ロンドン時代には、休みの日に夫婦でヨーロッパ中を旅行した。写真は2013年12月、パリを訪れた時のもよう。

 

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サッカーはプレーするのも観戦するのも好き。ロンドン時代は元日本代表稲本潤一さんも所属していた英国のサッカークラブ、フラムFCのシーズンチケット(シーズン中いつでも入場可能なチケット)を購入し、4年間通い詰めた。写真は2014年2月ごろに撮影したもの。

 

取材・文/伊藤理子 撮影/刑部友康

証券会社内定 上智大学 諸澄 有理子さん

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就活データ
志望業界:証券 説明会参加:13社(うち合同企業説明会1回) 先輩訪問:2人(監査法人1人、証券1人) エントリーシート提出:15社 面接:11社 内定:5社(メーカー3社、損保1社、証券1社) 活動費用:約3万9000円(交通費5000円、スーツ・靴・カバンなど1万円、外食費2万円、書籍代2000円、証明写真1000円、郵送代など雑費1000円。説明会はなるべく定期券圏内で開催される場所を予約し、移動距離が長くならないようスケジュールを工夫。忘れ物で無駄な出費がかさまないように、カバンには筆記用具、ノート、印鑑、朱肉、のり、ホチキスなどを常備した)

企業分析が就活のカギ

私が就活の中で最も力を入れたのは、企業分析です。大学3年のころから国際経営学のゼミに所属していて、グローバル進出をする企業のM&A(企業の合併や買収)や雇用戦略などの研究をしていました。その過程で企業分析に近いことをやってきていたので、就活で必要になった時にも抵抗なく入ることができたんです。資料をじっくりと読み解いていくと、表面的には見えない会社の強みや弱みが見えてきて、私はそこに面白さを感じていました。

 

企業研究の本質は「会社の現状を正確に知ること」であり、「現状を知った上で将来を予測すること」だと思っています。就活生向けのサイトに載っている情報や説明会で得られる情報は、基本的に会社のよい部分を押し出しているものが多いです。会社の現状を正確に知るためには、企業が投資家向けに発表しているIR情報を参照するのがベスト。ここでごまかすような記載があれば、株主総会などで追及されるリスクがあるため、IRには経営状況や財務状況、業績動向についての正確な情報が詰まっているんですね。これを読み取れるようになると、企業の現状がわかり、将来的に業績が伸びるのかどうか客観的に予測することができます。

 

IR情報は多少読み慣れないと難しく感じられるので、ゼロからの企業分析のスタートとしては『会社四季報』から読みこんでいくことをオススメします。四季報に掲載されている会社データには、その会社の最近の動向が数行でまとめられているので、そこだけチェックしておくだけでも会社選びの大きな参考になるはず。個人的にはそのほかに、株式の配当金や自己資本比率にも注目。配当金がゼロになっている会社は経営状態がよくない、メーカーで自己資本比率が8割を超えている企業は優良企業だ…などと判断するようにしていました。

 

日々更新される新しい情報もキャッチアップするために、日経新聞の経済面は頻繁にチェックしていました。ニュースは調べるきっかけを与えてくれる貴重な情報源です。新聞を通して新たに知って興味を持った企業も少なくありません。説明会や先輩訪問などで社員の方の生の声を聞くことも大事ですが、企業の将来性を考える上では、人づてに得られる情報に依存しすぎずに、調べることで得られる客観的なデータを収集することが重要だと思います。

 

会社選びのポイントは主に2つ「30年後も同じビジネスで生き残っているか」と、「ワークライフバランスがとれるか」という点です。その中で、経済の状況など外的な影響を受けにくい業界に魅力を感じるようになって、証券会社の志望度が高くなりました。証券の仕事は経済の波を利用する性格も持っているので、知恵と知識さえあればピンチをチャンスに変えることができます。ほかの業界では、経済が悪化すると業績もダメージを受ける会社がほとんどだったため、証券業はビジネスとして強度があるなと感じました。

 

知識があれば、志望動機で差別化を図れる

企業研究で積み重ねた知識は、面接でも大きな強みになりました。例えばメーカーの面接では、多くの人が「ここの商品が好きで…」という切り口で志望動機を語ります。その中で、相手の企業の現状を正確に把握できていると「上場しない代わりに子会社を作り、そこで資金調達をするビジネスモデルが素晴らしく、そんな大局観のある御社に魅力を感じた」というように、単純な好き嫌いとは一線を画した志望動機を話すことができます。もちろん「ここの商品が好き」というようなパッションの部分も大事ですが、企業分析を積めばほかの就活生との差別化がしっかりできるなと、実際に面接を受けてみて実感しましたね。

 

ただ、私の就活は最後まで思い通りには進みませんでした。比較的早い段階で内々定は頂けたものの、7月末に当時第1志望だった会社に落ちてしまったんです。あまりに思いが強すぎて、面接でとても緊張してしまって。聞かれてもいないことを自分から話しすぎてしまったな…と反省しています。8月からはメインの証券会社の面接が立て続けに控えていたので、気持ちを切り替えるのが大変でした。「ここで沈んでいても前に進めない!」と自分を奮い立たせて、強い気持ちを持ってその後の面接に臨みました。

 

それでも、思い入れが強いと勢いよく語ってしまうクセはなかなか直らなかったのですが…内定先は、そんな私の熱さを受け入れてくれた会社でした。私が入社したらやりたいことを前のめりで話しても、それをそのまま「いいね」と評価してくださったんです。そこはリーマン・ショック後もそこまで業績を下げなかった会社で、社風と共に企業戦略の柔軟さにも強くひかれていました。一度は挫折したものの、その後の面接で相性のよい会社と巡り合うことができて、本当によかったなと感じています。

 

入社後はひたすら知識と経験を積み上げていって、法人相手のIPO(株式公開)支援などにも携わっていきたいなと思っています。純粋に株式市場の動向を観察するのが好きなので、優秀な先輩方の指導を請いながら、もっと株に詳しくなりたいですね。

 

低学年のときに注力していたことは?

勉強が好きで、経済や市場原理など気になることを気ままに研究してきました。その過程で企業研究が好きになって、株が好きになって…結果的に好きなことが直接的に就活につながったことは、とても幸運だったなと感じています。ただ、どんなトピックでも、好きなことをとことん突き詰めていくと、何かしら社会とのつながりが見えてきて、それは就活の時に必ず生きてくるんじゃないかなと思うんです。面白いと思ったことを、とにかくいろいろと調べてみるところから、将来の自分の仕事を考える糸口が見えてくると思います。

 

就活スケジュール

大学2年8月
セミナーに参加
早めの動き出しが肝心だと思い、就活セミナーや外資系コンサルのセミナーなどに参加。
大学3年7月
インターンシップに参加
短期のサマーインターンシップの選考を6社受けて、そのうち合格した4社のインターンシップに参加した。選考の中でWebテストが苦手なことに気づき、玉手箱(Webテストの一形式)などのテスト対策を始める。
大学3年2~3月
企業研究、エントリーシート作成
企業研究は主に四季報を活用して、会社の現状を正確に把握。エントリーシートの締め切りが毎週のようにあったので、スケジュールを確認しながら計画的に書いていった。
大学4年4~7月
面接ラッシュ
週1〜2回のペースで面接や社員面談が入る。授業やアルバイトもある中での日程調整が大変で、最も忙しくなった期間。メーカーから初めての内々定を7月末に頂く。
大学4年8月
面接終了
初旬にメーカー数社から内々定が出る。志望業界の選考結果がまだ出ていなかったので、返事は保留にして就活を継続。8月最終週に志望業界の企業から内々定を頂く。
大学4年9月
内々定を辞退した企業へのあいさつ回り
内々定を頂いていたメーカーなどに辞退の電話を入れ、後日おわびのために会社訪問をした。「怒られるのではないか」と不安な気持ちで行ったが、励ましてくれた採用担当の方が多く、気持ちが救われた。

 

就活ファッション

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リクルートスーツは3着、お気に入りの1着をメインにして、あとの2着は予備としてストックしておいた。面接で名札を着けることがあったので、胸ポケットがあるものをよく着ていた。また、白シャツ4枚を日ごとに着回した。カバンはシンプルなデザインでなるべく軽いものをチョイス。ストッキングは脚が締まって見えるように、肌色より少し暗い色みのものを選んだ。

 

取材・文/西山武志 撮影/鈴木慶子

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